第5話
〔~招待状~
人の形は神の似姿。
【左腕】を、あなたへ贈ります。肌身離さず持っていてくださいね。
それでは七月七日、ショコラガーデンで逢いましょう。
人形の魔女より。〕
常盤しずねは不安げにその手紙を眺めていた。茶色の便箋に印刷された活字をしずねは指でなぞる。
この招待状こそが彼ら彼女らをこのホテルへ呼び込んだ。“あなたの願いを叶える”と謳いながら、送りつけるのは欠片だけ。隠し切れない不穏さ。
とくれば七月七日のショコラガーデンの安全は保障されているとは言い難く。そんなホテルへ無策で乗り込むほど愚かなことはない。
常盤の令嬢が今いる場所はホテル二階のレストランである。ショコラガーデン通常営業において朝食及び夕食に使用される一角は常盤しずね名義で貸し切りにされていた。
食べ放題の七夕パーティがあるのだからレストランは使わないはず、だからいいだろう? とホテルオーナーの了承も取り、しずねの従者や私兵(SP)たちも詰めさせた。
人込みのない広いところでゆっくりしたいという金持ち特有のワガママだと思わせたが、実際の所、目的は“司令部”だ。
今夜ここはしずねと式神と従者及びSPたちの本拠地となる。常識的に考えれば、準備は万端と言えた。
本拠地である以上、彼女の周りには屈強な黒服のSPたちが控えていたが彼女の憂鬱は晴れなかった。
自身の安全が不安だから、ではない。
(式神……無事でいてください)
あの時。
一九時。ホテルの照明が落ち、多くの人々が銅像と化した際。式神は迅速にしずねを非常口から廊下へ脱出させた。加えて廊下に控えていたSPにしずねを受け渡し、貸し切りのレストランへ向かえと指示した後、自身は殿としてパーティ会場に残るという。
もちろんしずねは式神を止めた。当然だ。たった一人で事件が起こってる“現場”に彼を残していくのなら、数を用意した意味がない。
『待って、待ってください、式神、一緒にいきましょう』
明らかに起きた出来事は異常だ。手紙の内容を知るしずねの予想以上に、荒唐無稽な現象が起きている。
対して式神は平素と変わらない態度で静かに告げる。
『失礼、問答している暇がございません。素早く行動してください、皆様』
『はっ、参りましょう、しずねお嬢様』
SPの一人が言うが、しずねが付いてきてほしいのは式神である。
『式神……!』
『なに、すぐに戻りますよ、しずね様』
式神は影に徹するようにパーティ会場の中に消えていった。しずねもSPに連れられてレストランへ繋がる階段を上る。逃げる前に、パーティ会場入り口が開きかけていたことは見えていたが、すぐに状況は確認できなくなる。しずねは、扉から入ってきた者が吸血鬼オールドローズであることも、イカレた展開が連続的に起こったことも知らない。
それが余計、しずねの焦燥を煽る。
「無事でいてください。式神」
祈るような呟きは虚空へ―――消えず、彼が受け取った。
「当然でしょう、しずね様」
「うひゃぁっ!?」
しずねは手紙の向こう側から囁かれて飛び上がった。ばっ、と招待状から目線をあげれば柔和な微笑を浮かべた式神が立っていた。
部屋に立っていたSPたちは驚きつつも、全員が腰から拳銃を引き抜き、式神に突きつける。
数十丁の拳銃に狙われながら式神は穏やかに一礼した。
「ただいま戻りました。しずね様、皆様」
SPの一人が怒号をあげる。
「きさ、貴様、式神、どうやって入った! 全ての出入り口を封鎖して、監視していたのだぞ!」
SP達の最優先事項は常盤しずねの安全である。謎の執事など二の次三の次だ。彼がSPに気づかれずにレストランへ入ってきたこと自体が、しずねの保安上の重大な懸念である。
しかし当の式神に曖昧にとぼける。
「はて、ぼうっとしてる様子でしたので、それはもう正面からすいすいと。ああ! ご安心くださいませ。戸締りはきちんとするのが執事の嗜みですから。封鎖は保ったままでございます」
「そういう話をしているのでは……!」
韜晦する式神にSPは激昂しかけるが、その前にしずねが喜びの声をあげた。
「式神! 良かった! 大丈夫でしたか?」
式神はしずねへ目を細める。
「先ほども申し上げました通り、無事でございます。収穫もありましたし、悪くはない邂逅でした」
「収穫、……
式神はゆっくりと首を振る。そこまでうまくはいかない。
「得られたのは参加者の顔と情報でございます。
式神は胸ポケットから十センチ程度の人形の腕を取り出した。
「なぜ全員だと?」
「ふむ、言葉にし辛いのですが……明かりが消えた時、つまりは多くの方々が銅像と化した時、
奇妙な感覚だった。第六感にも似たような。後ろからそうだと囁かれたような。まるで散らかったパズルの破片の山をどう組み立てるか一目見て理解できたような天啓をもって、参加者たちは受け取った招待状の意味を理解した。
分解された
そして――。願いが叶うというシンプルな概要。さぁ。さぁ。
「まぁ、やはりと申し上げましょうか。争奪戦なのでしょうね、これ」
争え、奪い合え、とそういうことなのだろう。
しずねは眉をひそめて式神が持つ左腕のパーツを見る。一目で芸術品とわかる美品だ。
だがしずねには、ただの美品にしか見えない。
「本当に、それに願いを叶える力などあるのでしょうか……?」
「おや、しずね様、お疑いでしょうか?」
心外だ、とばかりに式神は首を傾ける。しずねは慌てて両腕を左右に振った。式神を否定するつもりなどしずねには考えられないことだった。
「い、いえ、私が式神を疑うなんてそんなことありえません!! ただ、そう、式神が! 騙されていないか心配で……」
ちらちらを己を見るしずねを式神は穏やかな顔で宥める。
「心配する必要はなにひとつございませんよ。流石に術理は本職でないとわからないでしょうが。これは間違いなく、願いを叶えてくださる素晴らしい代物でございます」
「根拠は……?」
こわごわと上目づかいで様子を窺うしずねへ式神は断言した。
「この
式神はこれで全てを説明したという顔をすると、ではもう一度外を見てきますと宣言して。執事は現れた時と同じように、前触れもなくレストランから姿を消した。
フェリティシアは賢一が無言で取り出した
黄金比、煌めく雨粒、青空に登る太陽に、人間。眺めていると数々の観念が脳裏に浮かび上がる。形容しがたい、大きすぎるが故の感銘が胸に響く。言葉にならない美の結晶。存在しない原色を突きつけられたかのような鮮明さだった。
「これが
フェリティシアは熱に浮かされたような頭で
「全て」
「おう」
「全てがある……とか……」
言っておいて意味不明だった。全て? 腕しかないのに? もっとうまく何か言えただろうと顔を赤くするフェリティシアに賢一は大きく頷いた。
「その通りだ。やっぱアンタ、センスいいな!」
「ええ?」
困惑するフェリティシアに賢一は饒舌に説明する。全てという表現は適切だ。
「この子は本当に完全なる
フェリティシアは愕然とした。なんてことだろう。それが本当ならば、
「干渉可能な連動フラクタル構造!? う、宇宙を変えるってこと!?」
フラクタルとは部分が全体に相似していることを指す。自己相似性とも呼ばれるこの特殊な性質は、はっきり言ってしまえば図形に対する呼称だ。三角形を組み立ててできた三角形が、さらに組み立てられて大きな三角形となっている様を想像すればわかりやすい。部分一つとっても、全体と同じ三角形。これがフラクタルだ。
リアス海岸線や雲の形などがフラクタル構造で分析できはするが、やはりそれは幾何学の派生である。学術的には興味深く、意義深いが、願いを叶えるには繋がらない。
物理的なフラクタル構造を変形させれば――つまるところ三角形の部品一つを四角形などにしてしまえば――フラクタルではなくなるだけだ。残るのは不格好なかたちだけ。
だがそれが、連動していれば話は変わる。願いを叶えるという眉唾な謳い文句に繋がってしまう。
「完璧に再現された
ループじみた話になるが、宇宙のミニチュアを自分の都合の良いように作り変えれば、実際の宇宙もまったく同じように変化する。三角形で構成された三角形のうち、一つのパーツを四角形に変えれば、部品も全体も四角形にできる。新しい物理法則を
「“奇蹟”。そうだね、これは奇蹟だよ……嘘でしょ。こんなのが出てくるの……? 未知の人形って情報に釣られてよかった。知らないままとか想像すらしたくないよ」
オールドローズや賢一に襲われたことなど、もはや誤差だ。どんな苦難が来てもお釣りで豪邸が建てられる。
「気持ちは超わかるが俗っつーか現金っつーか……あー、もういいか?
賢一はウキウキしているフェリティシアへそう告げる。“
フェリティシアは当然のように否定する。興奮は冷めやらない。ワクワクするようなコンセプトと盲点を突くような技術で作られた人形を知り、熱意は太陽のごとく燃え盛っていた。
「いやいや、よくないよ。全然足りない。むしろ、もっと見たい。部分だけじゃ真髄はわからないよね。あなただってコンセプトは読めてても、本質はわからないでしょ」
「そりゃ、まぁ」
賢一が所持するのは
「片腕一本じゃ、人間全体、人間の意識は想像できない。完品を見ないと!」
「………欲しいのか? 俺はやらんぞ」
フェリティシアのアピールに賢一は目を細める。気が合う人形遣いとは言え、そこに交渉の余地はない。
「
とぼけた顔に似合わぬ強い語気で賢一は断言する。奪うつもりであるのなら、先ほどの戯れのごとき争いではない……本物の殺し合いになるだろう。
フェリティシアは冷静に応じた。賢一との殺意を伴う断然は、彼女も願う所ではない。
「気持ちは超わかる……だから、うん。欲しいのは諦める。私はね、ただ見たいの。参考にしたい」
「参考?」
フェリティシアの肩の上に座っていたセリーヌちょこんと首を傾げる。人形遣いは優しく小さな人形を撫でる。
「このセリーヌは私の最高傑作。出力も精密さも限界まで追求した、万能人形。この子は私の自慢。その上で私はまだ満足していない(・・・・・・・・・・・・・・・)。満足することなんてない。人形の可能性はまだあるって信じてる!」
人形の意味と用途を愛する人形遣いは、世界全てという絶大な意味と、どんな願いも叶えるという想像を絶する用途を熱烈に希望する。
ただ未知の人形である、というだけでオールドローズを前にしても欠片も諦めなかったフェリティシアはもうどうしようもないほど決断しきっていた。
「“
結局のところフェリティシアが行き着く先は人形遣いだ。人形を作りたい、使いたい。それが最強最高の、彼女のモチベーションなのである。
以上の経緯で提示されたフェリティシア事実上の同盟の提案に、賢一は唸った。
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