第12話
再三語るようであるが、変能というものは理不尽で、埒外だ。一人の変能がいるだけで、世界には消えない爪痕が刻まれる。式神はたった一人で、心あるものを奴隷にできる。彦星くんと呼ばれる、この変身する変能は、たった一人で、なんにでもなれるのだ。
人形師と人形遣いは式神に優位であり、式神は彦星くんに優位であり――彦星くんは人形師と人形遣いに優位だった。
「モォオオオオオオオ!!!!」
脅しつけるように――遠くへ離れろ! とでも言うように猛々しく鳴く巨牛は扉の枠を破壊しようとガンガン身体を押し付ける。扉以上のサイズであるため入れないが、壊れるのは時間の問題だった。
フェリティシアは叫んだ。
「賢一! 巻き込みましょう!」
「上じゃなくてか!?」
「この際乱戦の方がいいよ!」
賢一とフェリティシアは後ろへ振り返ると、階段を駆け下りていった。
巨牛と化した彦星くんはサイズを三分の一、一メートル程度に変えると扉を潜り抜けて彼らを追う。
小型化できるなら逃げられる前にしろという話だが、蛍のために賢一たちを遠くへやるのが彼の第一目的だった。大きさで威嚇に、とにかく賢一たちを蛍から引き離す。
えげつないピンチに陥った人形好き二人と、蛍を巻き込みたくない彦星くんの思惑が合わさり、追いかけっこは地下のセキュリティルーム前まで続く。
賢一はセキュリティルームドア前で両手を胸の前に沿え。
「わりぃ! 巻き込むぞ! ルカジャン!」
賢一は三日月をカバンから飛び出させる。三日月の大剣がセキュリティルームのドアを切り裂いた。
そして賢一とフェリティシアは転がるようにセキュリティルームへ入り込んだ。
セキュリティルームには画面がずらりと並んでおり、ホテル中の映像を中継していた。
部屋の片隅には警備員らしき人物が銅像となって転がっている。倉庫も兼任しているのかコップやヤカンなどの備品や掃除用具などがロッカーに収められている。
そのセキュリティルーム中央の座席には、男が足を組んで座っていた。
銀縁眼鏡の男だった。その服装はパーティの時と変わって異様だった。青い詰襟に豪奢な白いマントを羽織って、傲慢な態度。
まるで戯画の中から飛び出してきた王子様のような男――ルカジャン・ゲイリーは監視カメラの画面から目を離すと椅子ごと振り返った。
ルカジャンは侵入してきた賢一とフェリティシア、そして後からついてくる巨大な牛を見返した。
「来たか」
二十時。ルカジャンの言葉と共に録音されていたアナウンス音声が流れ始める。予め設定された消灯点灯イベントは未だ続いている。
『皆さま、明かりを落とさせていただきます。足元に気を付けて、その場から動かないようにお願いいたします。では、消灯します』
監視カメラの画面が一斉に暗闇に切り替わる。ホテル全域の明かりが落ちた証だった。セキュリティルームの明かりは――。
「ショコラ! この部屋も消してくれ!」
ルカジャンの声と共に、なぜかセキュリティルームの照明も消えた。地下に注ぐ明かりもなし。セキュリティルームは一寸先も見通せない暗闇に包まれた。
「ぐっ」
「ちょ」
「うゆっ!? 何も見えない!?」
「ははは、安心しろ、俺も見えんぞ! だが見えなくても問題ない! ショコラ、ショコラ、愛しいショコラ、キミを傷つけた彼らを――懲らしめるといい! 一人残らず全員だ!」
賢一はルカジャンの口上を聞いて、咄嗟に薄い糸を周辺に散らした。庭園でフェリティシアを見つけるのに使った手だ。この暗闇に乗じてルカジャンはセキュリティルームへの侵入者を一網打尽にするつもりだ、と賢一は構える。
全身の神経を尖らせた賢一はすぐに気づく。プチプチプチプチと糸が一斉に切れていく。手応えとしては、
物が、物が、物が、多くの物品が宙に浮いている。
(サイコキネシス? いやなんだこれ!?)
その宙に浮いた物品たち――コップとカップ、箒がその中に混じっているのは確認できたがそれ以外はわからない――は賢一とフェリティシア、ついでに暗闇の中セキュリティルームへ突っ込んできた巨牛こと彦星くんに殺到した。
賢一はフェリティシアの前に回り込むと三日月を振るって、その物品全てを切り捨てていく。
「どうしたの? なにがあったの!?」
明るい空間から突如一筋の光も差さぬ暗闇となったため、フェリティシアは一切視界が利かなかった。だが大剣が空気を切り、物品が豪快に断ち切られる音はしっかりと彼女にも聞こえていた。
「物が飛んで来てんだよ!」
三日月の大剣を、極細な糸が切れるタイミングに合わせて振るっていく。賢一はフェリティシアを守っていた。
「いた、いた、いががががががが!? モォ!?」
だが彦星くんを守るものは何もない。巨牛の身体へ連続的に物品が衝突する。
たまらず彦星くんは小さな黒いネズミ科の生き物に変身するとセキュリティルームから逃げ出した。ネズミは夜行性であり、目は悪くともヒゲや体毛といった触覚で環境を敏感に感知し行動することができる。
バタバタと階段を駆け上がっていく小さな足音を聞き流しながら賢一は油断なく構えた。ルカジャンは賢一たちへ話しかける。
「なんだ、賢一。フェリティシアを連れて逃げないのか?」
「この暗闇でか? 流石に勢い任せで突っ込んだ部屋の構造なんか覚えてねえっつの! ていうかルカジャン、そういう口調だったのか!?」
賢一のすっとぼけたセリフを耳にしても、暗闇の中で王子様然とした銀縁眼鏡の男は冷酷な態度だ。
「戦わずに済めば越したことはないからな、丁寧に応じたまでだ。だがお前たちはここへ来た。俺を巻き込んだ。ならば良し――私も動こうではないか」
ルカジャンは椅子から立ち上がった。暗闇の中でマントが翻る。
「俺は妹のためにこの祭りを手中に収めるぞ――兄という生き物はな――妹のためならばなんでもできるのだ」
ルカジャンは両手を広げた。
それを合図にしてセキュリティルームに存在した全ての小物が、さらなる勢いを伴って賢一とフェリティシアへ迫った。
一人で階段を上っていた式神はホテル全体が揺れていることに気づいた。上へ上へと移動していく中で、揺れが大きくなっていく。
「ん、地震にしては揺れがランダムに過ぎるような……?」
式神は不思議そうに首を傾げる――するとその瞬間、階段の手すりがぐにゃりと曲がって式神を弾き飛ばした。ピンボールのように跳ね上がった式神は階段の踊り場にある窓を破って外へと叩きだされた。
式神の視界一杯に満月から数日過ぎた月と綺麗な夏の夜空が広がる。
「はれ?」
式神は間の抜けた声を発しながら、地上七階から真っ逆さまになって庭園へと落ちていった。
オールドローズは首がもげたまま意識を取り戻した。人間のスケールを超えて戦場をさまよい続けた吸血鬼の直感が、荒事の前兆を察し彼女の心を取り戻したのだろう。
大砲で吹き飛ばされる寸前の荒れ地のような、空虚さと危険さをオールドローズは目覚めてすぐに感じ取る。
首だけ吸血鬼は眼球だけで周囲を観察する。異常はすぐに見つかった。褐色のカーペットだ。褐色のカーペットがひとりでに起き上がって、絨毯の端の部分が自身を見つめていた。
「おいおい、なんじゃそりゃ」
端的に言えば。
客室前廊下に敷かれていた落ち着いた色彩の絨毯が、蛇のように身体を起き上がらせていた。
目も鼻もないカーペットの蛇は、床へ転がっているホテルを荒らす敵どもを潰そうと、狙いを定めている。
その敵であるところのオールドローズは、哂った。
カーペットが本体である布をしならせ、パァンッ! とオールドローズの頭部があった床を叩きつけた。
だがその前に吸血鬼は自身の肉体を全て……首と胴体をそれぞれ赤蝙蝠に変えた。数匹の蝙蝠が絨毯と接触したことによって弾け飛び、血の霧と化したが大部分は無事だった。
赤蝙蝠たちは気を失っている聡と……ついでに常盤しずねに纏わりつき、彼らを抱え上げて羽ばたく。
赤蝙蝠の塊は窓を割って外へ出るとバタバタと騒がしく羽ばたき続けた。
彦星くんは痛む全身を押さえながら、カウンターがあった場所からフロントへ飛び出した。人影はない。
(蛍ちゃんはちゃんと逃げたのかなぁ、無事でいてくれるといいんだけど? 恩返しは素敵なァ、サービスが欲しいなー! なー!)
漆黒の齧歯類はガラス張りの自動ドアから外へ出ようとした。が、あまりにも小さすぎて、自動ドアが反応しない。
「ぐぅ! じゃあこれだ!」
彦星くんは人間に変身した。漆黒の人影は自動ドアの前に立つ。反応しない。
(え? なんで開かないの?? 停電? 違うよね? 灯かりが消えてるだけなんじゃないの?)
困惑する彦星くんは暗闇の中、自動ドアのガラスに映った物に戦慄した。
彦星くんの背後にはカウンターの残骸が浮遊していた。
鋭く尖った木片が、金属製のベルが、ペンの尖端が、彦星くんを狙っている。
「うぎゃああああ!!」
彦星くんは自動ドアを人間の身体で無理やりにぶち破ると、背後から迫ってくる凶器の集合体から全力で逃げ出した。避ける、避ける。カウンターに置かれていただろう名前を書くためのペンが肌を掠る。
ひぃひぃと怯えながら、外へ、外へ、外へ! ホテルの外へ! だが……。
「門が締まってるぅううう!!」
驚くべきことに、ホテルショコラガーデンの鉄柵が閉じられていた。閉じられているだけではなく……ガチャン、ガチャンと鉄柵がひとりでに動いている。まるでここから出ようとする何かを食いちぎる練習をしているようだった。
「門がぼくを殺そうとしてるよん!? ……、い、いや、問題ないもんね! 大ジャンプして飛び越えればいいだけ……うひぃ!」
彦星くんの背筋に冷たいものが走り、彼はもんどりうつように横へ転がった。彦星くんが先ほどまでいた場所にレンガがドン! と落ちた。
ショコラガーデンホテルと外を隔てるレンガ造りの壁を構成する四角い塊の数々が射出されたのだ。
慌てて逃げる彦星くんを追って、当たったら重症確実の殺意を練り固めた建築材料がバコバコと地面へ突き刺さっていく。
「ひえぇ……どどどど、どうしようっ……」
どうすればよいのか。どんな者にでも化けられてるとはいえ、それは無敵を意味しない。ダメージは継続され続ける。この超人的身体能力を持つ身体でも、レンガを喰らったらひとたまりもない。鳥に化けても、すっとんでくる物品に撃ち落とされる。オールドローズに化ける? 吸血鬼的異能も何も再現できない、姿形がそっくりのただの少女になるだけだ。ファンタジックなアレソレは仮装の範囲外だ。
それに……それに、こんな数々の障害があって、蛍が無事に外に出られるとは思えない。ここにいない以上、他のところにいるのだろう。そして、他のところとは外ではなく、ホテルショコラガーデンの、どこかだ。
彦星くんは変質者であっても、可愛い女の子を置いてけぼりに逃げ出すことができる鬼畜ではなかった。
「うわーーーーーん!」
彦星くんは数十分前の蛍のように泣き声をあげながら転身して庭園へ向かった。彦星くんもまたホテルの敷地内で逃げ回るしかない状態に追い込まれたのだった。
「だぁぁぁ! クソ! 何にも見えん! フェリティシア!」
「私も見えないって!」
賢一とフェリティシアは依然セキュリティルームで飛んでくる物品に追い詰められていた。賢一が操る三日月が斬って斬って斬って斬りまくっても、半分になった椅子や箒やらが、破片となって襲ってくる。
密室で物量に囲まれ追い詰められていた。
フェリティシアは叫ぶ。
「見えない! 見えないけどぉ! ……見えるようにはできるよ! ……賢一!」
「ああ!?」
フェリティシアの声は自信に満ちていた。
「これから私がやることに、私は一切の負い目がない! ……許してとは言わない。これが私の――愛だもの!!」
フェリティシアはポケットから黄色い小さな木彫り人形を取り出した。それだけで賢一は理解した。
凄まじい火薬の匂いがする。しかも一体分ではない。数十体分の火薬の匂い。そこには確かに業の追及があり、用途があり、意味があった。
「ぐ、ぎっ、がっ……ままならねぇな畜生が!!」
賢一は承諾も拒否もしなかった。それが答えだった。フェリティシアが放った黄色い人形が爆発――そこから数十体の同じく黄色い木彫り人形が飛び出す。
その一体が爆発する。爆発の明かりによって視界が一瞬開ける。さらに爆発する。視界が開ける。
彼女が取り出したるは、人形の可能性を追求する過程によって生まれた
彼女は自爆人形もまた、美しい用途あるものと認めている。認めているのだから作っていて当然だった。
賢一とフェリティシアは連続する爆発の光を標にしてセキュリティルームを脱出した。爆発四散する人形が照らす一瞬の閃光を導きに、逃げていく人形師と人形遣い。
それを見てルカジャン・ゲイリーは……ブチ切れた。
「貴様らぁぁぁぁぁぁ!! 愛しき妹たちになんと残酷なことを! 許せん! フェリティシア・ルノアール、貴様は絶対に許さん! 見殺しも、殺しと同じだぞぉおおおおお!!」
バキバキバキバキィ! とルカジャンを中心としてホテルそのものが振動する。彼の怒りがショコラガーデンへ伝わる。彼は支配しない。彼は強化する。だが、妹の想いが兄に通じるように、兄の想いも妹へ通じる。
ショコラ・ガーデンは賢一とフェリティシアへ、本気の攻勢を仕掛けた。
関係者用階段を必死上がる賢一とフェリティシアに手すりや蛍光灯が飛んでくる。フェリティシアの自爆人形がそれらを撃墜し、撃ち漏らしたものを三日月が斬り捨てていく。
苛烈も苛烈にショコラガーデンそのものが敵となって、人形師と人形遣いへ降り注ぐ。
背中合わせにジリジリと階段を上り切り、転がるようにフロントへ出る。
そして賢一とフェリティシアはもフロントを脱出し、外へ出て――他の参加者のように庭園へと逃げ出した。
『次回の消灯は二十一時からとなります。それまでご歓談ください』
嵐のような大騒ぎと共に、ホテル全域の明かりが灯る。
大小散らかったフロントが映った監視カメラの画面が点灯する。全ての監視カメラの画面が明るくなった。セキュリティルームで息を荒げていたルカジャンは腕を大きく振ってマントを広げた。
「罪人たちよ! 愛しい妹たちのために犠牲となれ!!」
ルカジャンはずらりと並んだ画へ向かって腕を伸ばした。
「妹へ世界を献上しろ!!
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