第14話
フェリティシアは人形を操り、捕まえた彼を持ちあげる。しばらく漆黒のネズミ科は暴れまわっていたが、諦めたのか、だら~んと力を抜いた。
同時にその姿が変わり、襟を立てた漆黒のトレンチコートの、仮面の少年が空から人形たちに吊り下げられた状態になる。
元彦星くんは息も絶え絶えな様子だった。
「はひゅー、はゆー……」
「よぉ」
「こひゅー……、や、やぁ……?」
仮面の少年の身体は一見無傷だった。だが彼の呼吸は荒く、浅い。どうもかなりのダメージを負っているようだった。フェリティシアが操った鉤爪人形の爪が刺さったわけではない。継続的に受けたダメージを我慢して、式神に化けていたらしい。元の姿(?)に戻って疲労や痛みがぶり返したのだろう。
賢一は脱力してぶら下がっている仮面の少年に向かって名乗った。
「俺の名前は冬川賢一だ。でー……」
「はいはい、私はフェリティシア・ルノアール、ね。あなたの名前は?」
「……ひゅー、ダーク、はふゅー……スター……」
息も絶え絶えだったが、なんとか名前は聞き取れる。
「ダークスター? クールな名前だな」
彦星くんに化け続けていた仮面の少年……ダークスターはしばらく沈黙していたが。
「ふひ、ふひひ、ありがと……? 男に言われてもぜんぜん嬉しくないけどね!」
そんな風に、ダークスターは憎まれ口を叩いた。賢一はダークスターの様子を窺いながら同盟の提案をする。
「なぁダークスター。俺たちは協力し合う必要があるんだ」
「うゆ?」
ダークスターは思ってもみなかった言葉に顔をあげた。仮面で顔を隠しているため表情はわからないが、興味は持っているようだった。
「あのセキュリティルーム……地下でお前も見ただろう? あの男はかなりやべぇ」
「………執事よりも? キミたちよりも?」
地下の暗闇で不覚をとった、あの眼鏡をかけた王子様然とした男をダークスターは思い返す。
(でもやっぱりあの執事とかー、目の前で吊り下げられたぼくに対して同情心ひとかけらも感じてないキミらリア充の方が危険ミャーックスな気がするけどなぁ)
ダークスターが考えることなど知らず賢一は説明を続ける。
「ああ、間違いなくだ。あいつは有機物無機物問わず年下の女性……妹を強化する能力が…………」
「年下? 若い? ん、んんん、となるとあの子が……?」
ついダークスターは口を挟む。年下の、女の子といえば、あの子である。
「あの子? ああ、貴方が連れてたあのちっちゃい子? ……ちっちゃい子!?」
フェリティシアはバッと周辺へと視界を巡らせた。そのものずばり合致する妹像だった。彼女も強化されている可能性があると人形遣いは警戒する。
「……ちっちゃい子? あー、そういや、フロントでダークスターの後ろに、なんかいたような……?」
賢一も同じように見回すが、そこには誰もいなかった。
「どうしたんだ、あの子?」
その質問にダークスターはイヤイヤと首を振る。
「言、言うわけないだろー! なにされるかわかったもんじゃないよ! 貴様も蝋人形にしてやろうかってことになったら悲劇だよ! 鬱漫画だよ!」
ダークスターは蛍の居場所を知らなかった。式神に化けて、賢一とフェリティシアをうまいこと言いくるめて佐々木蛍を探させようとしたくらい知らなかった(攫われたお嬢様を探すという執事っぽい言い回しで騙してやらせる予定だった)。しかし知っていたとしても言うはずがない。自分を含めて変能とか、変能に当然のように付き合える奴は異常者である。美しい黒衣の少女人形を操る賢一に、女の子を人形にする趣味がないとも限らない。
「いやしねぇよ! 失礼だな!!」
賢一は強く否定する。心外だった。彼はこれでも人間の意思を尊重し、尊重するが故に意思が有るよりも無い方を好む筋金入りの人形性愛なのである。
「人間なんかより人形の方が可愛いもんなー? なぁ三日月―?」
そう言って賢一は傍らに浮かべている黒衣の人形の肩を抱いて快活に笑った。ダークスターは棒読みで応えた。
「うわー、変態さんだひ、怖い」
「怖い言うな。テメェだって
賢一はふと後ろを振り返った。そして彼の表情は強張った。
「……フェリティシア、逃げるぞ、その束縛、離してやれ」
「何を、いえ、わかったわ」
フェリティシアは鮮やかに糸を操るとダークスターを人形の束縛から解放した。ダークスターは仮面をつけた頭をあどけなく傾げる。
「うゆ? ぼく逃げるよ?」
「ああ、この場からちゃんと逃げろよ。言うべきことは言った。後はノリでなんとかしようぜ!」
賢一はフェリティシアを連れて脇目もふらずに逃げ出した。
ぽかーんとダークスターはそれを見送ると、肩を竦めた。
「よくわかんないや、あの人たちを利用して蛍ちゃんを探せるかなって欲かいちゃったけど、とりあえずまずはちょっと休んであの子を……うっ。はぁ……はぁ、すっごい痛い、……ていうかあんだけ色々あったのにまだお腹が一番痛い…………」
ダークスターは身体を掴んで屈む。正直動くのも辛い。しゅるしゅるとまたダークスターが変身し……再び現れたのは執事、式神の姿だった。ダークスターにとっては忌々しい姿だが、仕方ない。
「ぼくが被れる皮で……というか仮装可能な生き物の中で、一番身体能力が高いのこいつだからな……少しはマシだろうね……。ぼくが悪いことしても罪を擦り付けるし!」
うひひ、とダークスターは悪ぶった。オールドローズに化けてもただの少女にしかならない以上、素の人間のボディで強靭な式神に化けた方が、彼にとっては都合がよかった。
屈んだまま深呼吸しつつ、ダークスターは先ほどの賢一たちとの会話を思い返す。
「そ、そういえばあんまり心配しなくてもいいかもしれない。『妹』の強化なら蛍ちゃんも強くなってるはずだし、『妹』同士で傷つけ合いもしないはず。う、うん、ちょっち安心した」
ぶつぶつと独り言を呟いて安心したダークスターはなおも屈んだまま独り言を続ける。
「良いこと少ないけど……でもで、でも頑張らないと……”ぼくを除いた全人類の仮面、ぬいぐるみ着用の禁止”のためにね!! ぼくだけが、姿を見せず、ぼくだけが一方的に、姿を見れる……相手の女の子が僕のこと見えないまま、ぼくは女の子に仲良くするんだ……。 は、はぁはぁ、興奮してきちゃった。仮面と着ぐるみって素晴らしい!」
例にもれずダークスターも変能だった。彼も筋金入りの異常性癖の持ち主。主体仮装性愛とでも呼ぶべき妙ちくりんな性癖が、変身能力に結びついているのだ。
ようやく一息吐いたダークスターは植木に背を預けて座り込む。疲れがピークに達すると独り言が多くなる、欠点極まりない悪癖をぶちまけて休んでいる内に、少し楽になったのだ。だがまだ立ち上がるまではいかない。
緑に頭を押し付けるように寄り掛かって深呼吸していると、急に手の甲がかゆくなった。
「うっ、蚊に刺されちゃった、かゆい……」
ぷーん……と蚊が遠くへと去っていく。七月七日の、夏も夏だ。外で身動きを取らなければ蚊に吸われることもある。ダークスターは植木に寄り掛かった姿勢から減らず口を叩いた。
「ふ、ふん! 今回は見逃してあげるよ! だから後で女体化して恩返しに来るといいよ、ふひひ」
減らず口というか、妄言だった。ダークスターはしばらくして立ち上がろうとすると、ドドドドド……という地響きが近づいてくることに気づいた。
「……? ……なんだろ?」
賢一に一つ予想外だったのは。
あれだけあからさまに逃げ出した賢一とフェリティシアに疑問を持たず、彼と同じように空を見上げず、逃げろと言われてもその場で休み続けた、ダークスターの疲労度と暢気さだった。
執事は庭園を走っていた。縦横無尽に道を駆け、植木や岩を超えてただ走る。彼は全速力だった。
背後から迫るのは銅像の動物たちだった。犬、猫、兎、多種多様な動物の群れが執事を追跡していた。ショコラガーデン自慢の銅像たちが、彼を生き生きと追いかけている。
いや、生き生きと言っても、彼らは変わらず銅像だ。いかなる原理か、彼らは銅像のまま動き、獲物を捕らえんとしていた。
賢明なる読者諸君に、全てを納得させる訂正を入れたら、彼らというより、彼女らが、と言ったほうがいいだろう。
そうして夜の街を駆けていると、向こう側からも一人の男が走ってくる。それを見て、執事は驚いた、なんということだ、自分がもう一人いる! と。さらに悲嘆すべきは、もう一人の自分の後ろから迫る、猛威であった。
巨大、ただひたすらに巨大な、身の丈十メートルに届くのではないかと思われるほどの銅像の狼が背を低くし、こちらへ向かってきているのだ。つまりもう一人の自分もまた、執事へ向かって走っている。
もし、十九時前のうちに落ち着いて巨狼の銅像を庭園で見たのならば、彼女がゲイリー家から送られた製作物であると気づけたことだろう。
そうでなくとも、彼女の足には、『アルテミス』”我が兄に捧ぐ” ケイリー作というプレートが取り付けられていた。
ほんの少しだけ執事は逡巡し――さらに速度を上げて駆けだした。
そして、目の前に迫るもう一人の自分に微笑みかけ、肩に手をやり―――式神は全力でボディブローを放った。精神的衝撃を与えることすらない、物理的アタックだった。
式神から見れば、もうひとりの自分は心に対する攻撃へ警戒しすぎて物理をおろそかにしていた。典型的な自分にしてやられた後の敵の反応だった。故に責めっ気しかない式神にとってはカモのままである。
「ポピュッ!? ……おま、一度ならず、二度ま……でも」
そしてかくりと気絶する偽物執事ことダークスター。しかし変装は解除されなかった。彼は倒されても、仮装は解けない。生涯、顔を隠すことを性癖レベルで徹底しているためだ。
ちなみに式神、二度までも、というセリフでもう一人の自分があの彦星の着ぐるみだったことにようやく気づいた。
「便利そうなので、お身体借りさせていただきますね」
式神は自身とまったく背丈が同じな人型の物体を肩に担ぐ。前方から巨大な狼が、後ろから実寸大の動物群が迫り、さらに重りすら抱えながら、本物の執事はまったく超然としていた。
「パーツの共鳴なしに隠れ潜んでいたわたくしを見つけた理屈はよくわかりませんが、これで追い詰めているつもりだとしたら、まだまだ甘い」
(前方の巨大な狼の股下をくぐることは悪手。伏せられれば押しつぶされる、座られれば壁になる。故に取るべき手は―――)
後ろから飛びかかってきた犬の一匹の首根っこを、式神は掴み取った。
「――ッ!?」
声帯も命もない銅像の犬の目が見開かれる。
「硬い身体を充分活かしてわたくしを守ってくださいね!!」
その掴んだ銅像の犬を盾にして、全身を守るように式神は動物の群れに突っ込んだ。金属同士が弾ける音と共に圧力がかかるが、その全てを力押しで吹き飛ばしていく。しかし、それはもはや銅の壁に体当たりを繰り返すようなもの。さらには爪や牙のおまけつきだ。
銅像の犬とついでに偽物の自分を盾にしているとはいえ、打撲はもちろん、大小を問わずの裂傷が式神に刻み込まれた。ホテル七階から落ちた時も植木がクッションになったとはいえ、それなりにダメージだった。極めて短時間に式神は打撲と傷をいくらか受けた。
だが式神は致命傷を負うこともなく、まだ活力にあふれていた。
彼は銅像動物の群れを抜けて、続けて掴んでいた一匹の犬を放り出す。
そして前傾姿勢でもって走り抜けて、逃げる。もちろんボロボロの偽物の自分を抱えたままで。
「あー、もう、走りながら応急処置はさすがに面倒かと存じます……。万一傷痕が残ったら金つぎ込んで消しませんとお嬢様に顔向けできませんねこれは」
執事の嗜みとして、どこからともかく水筒を取り出し、全身にぶっかけ患部を包帯で巻きながら執事はただひたすらに走った。
そしてついでにもう一人の自分から
この執事、どこまで追い詰められても、ただでは起きない。式神は現在、左腕、右足、左足の三つのパーツを持っている。三つのパーツが共鳴する。式神にとっては四つのパーツが近くにあるという証だった。
「よし、群れを全部擦り付けた後、パーツを奪いましょう」
そしてこの執事、どこまで追い詰められても、加虐性を光らす外道であった。
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