第2話
「室長、吸血鬼の気配はありません。人形も、……少なくとも奴が注目しそうな霊的な特徴のある人形もありません」
傍に控えている者とは別の部下に報告を受けた“霊対”室長の真井は、そっけなく命じる。
「そう。巡回を続けなさい」
「はっ」
歩き去っていく巡回担当の背中を見ながら、真井は険しい表情でテーブルに置いてあったワインを飲んだ。
「ちょ、室長! 勤務中ですよ!」
傍らに控えていた方の部下に注意されるが、室長は雑に流す。
「硬いこと言わないの。……なら
ポツリと呟いたのは、今夜の最重要キーワードの一つである。
警察庁霊障対策に齎された匿名のタレコミ情報。
“吸血鬼オールドローズは七月七日のショコラガーデンに、
という一文が書かれた手紙を真井は思い返す。
「ガセネタを掴まされたのでは?」
「オールドローズがこのあたりで目撃されてることから考えても、このホテルには
状況証拠はこのタレコミが正しいと示している。しかし、吸血鬼は見つからない。ならば彼女が狙っている物品の所在を掴みたいところだが、人形と書いてミクロコスモスと読ませるような、珍妙な品の正体がそもそもわからない。。
そして、霊対にわからなければ、わかる人間を用意すれば良いのだ。
「ふん……いけすかないとはいえ、あれの意見も聞かないとダメか」
真井は今回呼び寄せた、人形の専門家にしてアドバイザーへ連絡を入れた。
「人形には可能性があって、私達の創意工夫が彼らをどんな者にだってする――あれ、ごめん、ちょっと待ってね」
七夕人形の前で談笑していた青い目の女性はスカートのポケットからスマートフォンを取り出し、慣れない手つきで操作する。
彼女はやれやれといった様子でスマートフォンをしまった後、申し訳なさそうに話していた男を見た。
「ごめんなさい。もう行かないと」
名残惜しそうに告げる青い目の女性へ、男は軽い態度だ。
「いいさ、どうせ一期一会だ。あんたの人形道にグッドラックで、さようなら。でいいだろうよ」
「……ありがとう、また会ったら名前を教え合ってもいい?」
「期待はしてないぜ」
「ふふ、In bocca al lupo! Arrivederci!」
別れを告げた彼女は展示品コーナーから離れて、ホール中央のテーブルへ向かう。その途中、窓の外へ視線を向ける。庭園には巨大な狼や小さな犬・猫・兎といった銅像があった。
加えてそれらを鑑賞する銀縁眼鏡の男も。
多種多様の動物の銅像が配置されていることが、ショコラガーデンが庭園に自信がある理由だった。公式ホームページにも〈最高の庭園!〉というタイトルで草木と銅像が収められた写真が掲載されている。
なお客からの受けはそんなに良くない。観光地ならともかく、都会と田舎の間にあるような衛星都市で、わざわざ泊まってまで見る代物ではないのだ。
コンセプト先行で作ってみたら客層と不一致だった。そんな残酷な(残念とも言う)現実を彼ら銅像は湛えている。
銀縁眼鏡の男は、星空が綺麗な七夕の夜に不人気な銅像たちを眺めていた。相当な変人だった。
(ま、人のことは言えないか……)
一人納得しつつ、彼女はテーブルでイライラした様子の真井と、恐縮した彼女の部下の元までたどり着く。
「フェリティシア、どう?」
青い目の女性は――警察庁霊障対策室に外部から雇われた人形の専門家、フェリティシアは感想を述べる。
「良い趣味。綺麗だったよ、七夕人形。オカルト的な要素はなかったけどね。一セットもらえないかな?」
「ふざけてるの?」
「え、別に?」
「………」
「……?」
フェリティシアは気づいていないが、真井と彼女の相性はかなり悪かった。どちらも一見クールであるものの、フェリティシアがユーモアを解するのに対し室長は遊びがまったくない。あったとしても職務違反でワインを飲むような不謹慎さぐらいである。
真井室長が人から恐れられ嫌われる自称サバサバ系上司だとすれば、フェリティシアは自然に人から好かれるさっぱりとした気風の仕事人だった。
それを無意識に感じ取っているせいか、真井はこのイタリアから日本に来ている人形遣いのことが嫌いだった。
「ああ。でも、手がかりっぽいのは見つけたかも。ミクロコスモスと人形を絡めて素敵な話をしてくれた人がね、いたの」
「っ……」
まるでついでのように重要な情報を伝えるフェリティシア。こういう、優雅気取りなところが嫌いだ。まるで自分が、余裕のないガサツな存在に思えてくる。
「早く言いなさい! どこにいたの! 何で捕まえてこなかったの!」
感情的に責め立ててくる真井に、フェリティシアは冷静沈着な態度を崩さない。
「っぽいって言ったでしょ。それに、私達みたいな人形遣いはガツガツと距離を詰めに来る人が苦手で……。まぁともかく私に任せて、気長にね、気長に。今夜は長いんだし」
フェリティシアの言う通り、七夕パーティは二十二時まで行われ、現在時刻は十六時五十七分。長丁場の催しである。その最大の理由は、やはり七夕パーティの目的が“宇宙を見ること”であるからだ。十九時、二十時、二十一時、二十二時の計四回、ホテル中の電源を落として、空に輝く星を見る。
まだ十九時になってない以上、時間はまだあるのだ。―――いつ現れるかもわからない危険、オールドローズさえ考慮しなければ。フェリティシアの判断は間違っていない。
「それとも何か、急ぐ理由があるの?」
「………」
真井はフェリティシアのことが嫌いだったので、オールドローズの存在を彼女に伝えていなかった。
霊障対策室の部下たちには、『吸血鬼、特にオールドローズが関わってくる案件と聞けば非協力的になる恐れがあるわ。オールドローズは霊対史上最大の危機であり、
本人も自分はそう考えていると思っている。冷静な判断をしていると。
だが本当は、ただ嫌いだったからフェリティシアに黙っていただけだった。
そして、感情だけで決めた嫌がらせじみた判断が、因果応報とばかりに真井自身へ帰ってきた。霊対室長は息を詰まらせた。ついで喉の奥で唸ってから、やっとこさフェリティシアへ口を開く。
「す、過ぎたことは仕方ない。……なら、今教えなさい、その人はどこにいるの?」
「あそこの七夕人形が飾ってあるあたりに――あれ?」
十九時。録音されていたアナウンス音声が流れ始める。
『皆さま、明かりを落とさせていただきます。足元に気を付けて、その場から動かないようにお願いいたします。では、消灯します』
ホール、庭園だけではなくホテル全域の照明が消え、暗闇に包まれる。
ショコラガーデンにいた大半の人間が、一瞬で銅像と化した。
「は?」
展示品コーナーを指さそうとしていたフェリティシアは、異常事態に茫然とする。談笑していた大人たちも、庭で織姫ちゃんを引っ張りまわして遊んでいた子供たちも、料理を運んでいたスタッフも、銅像と化している。
無事な人間はいる。フェリティシアも、彼女と話していた真井も、霊対のメンバーは全員無事だ。驚いたように周囲の様子を窺い、臨戦態勢をとっている。
他に無事な者は――とフェリティシアが驚きながらも確認しようとして。
ギィー。
静寂に満ちていたフロアに、扉が開けられる音は大きく響いた。
扉を開けたのは、赤い女だった。
赤い髪と瞳、赤いコートにスーツ、真夏の夜に似合わぬ真っ赤な厚着の少女は、当然のようにパーティ会場に入ってきた。
彼女こそ、この世で一番古い薔薇。怪物の中の怪物。吸血鬼オールドローズである。
瞬時にフェリティシアは、隣に立っている真井が唖然としつつも、オールドローズの存在を受け入れているのを理解し、自分がババを掴まされたことを洞察した。
それでも、とこわばった声で雇い主へ忠告する。
「あー、ミス真井、逃げた方がいいと思う」
真井の脳裏に過った思考は直線だった。逃げる? 逃げる。ありえない。
「何言ってるの!? 捕まえるのよ!! しゃきっとしなさい!!」
警察庁霊障対策室はオールドローズを確保せんがため、ショコラガーデンへ潜入したのだ。銅像と化した市民を置いて逃げ出すわけにはいかない。
「―――」
だがオールドローズのことを知らされていなかったフェリティシアには無関係な話だった。あんまりな言い様にフェリティシアの顔が引きつる。
(ふざっけんじゃないっつーの! 何様のつもり……って雇い主様ねはいはい。でもこれはやりすぎでしょ? 騙して悪いがすら言わないの!?)
確かに霊障対策室のメンバーはオカルトのエキスパートだ。
だが、アレは化け物だ。秘境に住むフェリティシアですら存在だけは聞き及んでいた、伝説の吸血鬼だ。
勝ち目はない。
オールドローズはズカズカとパーティ会場へ入り、あたりを見渡す。老若男女みな銅像と化していた。庭にいる着ぐるみの織姫ちゃんの銅像を半笑いで眺めた後、ぽつぽつとホール中にいる霊対のメンバーとフェリティシアにオールドローズは気づいた。
青い目の人形遣いは冷や汗を流す。
「あの、私、人形のことだけに集中すればいいって聞いて――」
「黙って! 文句ばっかり言ってなんになるの!」
「……あー。はい。もう言わないです」
(
フェリティシアは肩を竦めて、一歩後ろへ下がる。それから両手を背中に隠し、誰にも見えないようにぐにゃぐにゃと動かし始めた。
自らの安全のために全力を注ぎ始めたフェリティシアに気づかないまま、真井は歩き続けるオールドローズへ声を張り上げた。
「オールドローズ! 止まりなさい!」
赤い吸血鬼は愉快そうに喉の奥で哂うと、素直に足を止めた。
「ほれ、止まったぞ。ほれ、次はどうするんだ?」
「あなたはなぜ、日本に、ここに来たの!!」
「長い生の暇つぶし」
オールドローズは間髪入れずに答えた。なぜ、と問われれば彼女は必ずこう答える。あまりにも問い質され、あまりにも率直に答えてきた。決まり文句のようなものだ。
「嘘を言いなさい!」
「……」
だからこそ自分の決まり文句を嘘と断じられた吸血鬼は真顔になった。
「調べはついています! あなたは
真井はオールドローズの様子から、クリティカルな言葉を突きつけられたのだと手応えを感じた。
だがフェリティシアは直感する。見限られた。もしも今のオールドローズの表情を浮かべた人形を、彼女が作るとしたら、込められた意味はただ一つ。
((――つまらない))
オールドローズの感情と自身の分析を、知らぬままシンクロさせたフェリティシアは下準備を続けつつも憂う。
(ああ、本気でまずい)
「答えなさい!
「化け物?」
交渉しているつもりの真井をオールドローズは遮る。ホテル中の人間を銅像にした犯人をオールドローズだと決めつけてる時点で話にならない。
「化け物? 見当違いだよ。ここまで来てさぁ、ここにいて、まだなんにもわかっていないのか。空気が明らかに固いだろうが」
「なにを……」
「そうか、忘れたか。かくも人類は忘却の使徒なのか――だが私は忘れていないぞ」
「忘れる? どういうことですか? 詳細に――」
オールドローズは溜め息を吐いた。
「……ああもう、五月蠅いなぁ。キンキンキンキンと。そんなに自分を大きく見せたいか、小娘」
「……!」
「人間どもの権威ごっこならともかく、私は八百年モノの吸血鬼だぞ。おままごとには付き合ってられんな。それとも、アレ? 私が人殺さない吸血鬼だから甘く見たとか? それは―――不愉快だな」
人を殺さない吸血鬼。世界で一番古い薔薇、屍肉喰らいのオールドローズ。戦場を渡り歩き、屍を貪る戦場の亡霊。人を殺さぬ臆病者のオールドローズと揶揄されながら、なお畏れられる伝説的怪物。
彼女は公的に確認されている中で、もっとも古い吸血鬼であり、最強の吸血鬼だった。
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