恋を知らない僕達は 1

 今日はすこし疲れてしまった。朝から一日中歩き詰めの上、千代の世話。そして締めが死人ときた。死人の焼ける匂いを鼻に残しながら、しづめさんが布団を用意してくれたという客間へ向かう。さすがに瞼が重い。明日に向けて休むとしよう。

 客間の襖を開けると、

「遅いわよ柊。カガと何話していたの?私待ってたのだけど」

溜息が出た。何故、千代子がここにいる?何故、布団が二つ並べられている?

 千代子は布団の上でうつ伏せになり足をバタつかせて不服そうな顔をしていた。

「千代……千代の客間はあっちだろ?何やってるの」

「何って、お泊りよ?私、お泊り初めてなの!お母様は許してくださらないし、兄たちも心配ばかり。私の家に人を呼ぶことも叶わない。もう今回を逃したら私一生お泊りできないかも…!」

 まるで不幸だとでもいうように悲しげに語りかけてくる。千代子が自分の我を通そうとするやり口の一つだ。

 足をバタつかせるために浴衣の端から白い太腿が覗かせる。千代子を横目に、千代子の奥にある自分の布団に潜り込んだ。

「俺は眠いからもう寝るよ」

「ええええ、なんでなんで!柊のこと待っていたのよ!千代子より先に寝るなんて許さない!」

 布団を引き剥がしてくる。こうなると千代子は人の話を聞かない。妥協したほうがこちらのためというもの。

「はいはい、で?なにをしてほしいの?」

 千代子の方に寝返りをすると、真っ黒の瞳が眼前に現れる。

「何かお話をしてちょうだい。私より先に寝ちゃだめよ?私が寝るまでお話をして」

 頬を緩ませ目を細くする姿に、そしてその距離に、声が出そうになり抑える。一瞬鼓動が大きく鳴る。今、顔に出ていなかっただろうか。だめだ、動揺してはいけない。全ての感情を息と共に飲み込む。

「……もう眠いんだって。千代、我儘言ってないで寝るよ」

 千代子に背を向ける。本当に今日は疲れているようだ。普段は完璧に感情を殺せているのに、今日はどうしてか心が揺れる。寝なきゃ。早く明日を迎えなければ。

 その時、背後から石鹸と花の匂いが漂う。そして首に手が回される。同じ布団の中、二人分の熱が篭もる。

「ねぇ柊お願い。今晩だけだから!」

 耳に息がかかる。千代子の声が耳から全身に響いていく。鼓動が早くなり、苦しい。

 どうして千代子は無防備なんだろう。いつもそうだ。周りの悪意に気づかず飲まれかける。例え悪意に傷つこうとも相手を責めず、自らが変わることなく、人を愛することをやめない。どうしてそうやって生きられる?自分が守ってあげないとと思っていたけれど、これじゃあ、いずれ、

 穢されてしまう。

振り向き、千代子の小さな身体を仰向けに布団に押し倒す。千代子の身体に跨り両手を顔の横につく。

 鼓動が速い。動悸がする。胸が苦しい。息が苦しい。

「千代、俺も男なんだよ?」

 これは警告。千代子が無防備な行動をとらないために必要なこと。これで多少嫌われても、千代子のためになるなら。

 千代子は丸い目をさらに丸くする。一瞬時間が止まったかのように、音が消える。

 すると千代子は、くすっと笑い、身体を起き上がらせ首に手を回し抱きしめた。

「知ってる。私にとって、とっても特別な男の子よ」

ああ

嗚呼

千代子、どうしてそんなことを言うんだ。

俺は千代子のことをよく知っている。だからわかる。千代子の今の言葉には、特別な意味はない。言葉通り千代子にとって特別な男の子というだけ。そこには深い感情は存在しない。

 でもね、千代子。俺たちはもう十七歳なんだ。そして千代子の期待には応えられない普通の男なんだ。性欲だってある。欲情ももっている。

 目の前にいる気が強くて我儘だけど力が弱くて小さい女の子。本当は泣き虫で怒りっぽいけど家業を理解し相応しく振る舞ってる努力家の女の子。とても繊細なガラス玉。世間に荒まず誰にも穢されず綺麗な存在。俺が捨てた感情を拾って大切にしてくれている人。壊れそうで、絶対に壊したくない対象。

 自分のこの穢れた心が、身体が、本当は君に触れることすら許されないのに。君が俺を望むからどれだけ怯えながら君と過ごしてきたと思うんだ。自分のこの穢れた手で触れることがどれだけ怖かったと思うんだ。

 それなのに君は、君から触れてくる。求めてくれる。受け入れてくる。信じてくる。大切にしてくる。

 眠気のせいだろうか、頭がはっきりとしない。布団に二人入ったからだろうか、全身が熱い。

 耳元で声がする。

「だからずっと一緒にいましょうね」


千代子、君は本当にーーー


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