気高き竜

 リーがシーラを見、シーラは驚いて目を丸くした。


「私の?」


 小さな声でシーラが呟いた。それを励ますようにリーは言った。


「そうよ、お姉さまの」

「シーラの意見なんて……」


 ベルが苦言を呈す。リーはぴしゃりとそれを跳ね返した。


「お姉さまだってもう立派な成竜なのよ。お母さまはいつまでも子どもだと思ってらっしゃるんでしょうけど。だからお姉さまの意見も一族の尊重すべき声の一つだわ。ねえ、お姉さまはこの結婚に賛成? 反対?」


「私は……」シーラは胸の前でかぎ爪を突き合せた。声が狼狽えている。ベルがシーラを睨みつける。リーは黙ってシーラの答えを待っていた。ベルは怖い声で念を押すように、シーラに言った。


「もちろん反対よね、あなたも」

「――いえ……、いいえ、お母さま。私は賛成です」

「シーラ!」


 ベルが声を上げ、リーが笑った。リーは今度はユンの方を向くと、尋ねた。


「あなたは? ユン。あなたはまだ子どもだから数の内には入らないのだけど、あなたの意見も聞いておくわ」

「ええと……僕の意見は」


 突然のリーの登場と意外な話で、気分の悪さはいったんどこかへいっていたが、またじわじわと戻ってきつつあった。ユンは上手くまとまらない頭で、考え考え言った。


「その……しばらくすれば竜が生まれるのならば、今更ごちゃごちゃ言っても仕方がないような気もするし……。うん」


 本当は、今ここでごちゃごちゃしてるのをやめてほしいのであって、揉めるにしても三匹で揉めて、自分は早く自室にひきあげて横になりたかった。ユンの言葉に、リーは大いに笑った。


「お母さま! そういうことなの! そして一族の竜は他にもいるわ。彼らにも意見を聞かなくちゃね。彼らが何というか……」

「……そう」


 低く小さく、ベルは呟いた。顔を伏せ、身体を震わせんばかりに硬くし、地面を見ている。少しの間、みな黙った。リーも既に笑っていなかった。と、ふいにベルが顔を上げた。


「そう。よくわかりました。これが今の時代というものなのね。これが今の竜というものなのね。子どもたちなんて誰一人、私の思った通りに育たないんだわ。ええ、よくわかりましたとも。

 全てが悪くなっていくんだわ。全てが堕落していくの。もう後戻りはできないのね。けれども、私は――私だけは――たとえ最後の一匹になったって、古い時代のあの高貴な竜のような――そんな精神を失わず、気高く――」


 そこまで言うと、ベルはたちまち洞穴へと姿を消した。駆ける、というよりも、ほとんど飛ぶような勢いだった。岩だなには子どもたち三匹が残された。数秒ほど誰も身じろぎ一つしなかったが、真っ先に我に返ったのはシーラだった。


「お母さま!」


 そう言って、ベルの後を追おうとする。リーがそれを引き留めた。


「お姉さま、やめておいたほうがいいわよ。今お母さまに声をかけても、火に油だと思うの」

「でも……」


 心配そうにシーラは洞穴を見つめたが、けれどもリーの言葉に従った。リーは微笑み、きょうだいたちを見た。


「卵が孵るまでここには帰らないつもりだったのだけど、でも、人間のお城で面白いことがあったって聞いたので来てみたのよ。お母さまが大活躍だったそうじゃない? 詳しく教えてくれる? 私の方もあなたたちに話したいことがあるし。ナラのこととか、産まれてくる赤ん坊のこととか……。お姉さまには全て打ち明けていたけど、ユン、あなたには黙っていたし、びっくりしてるでしょ?」

「うんまあ、びっくりというか」


 ユンは力が出なかった。もうあれこれ限界であったのだ。そこで、ユンはリーに遠慮がちに言った。


「僕も久しぶりに姉さんに会えて嬉しいし、話したいことも聞きたいこともあるけど、でも今はやめてほしいんだ。気分が悪くて、できるなら横になって静かにしていたいし……」

「気分が悪い? どうして? 何かあったの?」

「お酒を飲み過ぎた」


 リーが快活に笑った。瞳が輝いて、そして岩だなからぱっと飛び上がった。上空で、翼を動かしながら、リーが言う。


「二日酔いなのね! 私、二日酔いによく効く薬草を知っているのよ! 今からとってくるわね!」


 そしてリーは勢いよく、飛んでいった。濃いレモン色の鱗が鮮やかに輝き、太くしなやかな尻尾が流れるように動いた。ユンは呆気にとられてその姿を眺めた。そう、こういう姉なのだ。シーラとは違って、お転婆で向こう見ずで、行動力溢れる姉なのであった。




――――




 ある春の日のことだった。ユンはナラの農場にいた。ナラとともに、けれども彼だけではなく、シーラも一緒にいた。


 三匹とも人間の姿をしており、農場の前の道で、客が来るのを待っていた。やがてそれは見えた。春のうららかな空の下を、埃っぽい道の上を、一台の馬車と馬に乗った人間がやってきたのだ。ユンは気づいて手を振った。


 馬上の人物はゲオルクであった。そして馬車には誰が乗っているかわかっていた。ルチアだ。

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