2巻 第17話 焼酎の材料
居酒屋の店員に顔を覚えられると、珍しいものを仕入れたときに声をかけられることがある。
その日嘉穂は、たまたま寄ったコンビニで行きつけの居酒屋『竜の泉』の店員である睦美とバッタリ出会い、
「そういえば、店長が何本か面白い焼酎を発注してみたって言ってたんですよ。今日辺り届いてるんじゃないですかね」
と教えてもらった。
──なるほど、焼酎。
日本酒が好きな嘉穂だが、他の酒を飲まないわけではない。米焼酎なら日本酒に近い味わいのものもあるし、他の焼酎も日本酒にはない美味しさがある。
日本酒ほど熱心に知識を求めているわけではないが、気まぐれに頼んでみることも少なくはない。
普通は焼酎の原材料は麦、米、芋、蕎麦などだが、知識が少ない嘉穂でも、黒糖や栗など、様々なものがあることは知っている。
それを踏まえて考えても、わざわざ『珍しい』と言うからには、いろいろと期待してしまう。
──これは、行ってみるしかないわね。
商売上手だなあ、とは思う。客が喜んで乗っかろう、と思える信頼関係の築き方こそが、きっとあの店の最大の魅力なのだ。
嘉穂が店に入ると、すでに貴美と美月もカウンター席に陣取っていた。
「あ、やっぱり嘉穂さんも来ましたよ」
「嘉穂さんも焼酎の話を聞きつけたんですか?」
「も、ってことは、二人も聞いたんだ、珍しい焼酎の話」
この店の情報拡散力は、実はかなりすごいのではないか、と戦慄してしまった。常連とはいえ、仕事も生活のサイクルもまるでバラバラな人間にピンポイントで情報を届けることが可能なら、それはものすごい強みである。
「もう何か頼んだの?」
「いえ、私たちも今来たところなんです」
そんなところに店員の睦美が、
「いらっしゃい、今日はどうします?」
とお通しとおしぼりを持って注文を取りにきた。
「そりゃあ、面白い焼酎がある、なんて聞いたら、ねぇ?」
美月の言葉に、睦美は笑って、
「じゃあ、そういうのを見繕って、順にお出ししましょうか?」
と提案してきた。
「じゃあ、それで」
「はいはい、ちょっと待っててくださいね。みなさん、ロックでいい?」
「はい」
一度店の奥に入っていき、戻ってきた睦美が人数分のグラスを運んで来る。
「まずはこれ、トマトの焼酎です」
「トマト! でも、そのわりには無色透明ですね」
不思議そうに、貴美がそう言いながらグラスを眺める。
「そりゃまあ、蒸留酒ですからね。あと、トマトだけだと醸造できないそうで、米も使ってるそうですけど」
「へえ……」
ちびり、と、舐めるように一口。
確かにトマトの風味がある。しかし、トマトジュースのような濃厚さはなく、むしろ爽やかに香りが走り抜けていくような感覚だった。
「あ、これ美味しい」
美月は相当にトマトの焼酎を気に入ったらしく、満面の笑みを浮かべている。
「……肴はどうしますか? トマトで何か作るか、最初には重いですが、牛肉料理なども合うと思いますが」
カウンターの中から、厳つい店主の竜一郎が尋ねる。
「そうね……あ、牛タンの串焼きを」
「……かしこまりました」
串焼きの焼き上がりを待ちながら、ちびちびとロックの焼酎を飲む。
そして、焼き上がる頃には、ほどよく氷も溶けて、少し焼酎が薄まり、飲みやすい濃さになっている。
氷が溶けることで少しずつ濃度が変わっていくロックという『割り方』は、飲むタイミングごとに微妙に違う味わいを楽しめるのが良さである。
焼きたての牛タンの熱さ、弾力、むほどに溢れてくる旨味、シンプルな塩コショウの味付けを存分にみしめて、そこに冷たいロックのトマト焼酎を含む。
そもそも、牛肉自体がトマトと相性がいい。トマト系のソースを使った牛肉料理など、枚挙にいとまがないわけで。
「合わないわけがないわよね」
「はい。私、この組み合わせ、大好きです!」
「気に入っていただけたようで、何よりです」
トマトの焼酎がなくなりそうという頃をきっちり見極めて、睦美がやってくる。
「次はこれです。牛乳の焼酎」
「牛乳!?」
「確かに珍しいけど、動物の乳のお酒というのは中央アジアなんかによくあるわよ」
「さすが作家先生、片菊さんは詳しいですね。まあ、でも、蒸留酒ってのは珍しいんじゃないですかね。これも牛乳だけじゃなくて、お米も使ってますけどね」
口を付けてみれば、ほのかに牛乳の風味がある。まろやかで、とてもなめらかな感じがある。
「トマトとはガラッと趣が変わるわね。こっちも美味しいわ」
「あたしの同僚で、芋や黒糖の焼酎を牛乳で割るのが好きって人もいるから、もともと牛乳って相性がいいのかも」
では、これにはどんな肴を合わせるべきか。
「……牛乳系のカクテルなどはそれ自体が甘いのでナッツ類などになってしまいますが、こちらの焼酎は甘味はあっても甘すぎるほどではありませんので、茄子のピザ焼きなんかいかがですか」
竜一郎の提案は、薄く切った茄子を生地に見立てて、その上に具とチーズを載せて焼いた一皿である。
「なるほど、乳製品を合わせよう、と」
「……はい。無難といえば無難ですが、当店でも初めて仕入れたお酒ですので、セオリーがないもので」
「まあでも、茄子のピザ焼きは美味しいですから、いいんじゃないでしょうか」
「あたしも大好きだから異論はないでーす」
というわけで、次の肴が決まった。
「焼酎のロックのよさって、頼んだお料理が出てくるまでの時間が無駄にならないことかもしれないわね」
グラスを振って氷の音を楽しみながら、嘉穂はいった。
「ですね。どうしても最初はほぼストレートですから、ちびちびペースになっちゃいますし、少し待ってある程度氷が溶けた方が肴と合わせるにはいい感じだと思います」
「最初のほぼストレートの段階も、あたしは好きだけどなぁ。でも、うん、それも一理ある気がするわ」
「ところで、二ノ宮さん。他にはどんな焼酎を仕入れたんですか?」
通りかかった睦美を呼び止めて、嘉穂は訊いた。
「今回仕入れたのは、あとネギとニンニクとアロエですね」
「うわ、なんですかそのラインナップ」
どうやら、今夜はまだまだ飽きることなく焼酎を楽しめそうだった。
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