2巻 第8話 梅酒の肴


 その日、メニューの甘い酒の項目に目が行ってしまったのは、きっと先日の縁日で沙也香と交わした言葉のせいだろう、と嘉穂は思った。

 いつもの居酒屋『竜の泉』にも、サワーやカクテルはある程度は置いてある。とはいえ、チェーンの居酒屋にあるような数と種類の域は出ない。

 レモンサワー、生グレープフルーツサワー、青リンゴサワー、白桃サワー。

 ソルティドッグ、カシスオレンジ、スクリュードライバー、ジントニック、モスコミュール。

 日本酒や焼酎をメインに据えた店ともなれば、頑張って揃えている部類だろう。

「まあ、バーならまだしも、居酒屋だとこんなもんよね」

 そもそも、バーで言うところのサワーと居酒屋のサワーでは意味が違っていたりする。

 本来、サワーとは『酸味がある』という意味で、蒸留酒と柑橘系のフルーツやリキュールを用いたカクテルを指す。

 一方で、居酒屋ではハイボール、焼酎ハイボールの亜種も含めてしまうことも多い。本義から言えば酸味が強くないフルーツのサワーも違うだろうし、緑茶サワーだのウーロンサワーだの、焼酎ハイボール、略して酎ハイの系列までサワーに加えてしまっている地域もある。

「珍しいですね、嘉穂さんがカクテルのページを見てるなんて」

 となりからメニューを覗き込んで、貴美が言った。

「うん、ちょっとね。甘いお酒って、今までお料理に合わせることを考えたことなかったな、って思って」

「確かに、甘いお酒って合う料理は限られそうですよね」

 嘉穂と貴美の会話を聞いていた美月は、

「そうでもないよ?」

 と笑った。

「もちろんお酒にもよるんだけどぉ、例えば、梅酒なんか甘いけどかなりいろんなお料理に合わせられる万能選手だと思うなぁ」

「美月さんは梅酒って結構飲むんですか?」

「うん。最近は二人に合わせることが多いけど、前の前の前くらいに付き合ってた彼が梅酒好きで、その頃はかなり飲んでたかなぁ」

 あー、なるほど、と嘉穂と貴美は苦笑しつつも、納得してうなずいた。

「じゃあ、今日は美月さんに注文を任せちゃっていいかしら?」

「え、いいけど、なんだかそう言われると緊張しちゃうなぁ」

 そう言いながら、まず美月が頼んだのは、自家製スモークチーズだった。日本酒を飲んでいるときでも、嘉穂たちはちょくちょく頼む肴である。

「チーズを使ったお料理は、全体的に梅酒に合うと思うのよねぇ」

 その言葉を信じて、梅酒のロックと合わせてみる。

 なるほど、合う。

 チーズのコクと梅酒の穏やかな甘さが混ざり合って、お互いを引き立て合っている。

「考えてみれば、チーズってデザートにも使うわけだし、甘さとの相性は悪くないはずなのよね」

「あー、チーズケーキとか、ありますもんね」

「でしょ? まあ、チーズの種類にもよると思うけど、よほど極端なチーズじゃなければ梅酒とは合うと思うの」

「もしかしたら、梅酒ってピザなんかとも相性がいいのかしら」

「あ、うん、合うよぉ。すごく合う」

 そして次に美月が頼んだのは、鶏の唐揚げだった。

「梅酒もソーダ割りにすると、ハイボールに近い感覚でゴクゴクいけるんだよねぇ」

「なるほど、ソーダ割り、そんな手もあるのね」

「確かにこれ、メチャクチャ合いますよ……! 梅の風味が爽やかだから、脂っこさのリセット能力はビールやハイボールに全然負けてないです……!」

「あとは、ピリ辛の炒めものとかもソーダ割りは合うのよねぇ。辛さを梅酒の甘さがいい感じに緩和してくれるから」

「豚キムチ炒めとか、確かに合いそうよね」

「追加で頼みます?」

「それは美月さんのプラン次第ね」

「うーん、ちょっとそれまで頼むとボリュームがありすぎるかなぁ」

 次にやってきたのは、豚の角煮である。

 茶色く染まった豚肉の赤身と脂身が層になり、添えられている大根もまた同じ色に変色している。

「豚の角煮、超定番ですけど、私、大好きです!」

「辛いモノにも梅酒は合うけど、甘味が強いこういうお料理にも合うのよ、梅酒って」

「へえ……」

 箸で簡単に割れるほど柔らかい豚の角煮は、口に入れればとろりと溶けるように豚の脂の甘味と醤油ベースのタレの甘味が混ざり合う。

 そこに梅酒を一口飲むと……。

「うん、合う……!」

 違う種類の甘さが口の中で混ざり合うことで、より甘さに深みが出る。しかも、梅の爽やかな香りが脂のしつこさをほどよくリセットしてくれる効果もある。

「まあ、梅自体があたしたち日本人にとって馴染みがあるから、っていうのもあると思うから、他の甘いお酒でも合うかって言われると難しいと思うけど」

「そうですね、これ、梅の香りがあるからこそ成立してる、って感じがします。これがグレープフルーツやレモンだと、もう少し合う料理は限られそうな気がします」

「逆に、だからこそ合う料理も出てくるとは思うわよ」

「あー、確かに」

 角煮を食べ終わり、そんな話をしているところに、三人分のアイスクリームが運ばれてきた。

「あら、美月さん、デザートまで頼んでくれたの?」

 しかし、美月はふふっと不敵に笑った。

「甘い梅酒は、これも肴にできちゃうのよ」

「ええっ」

 貴美は驚きの声を上げた。

「いえ、甘味で飲むって人は結構いるわよ。ブランデーにチョコレートは有名だし、お酒を使ったお菓子も珍しくないし」

「あー、言われてみれば……」

「バニラアイスに洋酒をかける、なんていうのも割とあるわよねぇ」

 実際、試してみれば、バニラの香りと梅の香りが口の中で混ざり合う感覚はかなり美味しい。

「美味しいけど、個人的には、あんまりお酒を飲んでるって感じはしないかな。デザートの食べ方としては好きだけど」

「どうしても甘味とお酒の組み合わせは好き嫌いが分かれるのよねぇ」

「私はかなり好きかもです。デザートと梅酒もですけど、全体的に、梅酒って美味しいなって」

「あー、貴美さん、日本酒でもフルーティなのが好きだものね」

「気に入ったなら、家で作ってみれば? 梅酒って家でも簡単に作れるんだよねぇ。ちょっと時間はかかるけど」

「え、ホントですか!?」

「でもぉ、家で作ると危険だからね? 帰ったらいつでも飲める梅酒があるってことは、ついつい飲み過ぎちゃうってことだから」

「う……。なんかすごく実感がこもってますけど……」

「だって、仕事でイヤなことがあったときとか、家に帰って梅酒があったらさぁ……」

「日本酒の一升瓶があっても同じことだけどね」

 嘉穂の言葉に、貴美も美月も「確かに」とうなずいた。

 それもあって、嘉穂は外飲み派なのだ。

「外でも家でも、自制心は持たないとね。飲みやすいお酒は特に」

 自戒を込めて、嘉穂が言う。

 神妙な顔で、二人もまたうなずくのだった。

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