フランスで最も美しい村

 初めて書いた小説は十九世紀のフランスを舞台にしたものだ。主にオルレアンやパリで話が進むのだが、もうひとつ、舞台として主人公の出身地である田舎の村をどこかに定める必要があった。


 今はストリートビューなる便利なものがあって、そこへ行かなくても世界中のたいがいの場所を見ることができる。僕も例に漏れずなまぐさにそういうのを使って、舞台になりそうな場所の画像を検索して回った。


 決めたのはフランスのほぼ真ん中、ベリー地方にあるアンドルという県。


 いくつかの村の画像を見る。

 教会を中心にした小さな集落。うねった細い道に地味な家々。少し外れたら畑ばかりで、遠くには森が見える。これは理想的だとこの風景をイメージしながら書いた。


 しかし、書いたはいいが今度はその場所の空気が知りたくなった。本当にここでいいのか肌で感じたい。かっこよく言えばロケハン。平たく言えばただ小旅行したいだけ。

 で、春の休暇を利用して行った。


 実際に足を踏み入れたその土地はため息が出るほど……田舎だった。


 車で走る県道沿いには畑と放牧場しかない。見渡す限り開けっ放しの緑である。時々納屋のような建物がぽつんと建っているが、石壁のボコボコとした武骨な造りで中世の牢屋のようだ。赤い瓦屋根がついているものはまだいい方で、中には屋根がまるごとごっそりなくなっているのもある。修理も解体もされずにずっとそこに放置されたままの納屋は、お化けでも棲んでいるんじゃないかってぐらい不気味だったが、妙な味があった。


 放牧場では牛がのんびりと草を食んでいる。この地方は山羊のチーズが名産なので、僕は山羊の放牧がないか目を皿のようにして動物たちを眺めた。小説の主人公はもと山羊飼いという設定である。ここで山羊の一匹も見つけなければ不安になる。

 しかし牧場にいたのはことごとく牛だった。焦る。設定を誤ったか。あるいは舞台をスイスにするべきだったか。いやそれではペーターになってしまう。


 と、やっと山羊を発見。でも……たった二匹……。

 現実は厳しい。


 しかし地方のイメージとしては自分が思い描いた通りだったので満足した。

 若干違っても「十九世紀だし」という言い訳付きであるが。


 納得したところでここの気候と自然がなんだかより素敵に思えてきた。贔屓目が入ったかと思うけど、それだけではない。

 このベリー地方、侮れないのである。


 ここには「フランスで最も美しい村」の一つであるガルジレス・ダンピエールという村がある。ジョルジュ・サンドゆかりの土地らしい。サンドには詳しくないけど行ってみることにした。


 道はなだらかなようでどんどん山の上へ登っていく。こんなに標高が高いとは知らず、本当にこんなところに人が住んでいるのかと思う。道標を頼りに進むと、ほとんど頂上のようなところまできた。


 目に入った集落は、まるで絵葉書のようだった。


 山あいに隠れるようにして建つ中世風な家々は、素朴な石壁の色も、揃いの赤い屋根もレンガの煙突も、その剥げ具合さえ計算されているんじゃないかと思うほど絵になる。春だったので家の壁や門には藤の花がこぼれそうに咲いている。眼下に広がる森の色は南仏の浅緑ではなく深く濃い。緑の匂いが立ち昇ってくる清潔な空気。

 こんな美しい場所がこんな目立たないところにあるとは。崖の上にひっそり咲く野花みたいな村だ。素朴で飾り気がない。自然と家々が調和している。

 これならジョルジュ・サンドも気に入るだろう。さすが美しい村に選ばれるだけのことはあると納得した。


 もう一箇所、昔の映画の舞台になったという村にも行った。ここも丘の上にあって、迷路のような道と坂の上からの絶景が素晴らしかった。やっぱり素朴で、初めて来るのに懐かしい気持ちにさせる雰囲気の村だった。


 ここで驚いたのは、集落に一軒しか開いていなかったブラッスリーの昼飯である。

 メニューに選択肢がないのでその日の定食を出してもらったのだが、田舎風パテも、普段なら食べないステーキも、付け合わせの自家製フライドポテトも、添えられたサラダも、全部美味しくて残さず平らげてしまった。食事と一緒に出てきた村のパン屋のバゲットは買って帰りたいと思うほどだった。値段もパリとは比較にならないほど良心的。それでこの質なのだから頭が下がる。

 

 動機はどうあれ、この豊かな地方を発見できたのはいい経験だった。ストリートビューではここまで知ることはできなかっただろう。やっぱり田舎の風景は肌で感じるのが一番だ。のんびりして美味しくて、何より美しい。


 地方に行くたび、本当のフランスはパリではなくこっちだと思うのである。

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