第13話 家飲み女子会
酔っ払ったときの約束といえど、約束は約束である。
そんなわけで、本日は『竜の泉』ではなく、美月の住む家での女子会となった。
「いらっしゃぁーい」
嘉穂と貴美を出迎えた美月の自宅は、1LDKのアパートだった。部屋数は少ないが、リビングが広くて、一人で住むなら快適そうな部屋である。
「広くて素敵なお部屋ですね」
キョロキョロと室内を見回しながら、貴美が言った。
「そうね、ちょっと服が多すぎる気はするけど」
嘉穂がそう言ったのは、収納やタンスがそこそこあるにもかかわらず、壁に掛けてあるスーツや洋服が多いからだった。
「見苦しくてごめんねぇ。どうしても仕事柄、増えちゃうのよね。だってほら、よく服を買いに行くお店の店員が毎日おんなじ服着てたら信用してもらえないじゃない?」
「あー、なるほど。店員さんって大変なんですね」
貴美の言葉に美月は笑って、
「まぁ、元々服とか好きだから、それもあってどんどん増えちゃうのよねぇ」
と答えた。
「ところで、キッチン借りていいかしら? 肴の材料を買ってきたから、ササッと作っちゃいたいんだけど」
嘉穂が手にしていたスーパーの袋を示しながら、美月に訊いた。
「どうぞぉ。道具や調味料も好きに使ってー」
「私は乾き物をいくつか持参しました」
「あたしも、約束通り、日本酒の『ぴんくれでぃ』をお取り寄せしておいたよ」
かくして、乙女たちの酒宴は幕を開けたのだった。
まず嘉穂が出したのはサラダだった。
「わー、綺麗なサラダですね。嘉穂さん、料理も得意なんてすごいです!」
貴美が一目見て、感嘆のため息を漏らした。
「料理なんて呼べるほど手が込んだものじゃないわよ。買ってきたクリームチーズと赤と黄色のパプリカと生ハムを雑に切って冷蔵庫にあったドレッシングで和えただけだもの」
そう謙遜した嘉穂だったが、色合いが鮮やかなので、手軽なわりには受けがいいのも事実だった。ドレッシングはわりとなんでも美味しくなるが、和風よりは洋風、例えばセパレートドレッシングやイタリアン、フレンチなどの方が合う気がしている。
「それを適当にできちゃうのが料理上手なんじゃないかなぁ」
グラスを三つ並べて、『ぴんくれでぃ』のおしゃれなラベルの四合瓶に銀色の何かを被せていた美月が言った。
「ですよね。あれ、美月さん、それはなんですか?」
貴美が訊く。
「これ? これは瓶用の保冷剤なの。冷凍庫で冷やして使うんだけど、これを瓶に着けておくと、テーブルに置いたままでも温くならないでしょ?」
それは、保冷剤をつなげて瓶のサイズの輪っかにしたようなもので、その表面が鈍い銀色をしていたのだ。
「へえ、そんな便利な道具があるんですね」
興味津々で、眼鏡を指で押し上げながら、しげしげと貴美が美月の手元を見つめる。
「ワイン用なんだけどねぇ。試してみたら、このサイズの日本酒の瓶にもピッタリで」
「なるほど、それ、便利でいいわね」
一目見て、嘉穂もそう言った。近いうちに買おう、という意思がその言葉の端々に満ちている。
「でしょ」
えへへ、と美月が笑う。そして、保冷剤を装着し終えた瓶のフタを開けて、それぞれのグラスにロゼワインのような色の日本酒を注ぎ始めた。
「嘉穂さんも座ってください」
そう貴美に言われたが、嘉穂は首を横に振った。
「もう一品作っているから、それを仕上げちゃうわ。先に始めてて」
嘉穂はそう言って、キッチンへと戻っていく。
「って言われてもねぇ」
「さすがに先に始めるのは気が引けますよね」
美月と貴美が顔を見合わせて苦笑する。
「とりあえず、私も持ってきたものを出しちゃいますね」
そう言って、貴美は持参したおつまみ類をガサゴソと出し始めた。
チー鱈や貝ひも、イカ燻などなど。
「それから、一番の目玉は──」
貴美がそう言いかけたのと同時に、嘉穂が戻ってきた。
「サーモンとアボカドのポン酢カルパッチョよ」
カットしたサーモンとアボカドを交互に重ねて並べ、冷蔵庫にあったポン酢をかけただけの簡単料理だが、こちらもサーモンのピンクとアボカドの緑が鮮やかで、見た目は手間以上に豪華である。
「これはもう、家飲みするときは嘉穂さんを呼ぶしかないのでは」
「貴美さん、持ち上げすぎ。これだって切って並べてポン酢をかけただけなんだから」
「綺麗に盛りつけられる手際だってすごい女子力だよ? それはそうと、貴美さんが持ってきた目玉って?」
美月に促されて「あ、はい」と貴美が取り出したのは、ホタルイカの素干しがたくさん入った袋だった。干からびた小さなイカが袋の中にひしめいている。
「あ、ホタルイカね、貴美さん、ナイスチョイス」
一目見て、嘉穂が言う。
「はい。これを買った通販サイトに『ライターで軽く炙って食べると美味しい』って書いてあったので、安いライターも買ってきました!」
「これは、お酒が足りるか心配になってきたわぁ」
とりあえず、準備は整った、とばかり、三人でテーブルを囲んで「乾杯」とグラスをぶつけ合う。
「嘉穂さん、頂きます」
そう言って、貴美はサラダに手を伸ばした。
「あ、美味しい! チーズとドレッシングって合うんですね。パプリカもシャキシャキだし、カラフルだから目にも楽しいし」
「そう? よかったわ。まあ、日本酒に合うかどうかはまた別だけど」
「それも大丈夫です。ちゃんと美味しいです」
ピンク色の日本酒を飲みながら、貴美が笑顔で言った。
「サーモンとアボカドも美味しいわぁ。お刺身とアボカドってこんなに合うのねぇ」
美月も嘉穂の作った肴に舌鼓を打っている。
「アボカドと合わせるなら、定番だけど、マグロも美味しいわよ。安い赤身のサクを買ってきて、アボカドとマグロをサイコロ状にザクッと切ってワサビ醤油で和えるだけでかなり美味しくなるから。大葉や韓国海苔を刻んで入れてもいいわね」
「さすが嘉穂さん。今度やってみます」
「あたしも。切って混ぜるだけなら簡単でいいわよねぇ」
「家で作るひとり分の料理なんて簡単でいいのよ。頑張って無理したら、その分だけ長続きしなくなるんだから」
言いながら、嘉穂はホタルイカの素干しをライターの火で炙った。
チリチリと熱せられたホタルイカの素干しが反っていく。そのホタルイカが炙られた熱を持った状態のまま、嘉穂は口へと入れた。
噛むほどに、ホタルイカの旨みがにじみ出てくる。さらに、温められたイカのワタが口の中に濃厚な味となって広がる。
「あ、これ、想像してた以上に危険な肴だわ……。これだけで無限にお酒が飲めそう」
ホタルイカの素干しの味が口に残っている状態で口に酒を含むと、旨みが全部酒の風味に乗っかってくる。
「イカってすごいわよねぇ。お酒に怖いくらいに合って」
「そうですね。塩辛とか、刺身とか。スルメや一夜干しも肴の定番ですし。あ、これもそうですよね」
貴美はイカ燻の袋を見ながら言った。
「納豆とか明太子と和えてもいいし、天ぷらにしても美味しいよねぇ」
「フライにすればビールやハイボールにも合うわね」
確かに、と貴美と美月はうなずいた。
「まあ、揚げ物はさておき、イカ納豆やイカ明太も簡単に作れて美味しい料理よね」
「あ、確かに」
「でもぉ」
美月が首を傾げた。
「イカって捌くの大変そうじゃない? なんかこう、失敗するとスミとかワタとかがぐしゃーってなっちゃいそうで」
「え、美月さん、丸々買ってきて捌く気だったの? 何かと混ぜるにしても刺身用の小さなパックで充分だと思うけど。なんなら、もうカットしてある刺身パックかイカ素麺とかの方が一回で使い切れて経済的じゃない?」
「なんかこう、材料選びの時点で普段料理をするかどうかの差が歴然ですね。あ、私もろくにしないんで人のことは言えませんけど」
貴美が苦笑する。
「失礼だなぁ。休みの日とか、野菜炒めくらい作るんだから」
「別に私だってそんなに料理してるわけじゃないわよ。夜は『竜の泉』で飲みながら食べるし。まあ、朝と昼は簡単なモノを作ることは多いけど」
「なるほどぉ」
感心したように、美月が何度もうなずいた。
「丸々買うとしても、スーパーでも魚屋さんでも、たいていのところはお願いすれば捌いてくれたりするわよ? まあ、イカを捌いてもらったことはないけど、私も鯖とか鰺ならときどき三枚におろしてもらってるわ」
「え、そうなんですか?」
「まあ、お店によるとは思うけど。私の家の近所のスーパーは、鮮魚コーナーにそういうサービスやってます、なんて張り紙が出てたりするし」
「全然そんなところ見てなかったわぁ」
「私もです。今度買い物に行ったとき確認してみます」
「これは個人的な考えだけど、魚を捌くのに限らず、家で作る料理なんかいかに楽できるかを優先していいと思うのよね。冷凍食品を使おうが、出来合いのソースやスープを使おうが、それで材料費や時間や手間を軽減できるならいいじゃない。頑張りすぎると疲れて長続きしないわよ」
長続きしない、というあたりで貴美と美月は心当たりありげな顔を見合わせた。
「ちなみに、嘉穂さんが考える料理のコツとか秘訣ってあります?」
「そうね、最初はなるべくレシピに忠実に作ること、かしら」
少し考えて、嘉穂は言った。
「そのためにも、極力簡単な料理から始めるべきね。最近は時短とか手抜きを推奨する趣旨のレシピ本とかも売ってるから、そういうのから始めてみるといいかも。レシピ通りに作ることを繰り返してると、なんとなく勘みたいなものが身に付いてくるから、アレンジはそれからね」
「レシピってネットとかで調べたヤツじゃダメなんですか?」
うーん、と嘉穂は少し渋い顔をした。
「ダメじゃないけど、ネットだと素人が自分で考えた料理とかも混ざってるでしょ? ごく稀なのかもしれないけど、やっちゃいけないことを堂々と載せてたりすることもあるのよ。例えば、生で食べちゃいけない食材を生で食べるレシピとかね。その点では、変なことが書いてあって問題になったら回収騒ぎもありうる出版物の方がちゃんとチェックはしてるだろうし、安心だと思うわよ。よほどダメな出版社じゃない限りは」
「そっかぁ。確かに、ネットの情報だと誰も責任は取ってくれないよねぇ」
「そうなのよ。その点、出版されてる本は責任の所在がハッキリしてるから。だから、ネットを使う場合は、気になった料理を検索し直して、プロの料理人や食品会社、調味料の企業なんかがやってるサイトに似たようなレシピがないか探すのがいいかも」
なるほど、と二人はうなずいた。何しろその成果の簡単料理が目の前に二品もあるのだから、その言葉には説得力がある。
「とはいっても、私が一番よくやる料理は、鶏肉とタマネギを切って市販のパスタ用トマトソースで煮るだけの『なんちゃってチキンのトマト煮』程度の代物だけどね」
そう言ってケラケラと笑いながら、嘉穂はまたホタルイカの素干しをライターで炙り始めるのだった。
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