第19話

 恨みや怒りはもう言葉にならなかった。目の前にいるのは懸想していた男だった。男はボロボロで、ズタズタだった。だからしずねは優しい目で彼を見つめて言った。


「病院に行きましょう? もういいんです、許します」


 式神はだらりと脱力していた。がくりと頭を下へ落としたまま、口を開く。


「……許す? 許すっていったいどういうことです? わたくしの上に立っているつもりなのですか、しずね?」

「―――ッ」


 様とつけなくなった式神にしずねは心を痛める。


「そもそもわたくし、なにひとつ悪いことなどしていませんが」

「しき、がみ……」


 あまりの断絶にしずねは息を呑んだ。憧れていた男の悪魔のような精神の発露。


「ふむ」


 式神はしずねを見上げた。


「でもまぁ、そんなにしずねさん――しずね様のことは嫌いではありませんでしたよ」

「―――……」


 好意を意味する言葉に、しずねの心は真っ白になった。初めてだ。初めて、式神はしずねへ好意を伝えた。衝撃的だった。衝撃的だった故に、式神の変能が刺さって意識が吹き飛んだ。


「ああ、残念でございます。破滅こそが美しく、自滅こそが麗しい。そしてそれを跳ね返すお嬢様こそもっとも愛おしい。―――あともう少しでございましたね。《眠れ》」


 聡は隣で式神の変能を喰らい、ゆっくりと倒れたしずねをちらりと横目で見ながら、式神を嘲笑する。


「おいおいわかってるだろぉ? 常盤の令嬢を攻撃したってさぁ意味ねぇんだよ! 式神さんよ、負けたのが悪いんだよ!!」


 しずねの心を吹き飛ばしたのは、悪あがきというわけではないのだが。それが式神の怒りを刺激する。こんな男が、己の同属の渇きを癒したというのだから。

 式神は、お嬢様を得られなかったというのに。


「ほんと……性格が悪いだめんずでございますね。は…い、わたくし、勝てませんでした……ああ、あのクソッタレの吸血鬼、ホント、うらやま、し……」

「ふん、わかりゃいいのさ」


 ごそごそと総が執事の懐を漁り、人形のパーツを三つ取り出そうとする。


「ですか、ら……」


 キラン、と執事の目がひかり、優しく聡の顎に指を添えて、彼の顔をホテルの側面に向けさせた。聡の視界にメイド服の式神が現れる。


「ぶふっ……あっ」

「《気絶しろ》」


 その命令は心が空白になったしずねと聡にするりと入り込み、絶対の命令となる。

 どさりと聡としずねは式神の隣にうつぶせに倒れた。


「……ですから、引き分けに、します。本当の手品というものは、タネが割れても人を圧倒するものなのでございます。故に児戯と評するのは完全な間違いだと知りなさ、い……」


 式神は立ち上がる。勝ちではない。引き分けだ。アレは、オールドローズは、聡は、しずねは、。屈辱的な話だが、式神はそれを理解している。誤魔化すつもりも皆無だ。さら加えて勝鬨をあげるには、式神はダメージを受け過ぎている。

 だが、引き分けだ。

 彼らを制した。式神はまだ動ける。チャンスはこの手に三つもある。

 現場へ行けば、パーツが揃えられるかもしれない。敗北と呼ぶには恵まれすぎている。

 ならば行くしかない。式神はよろよろとホテルへと向かおうとした。

 その行く先に、小さな少女が立った。


「ねぇ……」

「は、い……?」


 式神の前に立ち塞がったのは、幼い少女、佐々木蛍だった。


「彦星くんが、どこにいるか知ってる?」

「―――………」


(誰?)


 式神は蛍を知らなかった。ダークスター(彦星くん)が蛍を保護したのは式神から逃げ出した後だった。ダークスターと別れた後、蛍は一人庭園を彷徨っていた。そしてようやく見つけた人物に、彼女は話しかけたのである。傷だらけの執事を心配するよりも先に彦星くんの行方を聞いてしまっているのは、それだけ蛍にとって彦星くんが大事なことの証だった。

 だがそんなことを知らない式神は一から推察するしかない。


(ほんとにどちら様でございましょうか? 人形を抱えていることから、銅像化のルールから逃れたのは理解できるのですが……あれば人形という概念を強く意識していれば逃れられるものですからね……というか彦星くん? 彦星くんとはいったい? ああ、あの着ぐるみの……偽物のわたくし。小さな少女、妹……)


 式神はにっこりと微笑んだ。


「知りませ」

「あああああ!! 蛍ちゃん! 危ないよ!! そいつから離れて! ぼく、その執事にぼっこぼこにされたからさぁ!」


 ガサガサと木々をかき分けて現れたのはもう一人の式神だった。蛍は驚く。


「………え? おんなじ人が二人……?」

「え? うわわ、そうだった! そうだった!」


 偽式神が変身し、着ぐるみの彦星くんに変わる。蛍は素直に喜んだ。彦星くんが変身できることを蛍は知っている。なにせ彼女の目の前で彦星くんは巨大な牛に変わったのだ。あんなことができるのだから人間に変身することできるだろう。


「彦星くん! よかった!」

「蛍ちゃんも無事でよかった……! ってだからそいつから離れて!」


 蛍ちゃんと呼ばれた少女はキッ、と式神を見た。式神は柔らかな微笑を浮かべた。

 妹はルカジャンに強化を受けている。目の前の少女はどう考えても年下の妹の範疇だろう。

 一言だ。一言罵倒すればこの少女は無力化できる。


「『だま――』―――!?」


 バコンと式神の顎が跳ね上がった。式神はたたらを踏む。


(なんだ? なにがわたくしを妨害――人形!?)


 式神が空に見たのはオレンジ色のドレスを聞いた人形だった。蛍が抱えていた人形、ミーちゃんである。ルカジャンが人形の妹をより強化したため、ミーちゃんは極めて強力な自立行動が可能になっていた。

 だが、ルカジャンとは遠く離れた場所にいる者には知る由もないことだった。

 蛍は……式神の悪意を幼心に感知した。彦星くんが危ない奴というからには危ない人なのだろう。ミーちゃんが、攻撃したということは、絶対に悪い人なんだろう。


「彦星くんを……いじめるなぁ!!」


 式神は恐れ、そして怒った蛍に両手で押された。見も知らぬ、ルカジャン・ゲイリーが強化した、妹である佐々木蛍にである。

 式神はオールドローズに殴り飛ばされたのと同じくらいの勢いでぶっ飛んだ。ズシャーと地面を滑ってその場に横たわる。


「……えっ?! ―――」


 蛍は自分がなした異常な出来事にショックを受ける。式神に関連する精神的な衝撃。蛍の心は真っ白になった。式神は気絶する寸前に、震える手をあげて大声で告げた。


「……《“人形”にかんしてぜえんぶ、忘れろ》」


 カチンと蛍は固まった。そしてあっという間に銅像と化す。人形を強く意識していることが銅像から逃れる条件だ。


「ま、負け、負け、わたくし、負けて……な……い……」


 式神はこれにて引き分け、と満足げに意識を失った。半死半生のごとき有り様でも、年端も行かぬ少女を相手にしても式神彩人は容赦なしに外道で、負けず嫌いだった。


「わぁあああああああああ! お前ぇぇぇぇ!!」


 ダーススターは彦星の姿のまま走ろうとするがよちよち歩きしかできなかった。故にダークスターは変身する。彼はトレンチコートと白仮面の姿に戻った。デフォルトのダークスターは蛍を触る。彼女は銅像となっていた。他の大人や参加者と同じように。


「う、ううう、大丈夫かな? 大丈夫だよね。ああ、見知った相手がこうなると不安になる……いや見知ったというより可愛い相手?! ていうかぁ!」


 ダークスターはバタバタと走って完全に意識を失っている式神の元まで行く。包帯が千切れ、体中傷だらけ、執事服も破けていた。それでも式神は微笑んで気絶している。


「起きろ! 蛍ちゃんを元に戻せ!」


 バシバシと式神の頬を叩くが、彼は脱力しきっていた。


「うゆ? うゆゆ!」


 ひたすら執事の頬を叩いていたダークスターは、式神の懐から人形ミクロコスモスのパーツを見つけ出した。左腕、右足、左足の三つだった。

 そしてようやくダークスターは自分が願いを叶えるためにショコラガーデンへ来ていたことを思い出した。


「……うへ、うへへへへ!! ラッキー! こりゃぼくにも運が向いてきたかな? お腹が弾け飛びそうなほど痛いけど!! あ、でもどーしよっかなぁ。願いは蛍ちゃんを元に戻すことに使うことになっちゃうのかな? 誰に聞けばいいんだろう? ていうか他のパーツはどこにあるのかな?」


 あっちかな? こっちかな? とキョロキョロ挙動不審な行動をしながらダークスターはホテルへと向かった。


 フェリティシアは動物の群れをいなして地面に縫い付けることを繰り返していた。

 だが。


「くっ……!!」


 大狼がフェリティシアの側面に着地、彼女の頭を噛み砕こうとした。フェリティシアは盾のごとき組み上げた無数の人形で大狼の横っ面を弾き飛ばす。

 大狼はその勢いに逆らわず、木々の向こう側へと消えていった。


「ああ、もう、なんて小賢しい!」


 一撃入れようとしては、離脱。一撃入れようとしては、離脱。大狼は他の動物銅像たちは違い、意識の間隙を縫って嫌らしく立ち回ってくる。それは戦術的ということだった。


「ああ、壊したい! でも破壊は駄目なんだよね! さっき私、壊されたから知ってる!」


 自爆人形を使って、ルカジャンの不興を買い、体を破砕されたのは記憶に新しい。もし賢一がカバーしてくれなければ、八つ裂きにされていただろう。

 人が作って使った自爆人形すら妹と解釈して激昂するのだ。ここで関係が深そうな妹を壊したら、何が起こるかわかったものではない。


「あーもう!」


 フェリティシアは上空から鉤爪人形を雨のように降らした。互いに糸で繋がった

鉤爪人形たちは、銅像たちを縫い付けて縫い付けて――。

 ガリッ、と何かが削れる音がいた。聞き慣れた音だ。壊しはしないが、銅像の表面を削ってしまうのは何度か繰り返している。

 聞き慣れていても、起こった現象は禁忌の一つだった。

 大狼の足には、『アルテミス』”我が兄に捧ぐ” ケイリー作というプレートが取り付けられていた。

 そのプレートが、盛大に鉤爪で傷つけられていた。


「―――あー、ミス・アルテミス?」

「―――――――――――――!!!!!!」


 銅像は吠えない。だがフェリティシアには悲痛と激怒に満ちた虚空の叫び声が聞こえた。

 ケイリーが作ったアルテミスアルテミスが誇ったケイリーの証。それが壊されたことで、大狼は殺意を漲らせた。

 大狼はその足を自壊させるレベルでフェリティシアへ飛び掛かり。


「はやッ―――」


 甲高い金属音を立てて、フェリティシアの肩から上が噛みちぎられた。

 フェリティシアは倒れる。

 大狼と動物たちはフェリティシアの身体へ殺到して、貪り始めた。

 その寸前、セリーヌがフェリティシアのハートを持って飛び出した。小さな身体で急いで、木陰へ向かう。

 木陰には、先ほど賢一が投げた四角いカバンがあった。セリーヌはそのカバンを開けて、ハートを持ったまま入り込んだ。

 それを見ていたのは兎だった。兎は跳ねてカバンの前まで来ると、それを噛みちぎろうとして――真っ二つになって地面に倒れた。

 大狼と動物たちはいっせいにカバンの方を見る。カバンが開いて――そこから黒衣の人形が起き上がった。

 そして、その黒衣の人形は目を開く――青い瞳だった。


「胸が小さすぎるね。腰つきは綺麗だけど、スレンダー一辺倒は趣味が合わない――」


 フェリティシアは右手に持った大剣を動物の群れたちに突きつけた。


「でも悪くはない。いい人形だよ―――そもそもさ、良い人形に配慮するのはいいんだけど、なんで私が貴女たちに慮らないといけないの? 私が乗るのは人形の話だけだよ。

 もう、気にしない。逃げなよ、アルテミス一同。引くなら、私は――何もしない」


 大剣を振るって、周り、踊るように動く。そのフェリティシアが作った人形が軍団を作り、その先頭に、大剣を振るうことに最適化された黒衣の身体を持つフェリティシアが立つ。


「でも、来るなら、壊すよ」


 大狼と動物の群れはフェリティシアへ向かって一斉に襲い掛かった。


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