第8話

「なるほどなー」

 賢一が腕を振り、糸が舞う。空気を切って、三日月が式神と賢一たちの間に降り立つ。

 黒い衣服を守った等身大の少女。大剣を構え、油断なく構えている。人間離れした容貌は賢一が細部を凝らして作り上げたものであり――三日月は、賢一と一心同体の人形だった。

「話せてよかったよ式神。ありがとう。心残りはもうないぜ―――だから、その、もらうぞ」

「そうですか。……ああ、変な奴らに絡まれましたねぇ。これ。ふむ。いいでしょう」

 式神は、襟を正し、礼儀正しく、人形師と人形遣いを見つめて言った。

「――わたくしの気分を害したという最悪の罪に対して、罰を与えさせていただきます。よろしいか? 答えは聞いてませんがねっ!」

 執事の言葉が終わるか終わらないかの刹那、人形師が腕を振る。三日月は剣の突きを相手に繰り出した。その速度はまさしく神速。糸で操られた人形とは思えない踏みこみの鋭さは常人には回避不能だ。

 しかし式神もさるもので、バックステップすることよってその剣戟を軽々といなした。式神の身体能力は変能関係なしに、極めて高い。

「ひゅー。思い切りいいですねー。で、す、がぁー……! お嬢様のためならば、わたくしにできねぇことはないんですよ!!」

 式神が駆けて、三日月の向こう側にいる賢一を打倒しようと拳を振るう。賢一は軽い足取りで踊るように三日月を操り、それを受け流す。人形と執事が舞う三次元的な戦いは一進一退の攻防だった。フェリティシアへしたように三日月を囮にして……という戦術は使えない。賢一は関節技に優れているが、式神はシンブルな蹴りや拳を巧みに操る超人だった。心にも力にも隙がない以上、奇策は愚策だ。

 正面から男二人がやり合ってる一方で、フェリティシアはその間に大量の木彫り人形たちを周辺に配置していた。賢一が時間を稼いでいる間にホテルのフロントを殺し間に変えているのだ。

 数の力で空間を満たせばスキマはなくなる。気づいた時には全方位三百六十度から殺到する木彫り人形で詰み。フェリティシアが十全に力を発揮でき、前衛がいる。条件が揃えば彼女も彼女で悪辣なスペックの持ち主なのである。

 だが、だからといってただで敗北へ導かれる式神ではない。

「あらよっと!」

 三日月の大剣の峰を足場に一気に式神は距離を広げ、床に降り立つ。その顔はうって変わって微笑が浮かんでいた。

「冬川さん、少し聞きたいことがあるんですがね」

 残り二十秒で殺し間は完成する。時間は賢一とフェリティシアの味方だ。それを知る賢一は式神の話に応える。

「……なんだ?」

「その人形、お手製なものだと存じますが……人形を愛してる方が、その方を戦わせるのはいかがなものかと?」

 自信満々に告げる姿は、見当違いな台詞でオールドローズの気分を害した真井室長を彷彿とさせた。

「その話もう終わってるんだけど」

 フェリティシアは話を聞いて即座に言った。賢一は己のスタンスを自分と同じように定めている。揺さぶりなど無意味だ。

「何言ってやがる。俺と三日月は一心同体で――」

 フェリティシアの想定通り、賢一は真顔で言った。しかし式神は二人の言葉を無視して、大真面目な厳めしい態度のままだ。そして賢一を睨み付ける。

「あなた、恥ずかしくないんですか!! なぁにが一心同体ですか? まーーったく信じられませんね! 自分より大切なものを! 全身全霊をかけることに幸福を感じる存在を! 耳触りの良い言葉ならべて戦場に持ち込んで、得意げな顔とはね! この―――――『なんちゃって人形好きめ!!』」

「何言ってんの、もう」

 人形を使い倒すことを当然と捉えるフェリティシアには妄言でしかない。賢一だってそれは割り切っている。はずなんて言葉はつかない。推論ですらない。躊躇いもなく大量の人形を操るフェリティシアへ大剣を振り下ろすことができるのだ。人形を愛していても、人形が傷つく“かもしれない”で、彼は手を緩めない。賢一はあれで渇いた判断力の持ち主なのだ。

 であるにもかかわらず。

 冬川賢一は膝から崩れ落ちていた。

「な、に?」

「――もらいました!」

 その隙を逃すような式神ではない。彼は地を駆け、三日月の横を通り過ぎ、その魔の手を賢一に掛けようとした。茫然自失の賢一はピクリとも動かない。

「ちょ、ちょ、待って! 待ちなさい! ああああ、もう! 二度目・・・よ!!」

 殺し間の形勢は間に合ってはいないが仕方ない。フェリティシアは式神の蹴りを配置していた人形たちで凌いだ。これでもうスキマなく人形を詰め込んで封殺する戦法は使えない。

 フェリティシアに攻撃を防がれた、式神は不服そうに口を尖らせる。

「守りに出るんですか? 彼を見捨てた後、その木偶デクでわたくしを始末すれば一挙両得だったのではありませんか?」

 賢一が倒れるのを放置して、殺し間を作ることを優先すれば、袋の鼠に式神を負い込めたはずだろう。そう指摘する式神にフェリティシアは困ったように笑った。

「ふ、ふふふ、私は二度目の機会を大切にしてて……ていうのは建前で一人でやれる気がしないのが本音かな!!」

「へぇ、最近のレディは本音を建て前と呼ぶのでございますか?」

「うぐっ………」

 そんな冷徹な計算ができる時間的余裕などなかった。咄嗟の行動を起こすのは、常日頃からの強い信念だけである。図星を突かれたフェリティシアは唸った。この性根が腐りきってる男に性格を見抜かれて愉快なことになるわけがない。

 だが式神も優位というわけではない。

「はぁ」

 式神は予兆一切なしに、迅速に過ぎる挙動で下がって、下がって、下がった。

「残念ながらその行動は正しいようで」

 執事は憮然とした表情になると、さらに大きく一歩引いた。面倒だ。せっかく思いついた勝ちの目を潰された。フェリティシアが賢一を庇わなければ、こちらの勝ちは確定だったというのに。

 式神が皮肉交じりにフェリティシアを褒めたのと時を同じくして、賢一が正気を取り戻す。賢一は座り込みながら口をへの字に曲げて、式神を睨みつけた。

「変能か」

「さっそくか!」

 賢一の呟きにフェリティシアは反応する。賢一は内心の屈辱や怒りを押し殺すように式神へ淡々と言う。

「そうか、喰らってわかったが……従者が持つにはあまりに不釣り合いで邪悪な変能じゃないか? 精神的ダメージの増幅・・・・・・・・・・なんて」

 それが式神の変能である。彼は自身が与える精神ダメージを増幅することができる。その効果は絶大で埒外だ。ほんの少しでも心当たりがあれば、心を吹っ飛ばすことができる。強い精神的衝撃は人の思考を停止させる。しばらくの間茫然自失となった敵は、もはや完全に式神のだ。

 式神はサディスト精神の発露とも言える変能を元に邪悪と糾弾されて――幸せそうに微笑んだ。

「いえいえ、わたくしはちゃーんと執事ですよ? 破滅こそが美しく、自滅こそが麗しい。そしてそれを跳ね返すお嬢様こそもっとも愛おしい」

 夢見るように告げる式神は、賢一へ追い打ちをかけるように言葉を付け加えた。

「ところでその人形のこと、ちゃんと好きなんですか? 冬川さん」

 賢一はふん、とあしらった。

「もう効かねぇよ。俺と三日月は言葉だけじゃなく、一心同体だ。生きるも死ぬも戦うも一緒だ。それが俺の人形愛だよ。なんと一緒にお茶会とかする」

「清々しいレベルで人形遊びね。知ってたし、人のこと言えないけど」

「セリーヌともお茶会したい、あわよくば」

「ぶっ飛ばすわよ」

 余裕を見せ始めた賢一とフェリティシアに式神は真顔になる。

「ううむ。これは預けた方がよろしいですね。二対一は、それなりに旗色が悪いと存じます。ああ、でも一つテストさせていただきましょう、フェリティシアさん」

「ん?」

「『死ね』」

 式神は暴言をフェリティシアへ吐いた。人格に似合わない唐突の、理不尽な言葉の暴力。しかしフェリティシアは不思議そうに式神を見返す。

「……? いや生きるけど」

「……わかってましたけど悪意に鈍感ですねぇ!!」

 式神は呆れ半分に言う。真井室長にあからさまに嫌われ嫌がらせをされてもオールドローズにぶち当たるまで気づかなかった気風が良すぎる女である。賢一のようにちゃんと心に刺さる言葉責めをしなければ八割方刺さらないだろうと式神は分析していたが、予想以上にスルーされてしまった。普通の人間ならこれで茫然とするのだが。変能でもないくせにメンタルが強すぎる。賢一ももう生半可なことでは精神ダメージを与えられないだろう。

 即断。うまくいかない。撤退だ。

 賢明な判断だった。負けじと無理して襲い掛かってこないくらいには、抜け目のない式神だ。変能が何かを理解され、賢一の変能の情報は抜けず、着ぐるみの参加者さえも逃がしたとしても――彼は微笑む。

「ふむ、あなた方なら参加者の誰かからパーツを奪うこともできるかもしれませんね。その時にまたお会いしましょう」

 不吉な物言いを早口で述べると、式神はくるりと転進してその場を走り去った。ホールへ乱入し、即座に撤退した時と同じように、すばしっこかった。

「ただ言っておきますが負けたわけではありませんからね! 勝負を預けただけですから!!」

((負けず嫌いだ……))

 賢一とフェリティシアは同じことを思った。式神は己が執事であることに強い自負を抱いている。それはそれとして、傅く者であることと全く矛盾せず、式神はやはりサディストだった。簡単に負けを認めるようなサディストなどいない。

 そんな捨て台詞を吐きながら、遠ざかっていく式神。……賢一はフェリティシアへ言った。

「追うか」

「追いましょう」

 いくら凄まじい性能を誇る変能とは言え、効かないのならば恐れるに足りない。

 二人に式神を逃がす理由などありはしないのだ。

 賢一とフェリティシアは逃げる執事を追った。



 ところ変わって最上階のスウィートルーム。十階にある豪華な一室のドア前で聡が苦悩していた。頭を両手で抱えて身体を捩じり、彼は弱音を吐きだす。


「あー、いやだ。出たくねぇ、怖ぇ」


 なんでも願いが叶う魔法が手に入るとは言え、今夜は異常な夜だ。出歩かずに引きこもっていたい。

 だが感情的な問題を抜きすれば、外出するしかないのだ。オールドローズを傍に控えさせて、自らの足で歩き回った方が絶対に良い。聡はすでに結論を出している。でも、しかし。恐ろしい。

 オールドローズは思考を空転させる仮初の主人にニヤつきながら言う。


「ここにいるよりは私と共にいた方がいい。お前の判断は正しいぞ、聡」


 人形ミクロコスモスを所持しているのはオールドローズだ。共鳴によって位置がバレ、奪い合いをするのはオールドローズだ。であれば無手の聡はどこかの部屋に隠れていれば安全だ―――なんてそんなことはない。

 聡は人形ミクロコスモスの共鳴ルールをオールドローズから聞いて即座に理解した。このゲームには脱落・・がないのだ。人形ミクロコスモスを持っていなくても、銅像化現象から逃れれば変わらずホテルの中に滞在することができる。つまり、人形ミクロコスモスのパーツを持っていなくても、所持者からパーツを奪えるのだ。

 奪われないためには、勝つためには。安定をとるなら、パーツを奪った相手含め人間全員を排除・・した方がいい。

 参加者の中に殺人を厭わぬ者が一人いるだけで、聡はオールドローズのいるいない関係なく、死ぬ可能性がある。では聡はホテルの外に出つつ、オールドローズにホテルの中を探索させるのは? 話にならない。それは吸血鬼との契約に違反する。“お前の暇を潰してやる”。舞台から降りることはチャンスを捨てるのと同義だ。せっかく無敵の赤い夜が味方になっているのに、敵に回してどうするというのだ。

 だから、オールドローズの傍にずっといた方が合理的だ。その通り。


「そんなことわかってるんだよ!」


 ヒステリックじみた叫びだ。だがこれでもマシになっている。オールドローズがとにかく聡を宥めているため、彼の恐怖はどんどん小さくなっている。卑屈な性格の聡はおだてられるのに弱いのだ。判断が正しいよ~とか肯定されると気分が高揚してしまう。

 オールドローズの八百年で培った人間観察眼からみれば、彼は本当にわかりやすい。吸血鬼は老獪に、聡をくすぐる甘い言葉を導き出す。


「くくっ。そうだとも。お前はわかっている。頼もしいね。そんな奴が傍にいてくれると助かるぞ、ん?」


 肯定する。肯定する。そして行動する理由を増やす。増えた理由は聡の背中を押し、悩む時間を激減させる。おだてあげていい気分にさせる。つまるところ、ヨイショする。

 調子に乗った聡は恐怖をある程度呑み込むように、息を大きく吸い込んで、吐いた。


「はぁー! わかった! 行くぞ! 最強の吸血鬼がいるんだ! 勝利は確定! ふぅ!」


 震える声で聡はドアを開けて、外の廊下へ出た。怯え竦み、心が歪んだ人間が精一杯なす一歩である。化け物に後押しされてのことだが、これも勇気には違いない。


「……ふふっ」


 オールドローズは誰の耳にも届かない小声で、まるで麗しい少女のように笑うと、聡の後を追った。

 二人はエレベーターに乗って一階まで降りていく。

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