ニーハオと言わないで
「道を歩いていたらいきなりニーハオと言われてムッとしたよ。ジャポネだって言い返してやった」
日本から出張でパリに来た人が憤慨しながら言った言葉である。
確かにここではアジア人と見れば十把一絡げにこう声をかける人はいる。知りもしないくせに決めつけてかかるとは失礼だ、と言いたかったのだろう。
出張に来る日本人だけでなく、在仏の日本人にも同じようなことを言う人がいる。アジア人とくればみんな「
この街にそこそこ長く住んでいると、この不満を口にする人が意外と多いのに気づく。
こういうことに神経質になる人は、自分の中で「日本人」としての意識がとても強いのだろう。日本人であることに誇りを持っている。だからそのプライドが高いほど余計、適当に「シノワ」にされることにいら立つのだ。
でも、世の中はそんなに気が利いていない。
自分の話になるけど、いつだったかオペラ座のあたりで、前方にいた女性がいきなり中国語でいっぱい話しかけてきた。観光客で道を訊きたかったのかも知れない。僕はどうしようもなく、フランス語で「中国語分かりません」と答えた。そしたら「あらやだァ」みたいな顔で笑われてしまった。
ある時は、メトロのエスカレーターで前に立っていた男が振り返るや否や中国語で話しかけてきた。
キリスト教の伝道者に韓国語で話しかけられたこともある。
道すがら知らない人に突然、「あなたベトナム人ですか?」と言われたことも二度ぐらいある。
さらには「ラオス人の親戚に似ている」と郵便局員に言われたこともある。
そして、なぜか日本人だと一発で当てられたことは一度もない。
ここまで色んな国の人にされると、正直どうでもよくなってくる。
というか、同類にさえこうやって間違われるんだから、他の人たちに分かるわけがないよなあと思えてくる。
例えば、アフリカ人を見て、出身国を見分けられるか。その人がセネガル人かマリ人かコンゴ人かイヴォワール人か。またはマグレブ系の人を見て、チュニジア人かモロッコ人かアルジェリア人か。
無理でしょう。多分この人たちのあいだですら無理だと思う。
観光客なら服装や雰囲気でなんとなくどこから来たのか分かる。でも住んでいる人はだんだん街に同化していくから出身国が分からなくなる。
フランスにいるアジア人は中国人かベトナム人がほとんどである。だからちょっと馴れ馴れしい人が「ニーハオ」と言ってきても、これはある意味無理のないことだ。目くじらを立てていてはキリがない。
確かにニーハオの中にはからかい半分やアジア圏の人間を少し見下したニュアンスで声をかける連中もいる。ムッとするのもそういうニュアンスを感じるからだと思う。
だったらそういう時はむしろ「ボンジュール」と返してやる方が上手だ。ここはフランスなのだから。
僕だって何度もニヤニヤしながらニーハオを言われた。確かに最初はイラっとした。でもだんだんどうでもよくなってきた。だから笑顔でボンジュールと返してやることにした。十把一絡げで結構。それが外国に住むということだ。
シノワでもベトナミアンでもいい、雑多な街に住んでるただの外国人、いちアジア人っていうのが今の自分にとっては一番楽な立ち位置だ。
そのうち僕のことを一発で日本人だと当てられる人に会うことも……
うーん、やっぱりないかな。
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