第3話

 オールドローズがパチンと指を鳴らすと彼女の身体が数十匹の赤蝙蝠に変わり、それぞれが時速二百キロメートル程度で真井以外の霊対メンバーで突っ込んできた。

 警察庁霊障対策室は霊と魔のエキスパートであるが、オールドローズはスピードのある質量コウモリというシンプルすぎる暴力で、霊も魔もなく彼らを吹き飛ばした。

 フェリティシアにも一匹の赤蝙蝠が目にも止まらぬスピードで迫る。しかし、蝙蝠はピィイイイインと人形遣いの眼前で急停止した。

 赤蝙蝠には細い糸が幾重にも巻き付いていた。必死に準備していたフェリティシアの防護策が働いたのだ。青い目の人形遣いが腕を振ったと同時、蝙蝠は血しぶきをあげて四散する。

 だが自衛できたのはフェリティシアのみだ。一瞬にして真井とフェリティシア以外を無力化した赤蝙蝠たちは、天井へ飛び上がると真井に向かって急降下した。

 真井は叫び声をあげながら所持していた拳銃を引き抜き、二発撃った。けれど赤蝙蝠が速すぎるため、二発とも外れる。

 無常にも蝙蝠の群れは真井の元へ集い、オールドローズの姿をとる。真っ赤な吸血鬼は真井の喉元に喰いついて、吊り下げていた。

「な、なんで――?」

「なんで、なぜ、どうして。答える義理はあるかのぉ? だが私は応えてやるよ。どうしてお前の血は不味いのか」

 ごくん、ごくんとオールドローズの喉が嚥下する。

「が、ぐえ……あ……」

「しかめっ面して他人の糾弾ばっかしてる奴の血が美味ぇわけねぇだろ」

「……ぁ……」

 オールドローズは牙を離すと、真井を地面へ吐き捨てた。真っ青な顔をして目を見開いたまま横たわった姿は死を連想させるが、胸は上下している。呼吸はあるようだ。

 オールドローズの蝙蝠アタックを凌いだフェリティシアは恐る恐る口を開く。

「グ、グールにしたの?」

「いらんのよこんなの。私はー、人を殺さない吸血鬼だぞ」

 オールドローズは唯一無事だったフェリティシアをじろじろと観察する。赤蝙蝠が一匹惨殺されたが、不死身である赤い吸血鬼には痛くもかゆくもない。

 それよりも気になるのは。

「んー? 同類?」

「……どうかな、ご先祖様に比べたら、私は人間でしかないと思うけど」

 フェリティシアはオールドローズの気分を害さないように会話へ応じた。心当たりがないでもないし。

 ルノアール一族は独自の特殊性を持っていたが、世代を経るごとにどんどん人間に近づいていっている。

 寝物語に聞いた初代ルノアールや目の前の吸血鬼に比べたら、いくらか特殊性が残っているとはいえ己は人間の範疇だろう。フェリティシア・ルノアールはそう考える。

 オールドローズは、ことのほか素直に応じた。

「んむ、わかった。ま、そこまで零落・・してれば人間と名乗ってもいいよ」

「零落って……」

 仮にも人の生まれ、アイデンティティに零落とは身も蓋もない。言外に抗議されてオールドローズはカラカラと笑う。

「はははは。これは誉め言葉だぞ? 私なんぞ、ほれ、あんまりにも源流・・に近いからこの様だ」

 真っ赤な女は口を開いて、鋭く尖った牙を見せつける。

「んで……やるかい? ん?」

 会話からシームレスに突きつけられた怖気の走る闘志に、フェリティシアは腕を組み、そっけない態度を

「やらない。付き合ってられない!」

!」

 横たわった真井の突然の叫び声にフェリティシアはびくっと身体を竦めた。オールドローズはニヤついている。

 青ざめた、どこを見ているかもわからない茫洋な瞳で虚空を見上げながら、真井は虚ろに声を張り上げる。

「フェリティシア! あなたまるで諦めていないじゃない!!」

 倒れていた霊対メンバーが一人、また一人と緩慢に立ち上がる。彼らはみな赤い蝙蝠に突進されて吹き飛ばされ――その勢いのまま首筋に噛みつかれて、血を吸われていた。

「隙あらば! 例えオールドローズから奪ってでも人形ミクロコスモスが欲しいと、思ってるじゃない!」

 真井もまた魘されたようなぎこちない動きで立ち上がった。青ざめた霊対メンバー三十人と、それを従えるオールドローズ。

 対するはフェリティシアたった一人。

「グールにはしてないって?」

「してないぞ。生きたまま操っているだけだ。これでも私は、吸血鬼っぽいことなら割となんでもできるのでね」

 真井に言葉を喋らせたのもオールドローズだ。殺してゾンビだの、グールだのにしなくても良いのだ。源流にもっとも近い吸血鬼である彼女は血を吸っただけで人間を操れる。

 生きている人質兼敵軍団と化したかつての雇い主たち。疲れ切ったような声でフェリティシアは言った。

「……参考までに」

「んむ」

「……どうして私が諦めてないって?」

 オールドローズは哂う。自明の理だ。わからない方がおかしい。

「今の今まで欲望で、目がギラつているぞ! ヒューマンドール!!」

「口が血液で濡れているあなたには言われたくないよ。ヴァンパイア」

 皮肉げに言い返したフェリティシアの懐から一体の木彫り人形が零れ落ち――爆発。数百体の人形が爆発の中から溢れるように飛び出した。

 数の暴力がオールドローズと彼女が操る霊対メンバーへ津波のように迫る。オールドローズは爆笑した。

「アッハッハッハ! 末流でこれかぁ! 徒労だよ! 馬鹿馬鹿しい! 面白いぞ、フェリティシア!」

 フェリティシア・ルノアールはイタリアにある隔絶された秘境、人形の里出身の人形遣いである。莫大な数の人形を作り、莫大な数の用途に使う。筋金入りの遣い手である彼女は人形の可能性を追い求めていた。

 追い求めていたから、未知の人形があるというだけで、調べたくて調べたくてたまらなくなる。

 人形に関して不思議な業を持つルノアール一族きっての期待の星フェリティシアは―――未知の人形の情報にホイホイと釣られて、大ピンチに陥っていた。

(いやぁ! 無理無理無理! 無理過ぎる!)

 フェリティシアは内心の恐慌を押し殺し、表面上は涼しい顔で両腕を振るう。出現した人形のうち、半数は霊対メンバーに纏わり付かせる。彼らの緩慢な攻撃を避けながら、人形たちはぐるぐると彼らを掻きまわした。

 それで充分だった。

 ぐいっ、とフェリティシアは糸を引っ張る。幾重にも巻き付いた糸は人形たちごと霊対メンバーを拘束した。数の力には、より多くの数の力。人形遣いの強みである。

 残りの半数の人形は、手から鉄製のかぎ爪をジャキンと伸ばすとオールドローズへ殺到する。

 オールドローズは―――動かない。ポケットに手を突っ込んだ赤い吸血鬼は棒立ちしたま全身を八つ裂きにされた。

 けれど全身を切り裂かれてもなお、オールドローズは哂っていた。

 数の力にはより多くの数の力。道理である。その上で、ぶち抜けた単一の質を制するにはまるで数が足りなかった。それはそうである。なにせフェリティシアはオールドローズがショコラガーデンにいると知らなかった。対吸血鬼武装や軍勢を用意していれば……というのは無い物ねだりである。

 それにしたって、避けもせずに直撃してノーダメージはひどすぎる。

「少しは効いてくれない!?」

「すまんなぁ。鉤十字なら効いたかも?」

「あなたがいるって知ってても、ハーケンクロイツ型の武器なんて用意しないよ!」

「昔は十字架と同じ聖なる象徴だったんだが、時代は変わる」

 かぎつめ鉤十字ハーケンクロイツを被せてブラックジョークを披露するオールドローズにフェリティシアは閃く。

(十字架? いや待て、待った。私は知らなくても、雇い主なら――)

 フェリティシアは人形を操作して霊対メンバーが持つ武器を奪おうとする。一番近くにいた真井へ視線を向けると、当の真井は己の銃弾を全て口に放り込んでぼりぼりと噛み砕いていた。銀の弾丸だった。もしかしたら対吸血鬼用に教会で祝福されたりしてたかもしれない。

 だがもうなくなった。他の霊対メンバーもおのおの対吸血鬼武装を自分たちの手によって破壊していた。

 先手を打って霊対を一挙にぶっ飛ばし操った理由は、対吸血鬼武装を無力化する狙いもあったのだろう。流石は音に聞こえる伝説の吸血鬼オールドローズ。戦闘の駆け引きも達者だった。

(こんのッ……役立たずピーポー共……!)

 フェリティシアが脳内で吐き捨てた。対してオールドローズは己を切り裂く人形たちを力任せに吹き飛ばした。

 波状攻撃を仕掛ける人形を払いながら一歩、また一歩フェリティシアへ近づくオールドローズ。服を切り裂き、肉を絶たれたところで、不死身の怪物は即座に回復してしまう。服も破けるそばから新品同然に復元している。

 フェリティシアにはオールドローズへの対策案がいくつかある。だが、倒す方法はない。逃げる手段もない。ジリ貧だった。

(形勢が悪すぎる! あんな奴ら放っておいて逃げればよかった! 二十七を妨害、三十八を攻勢、四十九を伏せ札、十四を防御――もうだめ! オールドローズの攻撃が届く距離まであと一歩!)

 しかしフェリティシアの敗北が訪れることはなかった。赤い吸血鬼が足を止めたのだ。

「……なに?」

「ちっ」

 オールドローズは忌々しそうに、ホールの入り口へ振り返った。誰かが立っている。ライトは未だ落ちていて、暗闇の向こうに誰がいるのかはフェリティシアにはわからない。

 もちろん闇を見通せる吸血鬼であるオールドローズには姿が見えている。初対面だ。名前も知らない。だが、忘れられるわけがない。この七夕パーティに嫌というほど満ちていた、あの固い空気。

「古い怪物はみんなみんな知っている。私達は人から生まれたのだと」

「……オールドローズ?」

「社会の裏にはオカルトがある。だが裏の裏が表だと誰が決めた? 私は忘れていないよ。この悍ましい現実を。三文芝居の法則ルールを。私達も、お前たちも喜劇の宇宙に生きているということを!」

 コツン、コツンと人影がパーティ会場へ入ってくる。その姿が窓から差し込む月と星の明かりによって露わとなる――。

「あなたは――」

 その男は両手をハンカチで拭きながらとぼけた顔をしていた。トイレに行っていたらしい。

 フェリティシアはなんとも気の抜けた登場にズリっとコケかける。。見覚えがある男だ。七夕人形の前で意気投合した、人形趣味の男だった。

 面長の男はハンカチをポケットに仕舞うと、肩に引っ掛けた四角いカバンを片手で持った。

 日常じみた仕草をする男をオールドローズは牙を剥きだしにして、警戒していた。

「来たな、へんのう。全ての元凶。源流そのもの! お前は同じだ。私を吸血鬼にした変能女と、固さ(・・)がそっくりだ!」

 フェリティシアは戸惑いつつも愕然とする。屍肉喰らいのオールドローズが。あの、伝説的吸血鬼が。無敵と呼ぶに相応しい赤い夜が。先ほどのフェリティシアのように冷や汗を流して、ただの人間に敵意をむき出しにしていた。

「久しぶり、オリジナル――ぶち殺してやる」

 男はオールドローズの殺意に真顔で言った。

「どちら様? 言い方が物々しすぎてよくわからん」

「……」

(わ、私もわからなかったけど、そんなこと言う??)

 男のマイペースさは尋常ではなかった。銅像と化した人々と、糸でぐるぐる巻きにされた呻く霊対メンバーと、ヤバすぎる赤い女と、それと相対するフェリティシア。どれをとっても異常なのに、男は気安い態度だ。

「俺が変能なのは確かだが――そう目くじら立てずにまずは話でもしようぜ? 性癖でもぶちまけてさ。あんたのを貰うのは、その後だ」

「話? 私が? お前と?」

 オールドローズはフロアを脚力だけで蹴り砕き、落雷のごとく男へ跳んだ。

「冗談じゃない」

「ああ?」

「―――」

 フェリティシアは咄嗟に伏せ札にしていた四十九体の人形を操った。テーブルのやシャンデリアの影に潜ませていた人形たちが四方八方から飛び出し、男の前に集合する。

 盾となった人形たちはメギッ、という轟音を立ててオールドローズの攻撃を防いだ。

「あなた! 逃げて!」

 フェリティシアが叫んだと同時――ホール含めホテル全域のライトが点灯した。

『次回の消灯は二十時からとなります。それまでご歓談ください』

 十分間の消灯時間が過ぎたのだ。この光によってオールドローズ、フェリティシア、面長の男の目が眩む。

 この瞬間、期を窺って隠れていた三つの人影が飛び出し、オールドローズへ攻撃を突き刺した。

 一人は執事服の男だった。

 一人は銀縁眼鏡の男だった。

 最後の一人(?)は着ぐるみの彦星くんだった。

 蹴りと手刀とボディアタックをいっぺんに喰らったオールドローズはトラックが衝突したような勢いで窓を破って吹き飛んだ。

 吸血鬼はそのまま庭の向こう側へと消えていった。

 目の眩みから回復したフェリティシアは茫然と彼らを見る。

 執事服の男はそれぞれの面子を確認すると納得したように微笑した。眼鏡の男は怜悧な目つきで油断なく構えている。着ぐるみの彦星は、よくわからない。

 示し合わせたわけではないだろうが、突然の闖入者だった二人と一体はそれぞれ別方向にある扉や窓へ向かい、あっという間もなく超人的な動きでパーティ会場から姿を消した。

 まるで通り雨のように現れ消えた、わけのわからない奴らにフェリティシアはポツリと呟いた。

「なにこれ」

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