第9話
一方そのころ、式神に遭遇し絶体絶命だった着ぐるみの彦星くんは這う這うの体で暗闇の中を移動していた。
あの時、フロントで行き当たった執事に罵声を浴びせられ、目の前が真っ白になったと思ったら腹部へ本気の蹴りを叩きこまれるというえげつないコンボを喰らった時。一瞬して敗北した彦星くんは身動きが取れず絶望していた。あっけなく
だが、七夕の星の巡りは彼を見捨ててはいなかったらしい。突然の第三者たちに式神の意識が逸れた瞬間、彦星くんは自身の変能を使い、脱兎の勢いで逃げることに成功した。
式神が彦星くんを間髪入れずに打ちのめしたせいで、変能を理解する機会がなかったことと、フェリティシアと賢一がたまたまフロントに来た、この二つの幸運が彼を救ったのだ。
彦星くんは暗闇の中で考える。
(う、うゆっ……この催し、
受けたダメージが鈍痛として身体に響く。あの執事のヤバさはとんでもなかった。
オールドローズとは別次元で怪物であり、悪魔じみていた。正直な話、もう二度と会いたくはない。どこかで野垂れ死にしてくれないだろうか、と彦星くんは本気で考える。
彦星くんが腹部へ受けたダメージは甚大だった。身を休めることのできる場所を探したい、と彦星くんは暗闇を動き回る。すると彦星くんの耳にある声が聞こえてきた。
「うえーん、うえーん」
悲痛な少女の泣き声だった。
(うえっ!? 泣いてる女の子の声? 敵? それとも不幸なボクを救う可愛すぎる、めそめそ妖精たん!? できば後者希望ぉ!)
可愛すぎるめそめそ妖精たんってなんだ。意味不明な妄言を脳内に垂れ流しつつ、彦星くんは暗闇を移動する。泣き声が聞こえた場所は、ホテル一階の女子トイレだった。
個室の一つから少女のすすり泣きが聞こえてくる。
(ふひっ! うひひっ! 泣いてるあの子! 知り合いのあの子! この場はジゴク! だから緊急措置! 緊急避難が適用される気がしないでもない! ラッキー! 女子トイレとか初めて入るよん!)
彦星くんは――小さな漆黒のネズミ科の生き物に化けてホテルのダクトをつたって移動していた彼は――管路の隙間から女子トイレへ降り立った。
小型齧歯類の姿で大きく女子トイレの空気で深呼吸すると、その
瞬きほどの時間で、再び着ぐるみの彦星くんに戻った彼は、個室に閉じこもった少女へ声を掛けた。
女子トイレへはじめて侵入した感銘などよりも、悲しむ少女を助ける方が重要である。
「ミーちゃんは元気?」
彦星くんの呼びかけに対する反応は劇的だった。少女は個室の扉を勢い良く開ける。
「うっ、うっ! ひ、彦星くん?」
一人の少女が飛び出して、彦星くんに抱き着いた。ホテル中の人間が銅像と化す前に、彦星くんが
「ぽう! 役得!」
少女に抱き着かれ奇声を発し、明らかに危険な台詞を呟いている彦星くんであるが、警察関係者は皆あっぱらぱーになってパーティ会場に転がっている。故に彼が捕まることはない。残念なことに。
変た……変能の鑑みたいな彦星くんに、少女は涙声で語る。
「あの、おトイレから出たら、外でママも、パパも、石になっちゃって! 怖くて……私……怖くて……」
ダクトを移動していた彦星くんは預かり知らないことだが、トイレ前の廊下では、娘を待っていた夫婦が銅像と化していた。
つまるところ運良く、あるいは運悪く、少女は石化現象から逃れてしまったらしい。
「うふぃふぃふぃ」
少女の温もりを堪能しながら彦星くんは思う。流石にこの少女を放置するわけにはいかない。紳士として。どこか安全な場所に避難させるべきだろう。
ついでに戦場の外で自分も身体を休めることができれば万々歳だと彦星くんは結論づけた。
「ホテルの外にゴーアウェイ。うん、一緒にここを出りゅ?」
彦星くんの提案に、少女はフルフルと首を振る。否定されてると思っていなかった彦星くんは驚いた。
「ゆ!? なんで!?」
「パパとママが……心配で……」
そう言われると困ってしまう。
「た、たぶん銅像のままだよ? 見てもいてもどーにもならないよ? えっと……」
少女の名前がわからない。どう呼びかけていいかまごついた彦星くんに、少女は名乗った。
「蛍……佐々木蛍です」
「みゅ、ぼくは、ダーク「彦星くんだよね!」……うん、そーだよ!」
彦星くんの名乗りが途中で止められる。彼が化けているのは彦星だ。その呼び名も間違いではないと、彼はそのまま頷いた。少女は己が彦星くんだからこそ信頼しているのだろう。わざわざ少女――蛍の言を否定したところで、彼女を不安にさせるだけだ。
蛍は震えながらも強い目で彦星くんを見つめる。
「でも、すぐそこにいるんだよ、助けられないかな?」
「いやー、それは」
難しいんじゃないかなぁ、可愛い女の子ならまだしも夫婦(リア充ども)の銅像を抱えて外まで行くのも嫌だしぃ、と言おうとして。涙腺を決壊させかけている蛍に彦星くんは狼狽えた。女の子に泣かれると、困る。そして、つい言ってしまう。
「見……見るだけだよ、ボクで助けられるか、見て、駄目だったら、一緒にホテルの外に避難しようね! ひっひゃ!」
愛想笑いなど生まれてこの方したことがない彦星くんだ。不気味な笑い声しか出ない。はっきり言って最初から不審者同然だったが、状況の異常さと着ぐるみの可愛らしさとのおかげか、蛍は彦星くんに心を許していた
「ホント! ありがとう! 彦星くん!」
「心配しないで! 明日になったらきっとみんな元に戻ってるからね!」
さらに抱きしめてくる蛍に彦星くんは着ぐるみの鼻の下を盛大に伸ばしながら、早まったかな、と小さじ一杯ぐらいしかない理性で呟いた。
さて、式神を追跡していた人形好きの二人組である。が、なんと普通に撒かれてしまった。フェリティシアの人形群による追跡も、逃げに徹した式神には追いつけなかった。賢一と三日月の一心同体人形体術も、執事は軽やかに躱してしまう。
割とインドア派のフェリティシアと賢一の体力は次第に尽き、ホテル四階で完全に式神の姿を見失ってしまった。人形遣いと人形師は四階の客室が並ぶ廊下の隅で荒れた息を整えていた。賢一は両手に膝をつき中腰の姿勢。フェリティシアは完全に座り込んでいた。
「あの、クソ、ハァッ……執事ぜってぇ、フゥ、許さねぇ」
「同意っ!……すぅー、はぁー」
深呼吸等で疲労を回復させた二人は気を取り直してホテルの散策を再開することにした。参加者に逃げられたのは痛かったが、後悔ばかりしていられない。
「あの執事にまた会ったらどうするの?」
「負けだ負けだって言いまくって敗北者のレッテル張りまくれば逃げないんじゃね。プライド高そうだし」
「下手な権謀は逆に利用されそうだし、そういうエモーショナルな戦略の方が良さそうなのは確か。うんうん」
と、式神への対策を話し合いながら歩いていると、賢一は廊下の途中でピタリと足を止めた。キョロキョロと賢一は周辺を見渡す。
「におうな」
賢一は
「ん、誰? オールドローズ? 式神? それとも彦星のカリカチュア?」
「どれでもないな。共鳴はしてないが……
賢一は鼻をひくひくさせる。犬のようであるが変能による探知である。信頼性はあった。
(変能で
慌ただしいことの連続で、聞くのを完全に忘れていた。フェリティシアは賢一にどのような変能を持っているか問おうとして、思いとどまる。
賢一の鼻息が荒い。目も欲望で煮えたぎっている。賢一は
「うわっ……」
感情が荒ぶっている賢一にすぐ聞くのは時期ではないだろう。後で聞こう。
そんなことを考えているフェリティシアの視線の先で、賢一はSTAFF ONLYと書かれた従業員用の扉の前で立ち止まった。
「ここだ!」
「……なるほど、ホテル全部が舞台だもんね。そりゃ裏側も範囲になるか」
賢一は罠がないか軽くドアを調べるとフェリティシアと共に中へ入った。無機質な白い壁と白い支柱、蛍光灯に照らされてあるのは下へ続く階段だった。賢一は無言で下を指差す。フェリティシアも黙して頷いた。
現在四階。下へ降りる、三階。下へ降りる、二階。下へ降りる、一階。そしてさらに下へ降りて、地下。
そこにはセキュリティルームと乱暴な字体で書かれた鉄製の扉があった。
組織や人は見た目に凝っても中身は――特に内輪の者しか見ないような、関係者以外立ち入り禁止の場所は、どこまでも雑なものだ。一流どころならまだしもホテルショコラガーデンは衛星都市の片隅にある、経営難のホテルである。裏側にクオリティを期待する方が酷だ。
だから扉には違和感はない。あるのは
共鳴でわかる。この先にパーツがある。においでわかる。この先に
「この扉の向こうだ」
「奇襲する?」
「無駄だ、向こうも気づいている」
賢一は潔くセキュリティルームのドアをノックした。
「入っていいか?」
「率直過ぎるでしょ、友達か何か??」
フェリティシアもマイペースだが、賢一はそれ以上に我が道を行っていた。まるで知り合いの家に訪問したような気軽さである。
しばらくの沈黙の後、セキュリティルームから男の声がした。冷たさを感じさせる低めの声だった。
「構いませんが……武装は解除してください。こちらも、何もしませんので」
「嘘でしょ、そんなの通じると思ってるの?」
フェリティシアにはのこのこ無防備に部屋に入った瞬間に瞬殺される未来しか見えない。
「あー、いや、うーん……」
しかし賢一は腕を組んで、わざとらしく首を捻った。
「……なんで悩んでいるのかな、賢一」
「いや、三日月は俺の半身だからセーフかなって」
すっとぼけた顔で自論を述べる賢一にフェリティシアは呆れた。
いや気持ちはわかる。わかりすぎるほどわかる。だが人形趣味ではない人には通じないだろう。溜め息交じりに「無茶よ」と発しようとしたが、それはセキュリティルームの声に遮られる。
「まったくホントにあなたは――「それは構わないが、
「あ?」
フェリティシアと賢一は二人揃ってセキュリティルームの扉を凝視した。壁の向こうから聞こえた台詞は、どう考えてもおかしい。
「アンタあの、眼鏡の奴だろ……? 三日月がどんな子も知らないはずだ。俺は人形も剣もアンタの前で出してない」
大剣を携えた三日月をはじめて取り出したのは、オールドローズも闖入者三人組もいなくなった庭園でのことだ。その後、式神と倒れた彦星くんの前でも三日月を見せつけた覚えはあるが――最後の一人、眼鏡の男には見せていない。セキュリティルームの男が、三日月のことを知っているのはおかしい。大剣の件も言わずもがなだ。
だが扉の向こうの男は知っている。その理由はこの場所そのもの。
「ということは……セキュリティルーム……監視カメラか!」
パーティホール、フロント、その他諸々当然のように設置されている監視カメラ。それを統括するのは地下のセキュリティルーム。銀縁眼鏡の男はここからホテル中を監視していた。
「そして、ええ、賢一の鼻じゃなきゃここに辿り着けなかった。この場所、一階だとパーツが共鳴しないぐらいの深さにあるってことね?」
セキュリティルームという陣地は隠密性、情報収集の点において最高の場所だったというわけだ。人形の残り香なんていう異質なものを感知できる賢一さえいなければ圧倒的優位の立場だった。そう簡単に居場所がバレないように四階から地下へ降りるという工夫さえも嗅ぎ取られ、眼鏡の男のカラクリは見抜かれた。されどセキュリティルームにいる
「ああ、その通り。仰る通りです。だが、それは私の要求に関与しない。別問題、です」
銀縁眼鏡の男は自分の策謀を言い当てられながら、いささかも動揺しなかった。非常に強情で、底知れなかった。賢一とフェリティシアに譲歩するという姿勢すら感じられない。
賢一は口を真一文字にする。
「あー、信用されねぇのはわかる。だが俺は三日月と離れない。大剣も外さない。というわけで妥協案として、扉越しに少し話さないか?」
セキュリティルームの向こう側にいる誰かさんが譲る気がないというのなら、こっちから譲れば良いと賢一は発想を転換させた。扉の向こうの男は呟くように応えた。
「……聞くだけなら」
硬い声である。銀縁眼鏡の男に油断はないのだろう。緊張感溢れる空気を傍観しつつ、フェリティシアはもはや諦めの境地である。
(本当にお話好きだなぁ、賢一。人間なんてどうでもいいと真顔で言うような男のくせに)
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