第8話…「魔王様の鼻に香る甘い香り」


 昼食を挟んで行われた会議が終わり、魔王は城を離れ、城下町へと足を運んでいた。

 血だの…暴行だの…、精神的に悲鳴を上げる一歩手前な魔王は、自分には休息が必要なのだ…と城を出てきた訳だが、別段何かをしたい…という訳ではない。


『あ、獅子様ッ! こんちわっ!』

『魔王様、また休憩かい? なんだったらウチの店で休んでいってくれよ』

『えぇ~? 魔王様、休むんだったら、私のとこにしてよ、安くしておくからさ~』


 だからこそ…、目的が無いからこそ、客引きの言葉は甘味な果実のように、魅力的に見える。

 鼻に香ってくる甘い匂いにも誘われて、軽い空きっ腹も刺激され、今の魔王の気分は甘味処だ。


「婆さん、調子はどうだい?」


 周りの客引き達を丁寧にあしらいながら、向かった先は、少しボロボロだが、逆にソレが良い趣を感じさせる老舗だ。

 その店先で、ちょこんと椅子に座るゴブリンの老婆、ちょんまげのようにその白い髪をまとめているのが特徴な人。

 その人は、魔王を見るや、ブルッブルと杖を左右に振動させながら立ち上がる。

 わざと振動させている訳ではなく、自身の体を支えながら紙一重の所で、転ばずに済んでいる…というだけだが、その姿に魔王は気が気じゃない。

 挨拶もそこそこに、そして早急に、婆さんを再び椅子へと座らせる。


「獅子様のおかげでこの通り、1人で立てるようになった。ありがとうごじゃいましゅ」

「それは良かった。婆さん、いつものおしるこをもらえるか?」

「あ~、しるこな、待ってな待ってな、今持ってきてもらうじゃ」


 婆さんは上ずり気味な声で、店内に聞こえるように、おしるこ1つ…と注文を伝える。

 すると、厨房の方では火柱が立ち上がり、直後にトレイに団子とおしるこを乗せて、リザードマンの女性が現れた。


「あら、魔王様、いらっしゃい」

「おう」


 彼女に差し出されたモノを受け取って、おしるこの甘みを口で堪能しつつ、表面をカリッと焼きつつもモチモチとした団子を頬張る。


「相変わらず良い焼き加減だな」

「あらあら、嬉しい事を言ってくれるじゃない」


 赤い鱗を持つリザードマンの彼女は、他のリザードマンと比べ、体は小さめで細い…、しかし、その口から溢れる炎は、他の追従を許さない程に洗練された火力と、コントロール技術を持ち、他のリザードマンと引けを取らない才能を持っていた。

 才能の使い方、その自由さに、魔王としては、羨ましさすら感じているほどだ。


「ん~…、今日のおしるこは、いつもより甘い味付けか?」


 団子の焼き加減は、いつもと寸分違わない仕上がりだが、改めておしるこを口にした時、口の中に残る団子とおしることの調和に、普段とは違う違和感を感じた。

 いつもと比べ、甘みが強いように思い、魔王は首を捻る。


「いんや、材料も分量も、いつもと変わっちゃいないはずさ。たぶんそれは、おしること団子のせい…というより、周りのせいかもね」

「周り?」

「まぁそれはさておき、魔王様が朝届けてくれた魚。すごく美味しかったよ。おかげで婆ちゃんも今日は動き回れるぐらいに元気さ」


 リザードマンの言葉に、婆さんは魔王に顔を向けて、ニッと綺麗に生え揃った白い歯を見せつけるような笑顔を向ける。

 表情は元気いっぱいだが、それでもよぼよぼしている立ち方を見てしまったせいで、まだまだ心配は尽きる事はなさそうだが…。


「昨日まで腰をやったり風邪気味になったり、とうとう迎えがくるかも…とか思ったけど、安心した」

「なにを言うか。私はまだまだ現役で店番しましゅぞ」

「本人のやる気はわかるんだけどね」

「それに、獅子様のご子息の顔を拝むまでは、迎えが来たって送り返しましゅさね」

「我のガキ? あ~、竜王の卵の事か。そろそろ生まれるとかなんとか聞いてるが…、さすがに…。あの世に行けねぇ理由なら、もっと先の事を目標にした方がいいんじゃねぇか?」

「何を勘違いしとりましゅか? 確かに竜王の卵からの誕生は、このクレイドルに住む者として願うべきものでございましゅが、ワシが言っているのは、嫁を貰ってからチョメチョメして子供を作る方でございましゅ」

「ゴブッ!?」


 婆さんの言葉に、魔王は口に含んでいたおしるこを吹き返す。


「あら大変、待ってて魔王様、今手ぬぐいを持ってくるから」

「急に何言ってんだ、婆さん?」


 リザードマンに渡された手ぬぐいで、口元…それに服へと飛んだモノを拭き取っていく。


「そんな相手はいねぇよ。目途もねぇ」

「はて…、その相手を探す為に、こんな時間に町の方まで下りてきたのではないのでしゅか?」


 めっぽう不思議そうな顔で、婆さんはこちらへ首を傾げる。


「んあ? 我が今ここにいんのは、さぼ…んん~…、ただの視察だ。婆さんの容態を見に来るのも理由の1つだったが、コレと言ってはっきりとした理由がある訳じゃねぇよ」


 魔王は、ただ城に籠って仕事を熟す気分ではなかった…、ソレだけの理由でここにいる。

 良心の呵責はあれど、仕事をし続ける気持ちと比べれば、幾分マシだった。


「ほうかほうか…、なら、今日の所は早く帰る事をお勧めしましゅ」

「ん? なんでだ?」


 鼻にくすぐる甘い香り…、甘味処が集まる通りである以上、その辺の匂いがいつもより濃く香ってきているんだろう…魔王はそう思っていた…。

 しかし、婆さんの含みのある言葉に、それは間違いだったと…今更ながら気づく。

 その甘い香りに混じる…何処か獣染みた野性味のある匂い…。


「・・・まさか」


 魔王は王である故、誰かから視線を貰う事が日常茶飯事、つまりはいつもの事で、その感覚に対して、敵意の籠っていないソレに鈍感な程に気づく事ができなかった。


「まぁ種族は偏ってましゅが、よりどりみどり…でしゅな獅子様」


 改めて、魔王は自分の周囲に視線を巡らせる。

 視線を感じるのは当然…という考えが、さらに自分の感覚を鈍感なモノに変えていたが、そこに気のたるみがあった事も事実だった。

 自分へ視線を向けている者の大半は女性。

 そもそも、普段から城を抜け出して街に下りてきている魔王だ…、民からしても、また来ている…程度になるのは必然だろう。

 だからこそ、最初こそ見られても、それ以降も途切れる事無く視線が向けられる事自体、彼にとって稀なはず、その事を忘れ、挙句の果てには婆さんの回復に喜んで、呑気におしるこをすすっていた。

 魔王は再び、周囲へと視線を流す。

 自分を見ているのは、獣系…猫種やら犬種やら…その獣人の、うら若き娘達だ。

 どいつもこいつもどこか頬を赤らめ、ちょっとだけ目を血走らせている。


「ちょっとこわいんだけど…」


 間違いない…、これは…。



 これは…、「発情期」ッ!



 魔王は残りのお団子を頬張り、まだまだ熱いおしるこを一気飲みして、その美味しさに感謝するように手を合わせる…。

 そして…。

 全力で、その場から逃げるように走り出した。


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