影たち

 ひんやりとした秋の夜の空気が二人と一匹を包んだ。若い騎士は足早に歩いていく。それにゲオルクとユンは続いた。もう一人騎士が現れた。彼も不安な表情をしている。


 その騎士が言った。


「ゲオルクか。奇妙なものが現れたんだ。見たこともないもので、正体がまったくわからない……」

「害になるものなのか?」

「今のところ、こちらにむかってはこない。――ほら、あれだ!」


 騎士は庭の一隅を指差した。美しく形が整えられた木の後ろから何かが出てくる。黒いもの、影のようなものだ。人間の頭ほどで、縮んだり膨れたり、震えたりしながら、地面を這っている。ユンはぞっとした。確かにこんなもの、見たことがなかった。


 月の明るい夜で、白く静まり返った庭に、それだけが異質さを持っていた。夜の闇を集めたような、黒。しばしの間、誰も何もしゃべらなかった。


「あっちにもいる!」


 ゲオルクを呼びにきた騎士が、今度は違う方向を指差した。謎のものが、今度は二体あった。そしてあきらかに、伸び縮みをしながら、こちらにしのびよってきていた。


「――むかってこないんじゃなかったのか」


 ゲオルクが言って、腰の剣に手をかけた。そして謎の影に走り寄る。影は、驚いたように動きを止めた。


「数が増えている!」


 騎士が叫んだ。影は、いつの間にか増えていた。どこからか集まってきているようだった。ゲオルクは影たちを見て、そしてそれらがやってくる方向を見つめた。


「――塔……」


 ゲオルクは二人の騎士を見ると、大きな声で言った。


「俺は、この影がどこからやってくるのか突き止めてみる。お前たちは戻れ。大広間を警護するものがいるからだ。そして――」

「俺はゲオルクと一緒に行くよ! 一人だと危険だろ!」


 ユンの言葉にゲオルクはわずかに笑顔になった。


「ありがたい」


 話は決まった。二手に分かれて行動を開始した。ゲオルクは傍らにやってきたユンに言った。


「こいつらは呪われた塔のある方から来ているんじゃないかと思う。これからそこへ行ってみよう」

「わかった。――ゲオルク」

「どうしたんだ」

「影が、近づいてきている。俺を狙っているのかな?」


 ユンの言ったことは確かであるようだった。影たちがじわじわと一人と一匹との間の距離をつめようとしている。いや、一人と一匹、ではなかった。ユンはその良い目で、夜の庭を見つめた。ゲオルクではない。彼ではなく、影たちは自分を狙って、近づいてきている。

 

その内の一つが、ユンにとびかかってきた。ユンは慌てて逃げた。ゲオルクが剣を抜き、それを切った。悲鳴のようなものが聞こえたが、死んではいないようだった。二つに分かれたそれは、分かれたまま地面に落ち、少しの間、うねうねと動いていた。そして怯んだように退却を始めた。


 影たちみんなに動揺が走ったようだった。また動きを止めている。そしてこちらを伺っている。ユンは護身用の短剣を取り出し、そして、ゲオルクに礼を言った。


「ありがとう。助かったよ」

「いや、怪我がなくて何よりだ。それにしても――これはどういうことなんだ?」

「この影たち、俺が嫌いなんだ。じゃなくて、竜を狙っているのかも。竜が嫌いなのかもしれない」

「竜が――……」


 ゲオルクが口を閉ざした。何かを迷い、悩んでいることが、表情からわかる。ユンは尋ねた。


「どうしたんだ?」

「塔のことで、少し変な話があるといったろ。あれはこういうことなんだ――」


 そして気まずそうな顔で、ゲオルクは話したのだった。塔を使用している人々がいるということ、彼らが竜を嫌っていること、そしてそれらが、塔の周囲でユンが人間の姿になったことと、関係があるかもしれないということ――。


「証拠があることではないんだ」ゲオルクは言った。「けれども――竜に敵意を燃やし、暴走している人々がいるのかもしれない。……申し訳ないことだが……」

「まあ、そういう人間もいるだろうね」


 動揺を隠しつつ、ユンはさり気なく言った。ベルの主張していた、変な薬というおかしな説もあながち間違いではないのかもしれない。けれども、それほどまでに嫌われているとは、ショックを受けないでもない。


「強制的に竜の変身を解く、何か魔術でもあるのだとしたら」ゲオルクはユンに向かって熱心に言った。「それは間違ってるよ。人間の町で竜は竜の姿でいることを禁じられているが、けれども人間の姿になることは竜の意思によって行われることだ。それを強制するというのは――」

「うん、そうだな。あまりよいことじゃないかもな」

「すまない、ユン。人間は竜を排除したいわけじゃないんだ。ただ、少し、恐ろしいだけで……」

「わかってるよ」


 ユンはゲオルクに負担をかけまいと笑顔になった。ゲオルクがその一件に関わっているわけではないので、そこまで恐縮しなくてもいいのに、と思う。けれども真面目な性格なのだろう。


 ゲオルクがほっとした表情を見せた。そして、はたと現在の状況を思い出したように、辺りを見回した。影たちがユンから離れつつあった。けれども完全に退却する気ではないようで、別の方角を目指して移動していた。パーティが行われている建物があるほうだ。


「ゲオルク、大広間には竜が」


 影たちの動きを見て、ユンが言った。ゲオルクは頷いた。


「そちらに標的を変えたのかもしれない。まずは、パーティに来ている竜たちの安全を確保しないと」

「戻ろうか」


 カヤの身が心配になった。何しろ自分はお供として来ているのだ。お供の役目がどこまでなのかはわからないが、あの老竜が危険にさらされるなら、それを見過ごすわけにはいかないだろう。


 かくして一人と一匹は来た道を戻り始めた。




――――




 ルチアは退屈していた。パーティは盛況といってよかった。華やかな楽の音、楽し気な会話、踊る人々の群れ。ルチアは少し疲れて、自分の席へと返っていた。そしてそこに座り、そっとため息をついた。パーティは思っていたほど、楽しいものではない。

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