第12話 〆の飯談義

 楽しい酒席もたけなわになってくると、メニューを見つつも視野に入ってくるのが「どれを食べて〆るか」ということである。

「私は断然、〆はお茶漬け派です」

 貴美がそう力説し始めたことで、その談義は始まった。

「ここのお茶漬けは美味しいよねぇ。あたしはタラコ茶漬けが好きかなぁ」

 いつもの『竜の泉』のお茶漬けは梅、鮭、タラコの三種類である。

 優しい温かさと、トッピングされた三つ葉の香りが人気のメニューだ。添えられたワサビを溶いても香りが立ってあとを引き、気がついたら飲み干すように食べ終わっているということも多々ある。

「私は鮭です。ここの鮭茶漬けのフレーク、自家製でしっとりの粗めなんですよ。ここのを味わうと市販の瓶詰めとか少し物足りなくなっちゃいます」

 貴美の言葉に、「そうね」と嘉穂はうなずいた。

「梅茶漬けも美味しいわよ。でも、そういう意味では、おにぎりもオススメよ。自家製の鮭フレークを楽しみたいなら、おにぎりの方がシンプルな分、味がハッキリわかるわ」

 おにぎりもお茶漬けと同じ三種で、こちらも〆に人気の一品である。ふんわりと握られた米が口の中でぱらりと自然にほぐれ、巻かれた海苔と具材の風味が米の味と一緒にしっかり味わえる。なお、お茶漬けにはカブとキュウリのぬか漬けが、おにぎりにはそれに加えて味噌汁が付く。

「嘉穂さんはおにぎり派ですか?あんまりそういう印象ないですけど」

「うーん、別にそういうわけじゃないけど。お茶漬けもおにぎりも同じくらい頼むかな。その日の気分やそれまでに食べたもので〆に食べたいものって変わってくるし」

「嘉穂さんは、何か一品と定食セットを頼むことが多いわよねぇ? ごはん半分とかで」

 美月に言われて、嘉穂は自分を顧みつつ、

「そうかも」

 とうなずいた。

 定食セットはその名の通り、ごはんと味噌汁とぬか漬けのセットである。単品では頼めないが、それまでに頼んだものにくっつける形で追加しても「いいよ」と言ってもらえるし、二五〇円ほど足すだけでいいので経済的だ。

 何より、酒に対して肴が余ってしまったときなどに重宝する。

 あるいは、本日のオススメの中で気になっていたけれど頼めなかった品などがあったときや、ちょっと酒との相性で頼みづらかった品を定食にするのもいい。

 例えば、以前にハイボールでつまんだ『谷中生姜の豚肉巻き焼き』などは吟醸酒をやっていると頼みにくいが、定食にすれば最強のおかずになる。

 逆に、少し酒が余ってしまったときも、おまけのぬか漬けで最後まで酒を楽しんで〆に入ることもできる。

「お酒に合う料理って、ごはんにも合うもんねぇ」

「あ、それ、わかります。この前食べた鯖のりゅうきゅうとかも、ごはんと食べても絶対美味しいですよね」

「日本酒も元々はお米だってことかしらね」

 そんな話をしながらメニューを眺めていた美月が、

「あら。このお店、焼きそばや焼きうどんなんかもあるのねぇ」

 と呟いた。

 へえ、と嘉穂と貴美もメニューを覗き込む。

「ありますよー」

 そんなやりとりを聞いていたのか、通りかかった店員の睦美が言った。

「まあ、その辺は〆っていうより、ビールと一緒に頼むお客さんも多いですけどね」

 焼きそばとビール。

 なるほど、三人はうなずいた。

「麺といえば、このお店にはないけど、あたし、お酒飲んだあとって妙にラーメンが食べたくなるんだよねぇ」

「あ、それわかります! 妙に食べたくなりますよね、昔ながらの鶏ガラ醤油ラーメン!」

 その貴美の言葉に、美月は「え?」と首を傾げた。

「違うよぉ、酔った胃にお野菜が優しいタンメンだよ」

「……お酒のあとはラーメンを食べたくなる、ってのはよく聞くけど、どっちも飲んだあとには重くない?」

「それがねぇ、ラーメンは別腹なのよ」

「ガッチリ一食分の麺料理をデザートみたいに言わないでよ」

 嘉穂はそう言って苦笑しつつも、

「まあ、でも、お酒を飲むとアルコールの分解に水とブドウ糖を使うから、水分と炭水化物を身体が欲する、ってのはあるらしいわね」

 と説明した。

「あ、やっぱり理由があったんですね」

「一応はね。でも、ほとんどの場合は酔って食欲中枢がマヒしてるだけだと思うわよ。お酒と肴でだいたいカロリーは足りてるはずなんだから」

「うっ。嘉穂さん、カロリーの話はやめてください……」

「まあ、〆で高カロリーなものを楽しみたいなら、お酒や肴は少しカロリー控えめなモノを選んで調整するべきかもしれないわね。私はラーメンは背脂系が好きで、餃子と一緒に食べたい派なの。でも、飲んだあとにそれをやるとカロリーが深刻すぎることになるから絶対にやらないことにしてるわ」

「それって、嘉穂さんも食べたいけど理性で我慢してるってことなのでは……?」

「しかもぉ、その口ぶりって、何度かそういう失敗をしちゃったことがある感じよね?」

「うるさいわね。もう金輪際、そんな失敗はしないわよ」

 嘉穂は拗ねたようにそっぽを向いた。

「でも、水分はよく言われるわよねぇ。日本酒でもなんでも、チェイサーと一緒に飲んだ方がいいって」

「チェイサーってなんですか?」

 貴美が首を傾げる。

「お酒と交互に飲むドリンクのことよ。チェイスは追いかける、って意味ね。本来はウイスキーみたいな強いお酒を追いかけるように一緒に飲む飲み物全般を指して、ビールなんかも含まれるらしいけど、日本ではだいたいお冷やのことを指すわね」

「実際、チェイサーを飲みながらだと悪い酔い方をしなかったり、翌日に影響が出にくい気はするよぉ?」

「なるほど……。覚えておきます」

 真面目な顔で、貴美がうなずいた。

「〆の話に戻ると、私、あんまり店を変えるって好きじゃないのよね。ハシゴもそうだし、ラーメンもそうだけど、それをするくらいなら一軒で最後まですませたいのよ。移動するのも面倒だし」

 嘉穂は話題を元に戻し、メニューをめくった。

「例えば、ここのお店はなんでも美味しいけど、お店によっては名物料理とか、あるじゃない? 〆にはこれをどうぞ、って自信を持ってオススメしてるような」

「そうだねぇ。あたしが知ってる中華屋さんは刀削麺っていう麺を看板に出してるよ」

「私は行ったことがないんですけど、近くの老舗の焼き鳥屋さんは親子丼が有名だって聞いたことがありますね」

「うん、そういうの。そういうのがあるお店なら、やっぱり〆にはそれを食べたいよね。あとは、冬場の鍋の最後におじやとかうどんとかね」

「あー、鍋の〆にごはんを投入したおじやとか雑炊とか、最高ですね」

「麺も旨みがいっぱい出たスープをたっぷり吸うもんねぇ」

「なんていうか、その店でしか食べられない、とか、その季節じゃなきゃ食べられない、みたいなのはしっかり食べる機会を逃さないでいきたいな、とは思うかな」

 嘉穂の言葉に、貴美と美月は深くうなずいた。

「……そういうことでしたら、これまでお出ししたことがない、次にいつ出すかもわからない〆の品があるのですが、いかがですか?」

 カウンターの中から、厳つい店主がそう声をかけてきた。

「……たぶん、お話ししていたのとは違うと思いますけれど」

 三人は顔を見合わせる。が、すぐに「是非!」と声を揃えて言っていた。


 三人の前に出てきたのは、端的に言えばデザートだった。

 シフォンケーキを中心に、周囲にカットした何種類かのフルーツやたっぷりの生クリームが添えてある。

「確かにこれは思ってたのと違うわ」

 一目見て、嘉穂が苦笑する。

「そういえば、ここってデザートは置いてないですよね」

 貴美の問いに、店主は「ええ」と首を縦に振った。

「……昔は男性のお客様が多くて、あまり需要はないかな、と。ただ、最近は女性のお客様も増えてきて、デザートが欲しいという声も少なからずありまして」

「なるほど……」

 店内を見回してみれば、今日も盛況でほぼ満席、先ほどから何組か来店した客に店員の睦美や沙也香が「満席なんです、すみません」と謝ったりもしている。そんな店内の男女比は、ほぼ半々といったところだろう。嘉穂たちの他にも、女性だけのグループもちらほら見受けられる。

「……これは試作してみたものなので、まだメニューには載せていないのですが」

「でも、いいんじゃないかしら。ほらぁ、なんか最近、〆にラーメンよりもパフェの方が人気あるってテレビでやってたもの」

 そう言いながら、美月は早速フォークを手に、シフォンケーキを切って生クリームと一緒に口に運んだ。

「んー、美味しー! ふわふわだぁ」

 に手を添えて、美月が幸せそうな声を上げる。

 嘉穂と貴美も同じように一口食べてみた。

 ふんわりしっとりとした食感、シフォンケーキが甘さ控えめなので、クリームを一緒に食べても重くなりすぎない。そして、ほんのりと独特の香りが──。

「あ、ホント、美味しいです。このくらい甘さ控えめなら、男の人も好きかも。でも、この香り、ちょっと変わってますよね……?」

「日本酒だわ」

 首を傾げた貴美に代わって、嘉穂が言った。

「……さすが片菊さん」

 店主が嬉しそうに笑った。

「え、日本酒!? シフォンケーキに日本酒を使うんですか」

 驚く貴美に、嘉穂は笑って、

「わりと有名な酒造もやってるわよ。獺祭とか八海山とかを使ったケーキ、探せば普通に売っているはずよ」

 と説明した。

「へー」

「まぁ、ブランデーを使うケーキとかがあるんだから、日本酒を使っても、そんなにおかしなことでもないわよねぇ」

「なるほど……。言われてみると、日本酒の香りですね……」

 二口目を丁寧にみながら、貴美がうんうんとうなずいている。

 と、近くの席の女性が三人の日本酒ケーキを見て、

「え、そんなデザートがあるんですか!? 美味しそう!私も食べたいです!」

 と言い出した。

 その声に反応して、店中の視線が嘉穂たち三人に集まった。

 そして直後、あちこちの飲み終わりそうな席から、女性のみならず男性客のテーブルからも「デザートがあるならくれ」という声が上がり始めた。

「……いえ、その、試作なのでそんなに数がなくて」

 店主の返事に、不満や残念がる声が上がる。

「これはどうやら、正式に新メニューになる日は近そうね」

 そう言って、三人はくすくすと笑うのだった。

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