南仏記⑤ 天空の村
一年前の夏に訪れた南仏の山あいの村にまた滞在している。バカンスで同じ家にリピートするのはこれが初めてだ。民泊のオーナー夫婦は僕たちを親戚のように扱ってくれる。ホテル滞在では味わえないあたたかさがあるし、何より地元の人だから情報を色々と教えてもらえる。
インターネットのガイドで、前回は行かなかった場所を見つけた。トゥルトゥルという、カタカナで書くとずいぶん可愛らしい名前の村だ。「フランスで最も美しい村」のひとつに選ばれているらしい。
しかも別名「天空の村」。
まるであの映画を彷彿とさせるフレーズではないか。これを見た途端もう脳内ではひとかたまりの村が空に浮かんでしまった。こんなキャッチコピーがついていたら行かないわけにはいかない。
ジグザグな山道を経て着いたのは、南仏らしいボコボコした石壁とオレンジの瓦屋根が並んだ、こじんまりとした村だった。迷路のような坂道が複雑に入り組み、ふと視界がひらけるとそこには山々が眼下に見下ろせる真っ青な空があった。
これは確かに天空の城、じゃなくて村だ。まるごと中世の美術館、どこを切り取っても絵になる。
だけどひとつだけわがままを言えば、もう少しだけ観光地の色が強くない方が魅力的ではないかと思った。絵葉書のようではあるけど、きれいすぎて隠れ里っぽい感じがしない。旅行者の勝手な望みだが、こういう場所はちょっと寂れているぐらいがいいのになあ、と思ってしまうのだ。
ふと数年前訪れた北イタリアの村を思い出した。そこも山の上にあって、斜面にこびりつくように小さな建物が密集している様子は圧巻だった。迷路のような石の階段はトゥルトゥルに似ていたが、このイタリアの村には店やカフェなんかがほとんどなく、観光地には見えなかった。
部外者が入り込むことに気まずさを覚えるようなあの空気が逆に冒険心をくすぐるのだろうか。どうぞいらっしゃいと愛想よく迎えてもらえるのは有り難いけど、どこか神秘的な顔も残して欲しいな、なんて思う。やっぱり旅行者の勝手な言い分である。
民泊のオーナーに話すと、もうひとつ、コティニヤックという酒みたいな名前の町を教えてくれた。わりときれいだよ~、なんて軽くおすすめされたので、軽い気持ちで行くことにした。
ここは期待以上だった。
緑で覆われた山の斜面に、雨と風で溶かされた岩がむき出しになっている。石灰でできた断崖絶壁のファレーズだ。ノルマンディーのファレーズは真っ白だが、こちらは赤くどす黒く、溶けかけのマグマが固まったような景色である。
町はまるでこの崖の中から生えているみたいに見えた。すごいなあと下から見上げていたが、ファレーズは徒歩で登ることができるという。ナントカと猫はどこでも高いところに行きたがる。登らない理由がない。
崖に造られた細く急な階段を、手すりにしがみつくようにして進んだ。岩の壁は近くで見ると、よりおどろおどろしく凄みがある。
頭をぶつけそうな岩のトンネルを抜けた先には、ひとつの部屋ほどもある大きな洞穴があった。隙間から差し込む光以外は真っ暗で、カビ臭い匂いがした。
山の上の鍾乳洞はそれだけでワクワクさせ、束の間だけ子どもに還ったような冒険者の気持ちにしてくれた。すぐ目の下にあるオレンジ色の可愛らしい町並みと厳めしいファレーズとのギャップがなんともいい。涼しい顔でこの驚異的な自然と共存しているところがかっこいい。
町の広場のカフェでは、常連らしき中年男たちが入れ替わり立ち替わりやってきてはビール片手にお喋りをしていた。半ズボンでのんびり働くカフェの主人はお愛想よりも悪戯が好きそうな顔をしていた。
ガイドに載っている場所ももちろんいいけど、こうやって人に聞いてふらっと行ってみる方が案外と面白い場所に出会えるのかも知れない。トゥルトゥルも美しかったが、僕にとってはコティニヤックも充分魅力的な「天空の村」だ。
野性味あふれるファレーズは、バカンスで弛んだ頭を気持ちよく刺激してくれた。ここの景色を見られたことは貴重な思い出になりそうである。
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