南仏記⑥ 流れ星とミツバチ

 滞在中は夜空を眺めるのが日課だった。

 日が長いので真っ暗になるのは夜も十時半を過ぎてからだ。気温は昼間より十度以上は落ちるから、何か羽織らないと寒いぐらいになる。


 庭の真ん中に折り畳み椅子を置き、ぐんと後ろへ倒して背中をあずけると、空には天然のプラネタリウムが広がっている。目が慣れると星の数はどんどん増えてくる。

 湿度を含んだ冷ややかな緑の空気を肺いっぱいに吸い込むと、体を浄化してくれるように感じた。濃い緑の空気を味わいながら時間を忘れて星を眺めているなんて、ここでしかできないことだ。僕は一日のうちでこの時間を一番楽しみにしていた。


 夏の夜は流れ星が多いそうだが、幸運なことに二度も遭遇した。二度目の方は特大の流れ星だった。突然現れたかと思うと、左から右へ長い光の尾を引きながら目の前を横切り、視界の端でふいと消えた。その間五秒ほどはあっただろう。

 こんな大きな流れ星を見られるのはもしかしたら一生に一度かも知れない。夜空が観賞者の期待に応えてくれたようで嬉しかった。


 テラスのラベンダーは一年前よりもぐっとボリュームを増していた。射るような南仏の太陽の下でミツバチが花から花へ飛び回る景色もだいぶ見慣れたものになった。なんとか写真に収めようとカメラを向けるが、連中はこちらの都合などお構いなしだから翻弄されるばかりである。


 そうしているうちに一匹の蜂がずっと同じ花にとまっているのが見えた。これはラッキーだと思ってカメラを向けたのも束の間、僕はその蜂がまったく動かないことに気づいた。

 どきりとしてカメラを降ろした。

 その蜂はラベンダーにとまったまま死んでいた。


 ほかのミツバチがせわしなく蜜を集める中で、固まったように動かないその姿は異様だった。僕はラベンダーの茎を手に取って、葉の生い茂るプランターの中へそっと蜂を振り落とした。

 ミツバチの生態も寿命もなにも知らないが、こういう死に方をする者もいるのだと初めて分かった。心臓麻痺でも起こしたのか、それともこれが寿命だったのか。


 そのあとも、二匹ほどこうやってラベンダーにとまったまま死んでいる蜂を見つけた。そのたびに僕は亡骸をプランターの中へ振り落とし、埋葬したような気分になっていた。本当ならそんなおセンチなお節介をしてやることではないのだろう。時間がたてば乾いて花から落ち、アリに運ばれるかそのまま土に還るかして自然の一部に戻るだけだ。ほかのミツバチは仲間が死んでいるのが目に入らないように仕事に夢中である。関係のないオブジェのごとく通りすぎる。シビアだけどこれが自然の有り様だ。


 ふと流れ星を思った。これもひとつの星が死ぬ時だ。

 同じ終わりを迎えるにしてもミツバチとは大違いだ。あんなにも華やかな散り際を見せつけるとはなんと自己主張の強い死だろうか。そしてその姿を見て感激している人間がここにいる。あわよくば願い事をかけようなどと言って有り難がる。

 ひとつの死はミツバチも星も同じだろうに。


 ひっそりと息絶えていたミツバチが潔く思えた。彼らは自分の人生が何たるかとか、どう生きればいいかなんて思い煩ったりしないんだろう。飛べるようになった時からただひたすらラベンダーを追い、蜜を取り続けるだけ。自然の摂理に従うだけ。

 ほかの蜂より多く蜜を取ってやろうとか、サボってやろうとか、時間外労働をいやいやさせられるとか、ミツバチの世界にはないんだろう。迷いもなく本能のままにそれだけを求めて命を終えるなら、生き甲斐のようなラベンダーと一緒に死ねるなら、立派な死に様だ。まるで舞台の上でこと切れる俳優のように。

  

 流れ星のような死はきれいだ。

 だけどいかに目立たなくても、ラベンダーを抱きしめるようにして死んでいたミツバチは幸せだと思う。どれぐらい生きたかは問題じゃない。自分は大好きなものを抱きしめながら死ねるだろうか。いつまでも迷ったり後悔したりしながら終わりを恐れたりはしないだろうか。

 ミツバチの死にそれを考えさせられた。

 人間に生まれるのは、ときに残酷だ。 


 自然の営みの中で淡々と見せられるものには抵抗のできない説得力がある。馴染んだつもりになっていても、この田舎の風景の中にはまだ自分の考えの及ばないことがたくさんありそうだ。


 ミツバチはラベンダーの群れの中で土に還り、新しい花を咲かせるだろう。今度がいつになるか分からないが、新しい花と蜂たちが作る、いつもと変わらない風景を、また見に来たいと思う。

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