2巻 第24話 こだわりおでん


 あれから気になって、美月はお婆さんが言っていたおでん屋さんを探してみた。最寄りの駅周辺で、最近リニューアルしたおでん屋、というところまで情報が揃っていれば、見つけること自体はそう難しくなかった。

 ──とにかく、一度行ってみよう。

 実際に食べてみなければ、お婆さんにまた会っても何も言うことはできない。

 その店は、名前そのものは変わっていなかったが、頭に『おでんダイニング』が付いており、看板も洒落たデザインになっていた。店構えも、ドアのガラス越しに窺える店内も、ちょっと渋めのバーといった趣である。

「これは……息子さん、かなり思い切った路線変更をしたのねぇ」

 もう、店構えや内装に昭和の香りはない。ただ、美月の感覚からすれば、入りにくさがなくて好感が持てた。

 例えば、同僚の女子を誘うとしたら。そう考えたとき、この店構えなら選択肢に入る。

 贔屓にしている『竜の泉』は、正直、「わかってくれそうな仲間」を誘うことはあっても、自分が幹事で女子会をやろう、という話になったときに選択肢には入らない。良くも悪くも、ちょっとおじさんっぽい居酒屋なのである。

 実際、おでんダイニングの店の前には『女子会に飲み放題プラン!』と張り紙がしてあった。

 ドアを開けて、足を踏み入れてみる。

「いらっしゃいませ」

 カウンターの中からそう声をかけてきたナイスミドルの男性は、やはりおでん屋の主人というよりは、バーテンダーといったいでたちだった。あるいは、薄暗いシックな店内の雰囲気がそう思わせるのかもしれない。

 店内は四人がけのテーブル席が六つと、七席のカウンター。お婆さんの言う通り、見える範囲におでん鍋はない。開店直後くらいの時間であるせいか、美月の他にまだ客は入っていなかった。

「一人ですけど、カウンターでいいですか?」

「はい。ただいま、お通しをお持ちします」

 カウンター席に座り、メニューを開く。

 メニューのラインナップの大半は、オーソドックスなおでんダネ各種と、日本酒や焼酎が中心で、バー感覚だった気分を居酒屋に引き戻してくれた。

 ──あ、面白いおでんダネも結構あるのねぇ。

 普通は見ないような珍しいものなどは、息子の代になってメニューに加えられたのだろうか。それも、頼んでみないわけにはいかないだろう。

「こちら、お通しのイカ団子になります」

 バーテンダー風の店主が持ってきてくれた小鉢には、おでん屋らしい団子状の練り物が一つ、出汁に浸っていた。

「お飲みものはどうなさいますか?」

「日本酒かなぁ。えっと、銀盤を。それから、大根とゴボウ巻きと、……あの、メニューのここに書いてある厚焼き玉子って、まさかおでんの具なんですか?」

「はい。茹でた玉子は別にございますが、おでんの具の厚焼き玉子も当店ではイチオシでございます」

 おでんに厚焼き玉子。考えもしなかった具に面食らってしまったが、すぐにそれも面白い、と思い直した。

「じゃあ、厚焼き玉子もください」

「ありがとうございます。当店ではご注文を受けてからそれぞれのタネを最高の状態にしてお出ししますので、少しお時間を頂きます」

「えっ、煮込んでいるのをお皿によそって持ってくるだけじゃないんですか?」

「そう思われるお客様も多いんですが、当店は違うんですよ。それだと、どうしても火が通り過ぎてしまって、一番美味しい状態を保つことができないんです」

「へぇ……。煮込んだら煮込んだだけ美味しいのかなって思ってました」

「食べて頂ければ、ご理解頂けると存じます」

 言葉も表情も、すごい自信である。

「では、すぐにお酒をお持ちしますので」

 ──ホントに、おでん屋さんって感じがしないなぁ。

 丁寧な店主の応対にそんなことを思いつつ、イカ団子をかじる。

 ──美味しい……!

 全体から感じるイカの風味、練り込まれているのはネギと紅ショウガだろうか。すり潰しきらないイカの身が混ざっていて、その食感も楽しく、しっかりおでんの味も染みている。しかも、そのおでんの味がとても濃厚で、個性の強いイカやネギや紅ショウガとも負けずに調和を保っている。

 そして、ほどなく頼んだ日本酒がグラスで運ばれてきて、それとイカ団子を楽しんでいる間に、大根とゴボウ巻きと厚焼き玉子の三種が盛られた皿が運ばれてきた。どれもしっかりと醤油ベースのおでん出汁が染みた良い見た目をしている。

 確かに、おでん鍋から取り分けて出すより時間はかかっているが、言うほど待たされたという感覚はなかった。

 大根に箸を入れてみる。

 割った断面が芯の方まで飴色で、食べる前から味の染み具合が想像できた。

 からしを付けて、口の中へ。

 熱さとともに、じゅわっと濃厚な出汁の味が口中に溢れ出す。しっかりと煮えて柔らかいが、大根らしい食感と風味は失っていない。

 ──美味しい……!

 美月はこれまでの人生でそこまで熱心におでんを食べてきたわけではないが、間違いなく自分史上最高に美味しいおでんの大根だった。

 じゃあ、と厚焼き玉子に目を向けた。

 普通の厚焼き玉子やだし巻き玉子は居酒屋の定番である。馴染みの『竜の泉』でも、他の店でも、何度も食べてきた料理だ。見たところ、おでんの出汁に浸っている以外に変わった点はないようだが……。

 しかし、一口食べてみて、美月は驚きに硬直してしまった。

 厚焼き玉子から、おでんの出汁が染み出して溢れてくる。自分が食べた断面を見れば、当たり前の話だが、厚焼き玉子は層になっている。くるくるとまいて作るのだから、それは自明だ。

 その層に出汁が入りこみ、噛んだ瞬間に溢れ出してくるのだ。

 奇をてらったインパクト狙いに見えて、実はしっかりと相性を考え尽くされている、そんなおでんダネだった。

 そして、「すごいなぁ」と思いながら何気なくゴボウ巻きを食べて、さらに目を見張る。

 味が良いのはもう大前提で、その上で、しっかりとゴボウの香りとシャキッとした歯応えが絶妙に残っている。

 美月が知っているゴボウ巻きのゴボウは、よく煮えていて柔らかく、こんなに歯応えが残っていることは稀だった。そして、これまで食べたゴボウ巻きは、香りも出汁に出きってしまっていたのだ、とこのゴボウ巻きが教えてくれた。

 たぶん、素材の善し悪しで言えば、これまでのゴボウ巻きと目の前のゴボウ巻きにそこまで大きな差はないような気がする。ただ、火の通し方がまるで違う。

 最初に言われた「注文を受けてから、最高の状態に仕上げます」という言葉の意味を、文字通り味わうことになった。

「いらっしゃいませ」

 店主の声に振り返れば、美月と同じくらいの年齢の四人組が入ってきたところだった。

 どうやらそのうち何人かは初めての来店ではないらしく、一緒に来た仲間に、

「ここの大根は超美味しいんだって」

「あと、牡蠣とかツブ貝とか、煮込みすぎて堅くなってたりしないのが最高で」

 などと、しきりにこの店の良さをアピールしていた。

 それを皮切りに、若い男女や老夫婦など、客がどんどん訪れ始める。

 気がつけば、髪を金髪に染めた若者が店主同様にバーテンダー風の衣装をビシッと着こなして接客に当たっていた。

「店構えがすごく変わって一時は心配したけど、おでんの出汁の味は変わってなくてホッとしたね」

 などという会話も耳に届く。

 ──なぁんだ、なんにも心配ないじゃない。息子さん、やるなぁ。

 そんなことを思いながら、美月は、

「おでん、美味しいですね」

 と、カウンターの中にいた店主に声をかけた。

「ありがとうございます。どうしてもおでん屋というと、大きなおでん鍋を眺めながら飲み食いしたい、と仰るお客様が多いんですが、やはり衛生的に問題があるのと、煮えすぎて味が落ちてしまうというデメリットがあるんですよね」

 穏やかな笑みを浮かべて、店主が言う。

「限られたスペースしかない屋台なら仕方ありませんが、店を構えている以上、一番美味しいおでんを食べて頂きたいと考えまして」

 店主の言っていることが、このおでんにはしっかりと実践されている。実際に食べたあとだからこそ、美月にはそれが理解できた。

「うちのおでんの出汁は、先代が創業した頃からずっと継ぎ足し継ぎ足しで使い続けているんですよ。とても濃厚でしょう? この出汁があるなら、きっとお客様にもご理解頂けるはずだ、と思いましてね」

 ああ、お婆さんの人生は否定などされていなかった。

 むしろ、お婆さんが培ってきた歴史があればこそ、息子は、この店主は、信念を持って方針転換を決められたのだ。

「〆にはこのおでん出汁を使った小うどんもございますので、よろしければ」

「はい、是非頂きます」

 嬉しくなった美月は、一も二もなくうなずいた。


 後日、美月から話を聞いて、お婆さんは、

「もう一回、別のところでおでん屋をやろうかね!」

 と発奮したり、その言葉を実行に移してしまったり、それが原因で息子に心配されたり、そのせいで仲がまたこじれたりすることになるのだが、それは別の物語である。

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