歴史の遺物・モグラの巣

 フェカンという町に泊まった翌日は晴れていたので、今のうちにと午前中ファレーズに登ることにした。


 ファレーズは海抜百メートルぐらいで、断面こそ石灰の岩だけれどその周りは緑に覆われている。カーブが続く道にはうっそうとした木々が生えている。エトルタのファレーズでは海岸から手作り感あふれる急斜面の階段を登ったのでかなり息が切れた。今回は時間短縮&体力温存の車なので楽勝である。


 しかしどんな登り方をしようが、岸壁の頂上に着いて海を振り返ったときには、息切れではなく感嘆の息が漏れる。


 何しろ海のサイズが違う。空のサイズも違う。フェカンの港に整然と並んだ船舶がおもちゃのように見える。さっきまで威圧するようにそびえていたファレーズがずっと遠くまで見渡せる。同じ高さに揃った真っ白な断壁が、水平線に霞んで見えなくなるまで延々と続いている。

 崖の下を見ればゴツゴツとした岩場に波が打ちつけていて海藻が黒く影を作っている。岸壁のてっぺんは苔むしたような緑色なので、この色のコントラストがいっそうファレーズを白く見せる。


 とにかく本当に来てよかったと思える素晴らしい眺めだ。この付近は危険ですと表示があるものの、人が踏み込んだ跡があるとつい倣って岩場のぎりぎりまで足を進めてしまう。確かにここから落ちれば一巻の終わりなんだけど。


 しかし危ないのは崖の部分だけで、ファレーズの頂上はとても長閑である。

 野生の植物が茫々と生い茂るだだっ広い草原。風力発電の白い風車がぽつぽつと建っていて、いかにも呑気にゆっくりと回っている。その先には放牧場でもあるのか馬が何頭もいて草を食んでいた。こうすると随分牧歌的だなあと思う。


 閉まっている古い教会と灯台みたいな気象予報台のほかには何もない、のんびりとした景色──。

 と思っていたら、岬の先に巨大な円盤みたいな建物を見つけた。隣には四角い岩のかたまりのような建物もある。遺跡かと思うがコンクリートでできている。妙に物々しく、奇怪なオブジェだ。だけどそれが何かはすぐに分かった。


 第二次世界大戦中のドイツ軍の要塞である。


 当時フランスを占領していたドイツ軍は、ノルマンディー上陸作戦に備えてここへ監視所を造った。バンカーと呼ばれる巨大な円盤は地下がシェルターになっていて、兵隊がそこへ駐屯していた。古城の城塞のようにも見える四角い建物は大砲の砲台である。海峡を渡ってくる連合軍の船を目がけ、ここから海へ向かって大砲を打ったのだ。


 要塞の周りの地面には、大人がひとり入れるぐらいのコンクリートの穴がいくつも開いていた。海を監視するためか、ここからも砲弾を打ったのか分からないが、それはまるでモグラの穴をコンクリートで固めたように見えた。無機質で不気味だった。


 バンカーの地下シェルターは今は砂で埋められている。沢山の部屋が地下に張り巡らされ兵隊が収容されていたのだから、それこそモグラの巣みたいだったろう。中の様子を見学できたらいいのだけど、不発弾が残っている可能性もあるから危険だそうだ。そういえばつい最近、ノルマンディーのどこかの浜辺で不発弾が見つかったと聞いた。大戦から何十年経ってもまだ残っていることに驚いた。


 美しい自然にばかり目を取られていたが、ノルマンディーの海岸は戦争の最前線だ。そこには過酷な歴史が刻まれている。

 海には敵の軍艦が何隻も浮かび、空からは爆弾を積んだ飛行機が押し寄せる。今しがた自分が通ってきた山道も、ファレーズの雄大な眺めも、ここへ送られたドイツ兵たちには全く違うものに感じられたことだろう。

 いつ命を落とすとも分からない穴の中の日々。侵略した側とはいえ、国のために青春を犠牲にしたモグラたちの目にこの海峡の景色はどう映ったんだろうか。


 ファレーズの牧歌的な草原にこの要塞は明らかに異物である。でも不思議なことにそれもまた歴史の一部としてそこに馴染んでいるようにも見える。苔の生えたバンカーと砲台は「戦争の傷痕」みたいな悲壮感を漂わせるというより、周りを覆いつくす乾いた草と同様、淡々とそこに放置されている、そんな印象を受けた。


 フェカンの岬で見た歴史の遺物は、小説だけでない、ノルマンディーの別の顔を思い出させてくれたのである。

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