2巻 第11話 アジフライに何かける?
「……そろそろアジも旬が終わりますね。良いのは今日仕入れたのが最後かもしれません」
厳つい店主の竜一郎の一言で、嘉穂たちのその日の方針が決まった。
アジの旬は初夏から夏、遅くとも八月までと言われている。
アジは刺身でも叩きでもなめろうでも美味しいが、南蛮漬けや開きにして焼くなど、加熱しても美味である。
アジなどはいつでも食べられる印象もあるが、旬が終わるとなれば、その前に食べておきたいのが人情というものだ。
「私は、ハイボールでアジフライにしようかな」
嘉穂としては、アジフライはアジの最も美味しい食べ方の一つだと思っている。
「それですよ、嘉穂さん! 私もそうします!」
「そうねぇ。今日も暑かったから、ハイボール飲みたいよねぇ」
「じゃあ、ハイボール三つとアジフライ三つでいいですか?」
伝票を持った沙也香に、三人は揃ってうなずいた。
やがて、揚げたてのアジフライが運ばれてくる。
「やっぱり、アジフライにはタルタルソースですよね!」
その貴美の一言が引き金だった。
「いやいや、アジフライには醤油とからしじゃない? タルタルだと少し重いと思うんだけど」
「何言ってるんですか、嘉穂さん。そこでハイボールの出番なんじゃないですか」
「えー。レモンを搾ってウスターソースをかけるのが一番美味しいと思うけどなぁ」
「……みなさん」
カウンターの中から、厳つい店主の竜一郎が会話に割って入ってきた。
「……そこから先は戦争になりそうですから、やめておいた方がいいと思います」
「まあ、確かに、好きなものをかけて食べるのが一番だとは思うけど」
「……ええ。他のお客様にもこだわりが強い方も多いらしくて、『アジフライにかけたいんだけどアレはあるか』といろいろなものを求められたことがありますよ」
「え、今出た以外にもあるんですか?」
貴美の質問に、竜一郎は「もちろん」とうなずいた。
「……一番多いのは、ソースの銘柄ですね。とんかつソースがいいとか、関西でシェアが多いメーカーのはないか、とか」
「あー。ソース派としては、それはわかるかも。結構ソースってメーカーで味が違うから、違うのだと違和感があるのよねぇ」
「……あとは、マヨネーズとか」
「えっ、タルタルがあるのに、マヨネーズを欲しがる人がいるんですか?」
タルタル派の貴美は驚きの声を上げる。
「……ええ、いらっしゃいますよ。タルタルの異物感がイヤだ、とその方は仰っていましたね」
「えー。この具だくさん感が美味しいのに」
この店のタルタルは自家製で、ゆで玉子やピクルスの刻み具合も粗く、好きな人はタルタルのためにフライものを頼む、というケースも多いらしい。
「……あとは地味に、塩で食べるお客様も多いですね」
「へえ、塩! でも、確かに一番アジフライそのものの味を楽しめるかもしれないわね」
「……試してみますか?」
「ええ、と言いたいところだけど、他のも聞いてからにしようかしら」
「……なるほど。他ですと、ケチャップやポン酢という方もいらっしゃいましたね」
「ケチャップはいまいちピンとこないわねぇ」
「でも、ポン酢は美味しそうね」
「そうですか? 私はポン酢よりケチャップの方が美味しそうな気がしますけど。ほら、白身魚とか、トマト系のソースがかけてあるのとか、給食とかお弁当とかであったじゃないですか」
小学中学の時代、給食にそんな料理が出ただろうか、と首を傾げた嘉穂だったが、そもそも年代や地域の違いで差がありそうだ。
ともあれ、年代の話は跳ね返ってくるダメージが大きそうなので、あえて嘉穂は触れないことにする。
「思ったより、みんな色んなものをかけて食べているのね」
「……あとは、めんつゆとか、何もかけないという方もいらっしゃいました。一番面白かったのが、刺身とシラスおろしを一緒に頼んで、大根おろしとわさび醤油でアジフライを食べていらっしゃったお客様ですね。思わず、言ってくだされば少しのわさびと大根おろしくらいサービスしますよ、と申し出てしましました」
「大根おろし……。案外、この話はもっともっと広がりそうよね」
そう言いつつ、嘉穂は醤油とからしでアジフライを一口囓った。
ザクザクと食感がいい衣、ふわふわの身、熱さと旨味と香りを引き立てる醤油の香りと塩味とからしの辛さ。
この揚げたての味わいはそれだけでごちそうだが、なるほど、サッパリ感を足せる大根おろしは絶対に合うと確信できた。
「……今お出しできるのはこのくらいですが、よろしければ」
と、塩や何種類かのソース、ケチャップ、ポン酢、めんつゆなどを出してくれた。
ちょっとずつ試してみた感じでは、塩とポン酢は嘉穂としてはかなりありだった。わざわざ「あれを出してください」とまで店で言うかどうかは別として、例えば自分で作ったり、スーパーのお惣菜などで買ってきた場合には、気分によっては選択肢に入る。
「ケチャップ、これ、私かなり好きかもです」
同様に試していた貴美が言った。
「……でしたら、フレッシュトマトを使ってソースなどを作ってみてもいいかもしれませんね。トマトとニンニク、オリーブオイル、塩コショウなどを使うレシピはきっとネットに転がっていると思いますし、買ってきたお惣菜が化けるかもしれません」
「そういうの、ありかもしれないわねぇ。揚げもの自体は面倒だけど、簡単に作れるソースとか、自炊のマンネリを打破できるかも」
「……梅肉を使っても、お好きな人は好きなソースができるかもしれません。もう季節は終わっていますが、アジの旬を考えれば、ミョウガなんかを使ってもサッパリ食べられるかもしれませんね」
「大根おろしを使うなら、大葉を加えても美味しそうよね」
嘉穂の呟きに、竜一郎は「はい」とうなずく。
「……個人的には、カレー味も合うような気がしています。カレー塩やカレー系のソースでもきっと美味しく頂けますよ」
「ソースというか、カレーライスにアジフライを載っけてもカツカレーみたいに成立しそうですよね」
貴美の提案に、竜一郎は「なるほど、確かに」とうなずいた。
「アジフライ、思った以上に懐が深いのかもしれないわね」
嘉穂にとっては、組み合わせの可能性や、固定概念に囚われないという姿勢について、改めて考えることになった夏の終盤なのだった。
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