葵の話《偽書》

葵 小学生の時

「何時までお人形さんと遊んでいるつもり? もう小学生でしょ、あなた」


 葵が小学校一年生の時の担任は、初老の女だった。

 ファンデーションを大量に塗りたくり、怒鳴る度にポロポロと崩れる。肌の色と似合わない真っ赤な唇の横のほうれい線は、そのせいでよりくっきりと見えていた。

 その担任は一人で本を読ませるより複数と外で遊ばせることを重視した。授業は一切口を開いてはならず、例え教師に当てられたとしても、余計なことを言ってはならない。

 皆、教師に怯えていた。あてられる度に泣く子もいた。その度に教師は怒鳴った。

 ただ一人、葵だけは涼し気な顔で答え、担任は満足気な顔をし葵を称えた。お気に入りの生徒であった。


 ところが、葵は休み時間、担任に話しかけられても一切を無視して過ごしていた。

 そして彼女は、外に出ても一人で過ごし、その場にあった石やボールに命を吹き込んで遊んでいた。

 特に隠れていた訳でもないので、目撃したクラスメイトたちは困惑したりからかったりしていたが、葵は無反応だった。

 笑いもしない、怒りもしない、泣きもしない。勿論、授業以外は喋ることも無い。

 気味が悪い、と、周りは彼女を避け始めた。


 生徒の恐怖の対象は、担任から葵に変わった。

 すると不思議なことに、生徒の何人かが、担任を無視するようになった。怒鳴られても叩かれても、授業を遮るように喋りはしゃぐようになった。

 担任は自分の思い通りにならない原因が、葵にあると理解した。そしてお気に入りだった分、残酷に葵の人格を詰ることにした。

 しかし彼女は、休み時間はまったく反応しなかった。それがさらに、担任の立場を揺らがし、下げ続けていた。なぜなら生徒たちは、担任より葵の方が強大であると認識するからだ。


 ある日、担任は葵をあてて、冒頭のセリフを吐いた。

 するとようやく、葵の表情が変わった。大きな目を見開き、口を開けた。にや、と担任は笑った。


 葵はキョトンとした顔で、こう言った。


「それは今、授業に関係することではないので、お答えできません」


 すると担任は怒鳴り散らした。いい加減にしなさい、私の質問に答えなさいと。

 しかし葵は、華奢な首を傾げ、透き通るような声で遮った。


「先生の『ごっこ遊び』と、大して変わらないでしょう?」








 葵にとって、他者とは自分であった。

 葵の頭にはクラスメイトや担任の姿、声、思考、性格、全てが暗記された。頭の中でシュミレーションできた。それは一週間もしないうちに寸分の狂いもなくインプットされ、彼らが話すことも行動もすべて予測ができた。

 もはや更新してもデータは大して変わらないため、彼女は極力外との回線を切った。

 ただ、それをアウトプット出来るかは、彼女にはわからなかった。

 私は、他の人間になれるのかしら? または、私が他の人間の行動に干渉することは出来るかしら?

 そこで彼女は、モノで人を見立て、クラスメイト34名と担任の思考・行動を全てアウトプットし、実験をしていた。

 担任も同じだと思っていた。自分を相手にインプットし、自分という人格を生徒たちという「モノ」にアウトプットしようとしているのだと。また、『先生』を演じることで、自分ではない存在を作り上げようとしているのだと。


 この時、葵はまだ理解していなかった。

 担任が、自分が生徒に好かれていると考えているなんて。

 反抗されないことがイコール好かれているになっているなんて。

 それを理解したのは、担任が「葵さんは私のことが嫌いなのね」と泣きわめいたからである。


 この出来事を経て、彼女は他者と自己の境界条件を見つけた。

 自分は他者の行動を思うように動かせられるけど、他者は自分の行動に制限をかけることは出来ない。そのことを理解した。

 どうやら自分は、他と比べて特異であるらしい。

 その時初めて、自分がどのように見られているかを知った。



 その後、彼女は若干七歳でAIを作り上げた。

 感情的で攻撃的で短慮的で矛盾だらけの、まるきり『担任』のような人形を作り上げた。 

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