2巻 第27話 鍋談義
三人がよく行く居酒屋『竜の泉』にも、ついに「各種鍋、来週から始めます」という張り紙が張り出された。
始めました、ではなく始めます、と告知をするのがこの店の上手いところだ、と嘉穂は思う。こんな情報を入手したら、じゃあ来週に鍋目当てで来よう、と思わざるを得ないのだから。
「鍋、いいですよね」
おそらくは嘉穂と同じようなことを考えていたのであろう貴美が言った。
「本番はもっと寒くなってからだけど、やっぱり恋しくなるわよね」
「でも、一人暮らしだとなかなか難しいのよねぇ。難しいっていうか、作るのは簡単だし楽でいいんだけど、わびしいっていうか」
「わかる」
美月の言葉に、嘉穂は深くうなずいた。
「鍋というか、ただのごった煮になっていくのよね。まあ、野菜もバランスよく摂れるからいいんだけど、作りすぎると毎食それになって飽きてくるし」
「大変ですね、一人暮らしって……」
一人暮らしの方が性に合っている嘉穂だが、鍋という一点に関しては、実家暮らしの貴美が羨ましくなる。
「ちなみに、お二人は鍋なら何が好きですか?」
「私は、やっぱり海鮮系が好きかな。アンコウとか、タラちりとか」
「あー、嘉穂さんらしいねぇ。タラとか、白子がいっぱい入ってると美味しいもんねぇ」
「高級だからなかなか食べる機会はないけど、クエの鍋なんか最高に美味しいわよ」
「へー、私、クエって食べたことないです。魚の名前ですか?」
「そう。高級魚よ」
「あたしは、お鍋に分類していいのかわかんないけど、芋煮なんだよねぇ」
「そっか、美月さんは山形出身だったっけ。ソウルフードってヤツね」
「芋煮ってときどきニュースとかでやってる、重機ででっかい鍋からよそったりしてるアレですか?」
「そうそう。あれは大きなイベントでぇ、普通はもっと当たり前のサイズで作るけどね」
「山形はお酒も美味しいのが多いから、合わせるものを考えるのも楽しそうね」
「あたしは年齢的にお酒を飲めるようになったのはこっちに出てきてからだから、実はお酒との相性って考えたことはあんまりないのよねぇ。冬場にたまに作ったりするけど、お酒は飲むにしても適当にコンビニでサワーかビールを買って来ちゃうから」
「あー、そうよね、たいていは故郷の料理って食べてたのは高校生くらいまでだったりするものね」
「あとは、おでんかなぁ。この間、すごく美味しいお店を見つけたの。今度二人も連れて行くね」
「おでんもいいですね。私、おでんに入ってる玉子とジャガイモが大好きです」
「この間、姫路のおでんを食べる機会があったんだけど、生姜油を付けて食べるとか、地域性があって面白いわよね。はんぺんって言われて地域によって想像するものが違ったりするし」
「あたし、静岡のおでんって一度食べてみたいのよねぇ」
「はんぺんが黒いヤツ?」
嘉穂の問いに、美月は「そうそう」とうなずいた。
「黒いはんぺんって、全然想像できないです……」
「逆に静岡の人は黒くないはんぺんを想像できなかったり、関西の人はちくわぶを理解できなかったりするのよ」
「おでんも奥が深いんですね……」
「そういう貴美さんが好きな鍋は?」
美月に訊かれて、貴美は「そうですね……」と考えこんだ。
「私も、お酒が飲めるようになったのが最近なんで、あんまりお酒基準で考えてなかったんですけど、モツ鍋とかキムチ鍋とか、お肉系の方が好きかもしれないです」
「あー。美味しいよねぇ、モツ鍋」
「あれは、食べると、脂って美味しいんだって再確認できるわよね」
「わかるー。焼肉でもそうだけど、あの部位ってほぼ脂だもんねぇ」
「カロリー・イズ・デリシャスですね……!」
美味しいものは、たいてい身体にはよくないという矛盾には、嘉穂は常々、世の理不尽を感じている。
「キムチ鍋も、豚バラ肉の脂が美味しいのよね」
「むしろ豚バラ肉以外で作るんですか?」
貴美が首を傾げる。
「あたし、一回作ったことあるよー。野菜もたくさんだし、お肉をヘルシーなヒレ肉に変えたら美味しくダイエットできるかなぁ、って思って」
「どうだったの?」
「美味しいは美味しいけど、やっぱり物足りないかなぁ。だったら鶏肉を使って水炊きでも作った方が精神的にはいいかなって」
「あー、そうね、鶏肉ならもも肉を使っても、豚バラよりはマシだものね」
「そうなんですか? 私、あんまり気にしたことないんでよく知らないんですけど」
貴美の一言で、嘉穂と美月の表情が凍りつく。
「たまにいるわよね、体質的に太らない人って」
「いいなぁ。でも、社会人になって運動する機会が減るとテキメンに体重に出るから、貴美さんも油断はしない方がいいわよ?」
「きっと若さもあるわよね」
「そんな、確かに私はこの中では一番年少ですけど、そこまで年齢は変わらないじゃないですか」
「それがね、結構違う気がするのよね……。最近、一年ごとに基礎代謝が落ちていってる気がするのよ」
「あたしもそれ、すごいわかる……」
「えぇ……」
重苦しい空気が、居酒屋の喧噪の中で沈殿していくようだった。
「あの、えーと、鍋女子会をやりませんか、この前にやった家飲み女子会みたいな感じで。私は実家なんで場所は提供できませんから、その代わりにお酒を用意しますんで」
空気や話題を変えようとしたのか、貴美が強引にそう提案した。
「あ、いいわね。じゃあ、前回は美月さんの家でやったから、今回は私が場所を提供する番ね」
「スケジュールの調整も考えたら、年末くらいかしらねぇ。忘年会でそういうのも楽しそうでいいと思うわ」
こうして、第二回の家飲み女子会が急遽計画されることになった。
まだ冬の足音が聞こえ始めた頃の、秋が終わりを迎えようとしている夜のことだった。なんだかんだで、その程度の時間などはあっという間にすぎてしまうわけだが。
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