第2話…「魔王様の愛犬」
魔王としての仕事は重労働だ。
肉体的にではなく、精神的に。
毎日毎日、机に座って書類とにらめっこをしながら過ごす日々、体を動かす事は極端に少なく、動かしても上半身の腕周りばかり…、そんな事を続けていれば、体を鈍らすどころか、病気になってもおかしくはないだろう。
だからこそ、彼は誰にも縛られない時間帯であるこの朝に、こうして外に出るのだ。
「おはよう、ケルベロス」
城門横の一見納屋にも見える建物の前で、彼は足を止めながら、その建造物に声を掛ける。
入口からはみ出た巨大な漆黒の体毛に覆われたケツから、目的の存在がいる事は明らかだが、まだまだ暗い中では、寝ていても不思議ではない。
魔王が、ドンドンッと入口の壁を叩くと、そのケツの主がビクッと反応し、恐る恐る後退する車のように体を動かし、怯えたようにその六つの目を彼へと向けた。
頭を三つ持つ番犬にして、このクレイドルにおける守護者の一角、その名を「ケルベロス」、魔王の愛犬だ。
今となっては、体の大きな魔王ですら、ケルベロスは見上げる程の大きさで、頭を撫でようものなら、ケルベロス自身に伏せてもらわないといけない程…、そんな愛犬も初めて出会った頃は、魔王の手の中に納まるほどの小ささだったわけだが…、見ての通り、今では見る影もない。
クゥクゥ…と甘えるような鳴き声を出しながら、三つの頭を魔王へと擦りつける。
「お~…おおおぉぉぉ~、今日も力は有り余っているなケルベロス」
高さだけでも魔王の倍はありそうな愛犬は、その頭を擦りつける力も、大きさ相応であり、じゃれてくる愛犬に嬉しさはあれど、魔王は後ろに倒されないかヒヤヒヤしながら、全力で足に力を入れている。
ズルズルと地面を擦りながら、後ろへとズレていくのも、毎日の恒例行事だ。
しかし、ソレも長く続ける訳にはいかない。
「すごい力だ。ケルベロス、でもな…、ちょっと待って。このままじゃ堀に落ちる…、落ちるからやめてッ!?」
声だけでなく、その大きな頭を優しく叩き、あと一歩の所で、力が弱まった。
外敵侵入防止のための堀、トロール2頭分の深さを誇るソレは、王宮内にある書庫に記された城の設計案に書かれていたモノだ。
それなりに強かったいつぞやの魔王の案なのだとか。
城中にカラクリなんてモノを作って、隠し通路なり隠し部屋なり、奇想天外な建築物を作るのが好きだったと、魔王は聞いている。
そんな過去の王が残した堀という技術、ただ深い溝を掘っただけだが、それだけでも城への侵入を難しくする事は確実だ。
そこに水を半分ぐらい入れて、水中活動ができる魔物でも雇えば、なかなかに強固な城の完成だろう。
なんでそんな事をするのかと言えば、ここに愛犬のケルベロスがいる理由に繋がってくる。
「これならもう門番に戻れると思うが…どうだ?」
何はともあれ、魔王は自身と負けずとも劣らない力を発揮する愛犬に歓喜し、その頭を撫でる。
愛犬は、番犬であり、このクレイドルに繋がる門を守護する門番、本来なら、城門近くに居る子ではないのだ。
だからこそ、その力の回復に嬉しく思う魔王だったのだが、その魔王の言葉、ケルベロスは尻尾を丸め、彼から離れて体を震わせた。
「・・・そうか、まだこわいか…。怖いよなぁ、あれからだいぶ時間は経ったが、まだ勇者にやられた傷が痛むか?」
彼の言葉に、ケルベロスは伏せて無理のあるような上目遣いを向ける。
その姿を目にし、魔王は溜め息をついた。
過去、人間の世界に現れる勇者との戦いは、幾度もあった。
魔王だけでなく、この口を治めてきた先代達全員が経験している。
その中で、前国王が勇者によって討ち取られ、その勢いのまま、その剣はこのクレイドルの王都のある地下世界…、人間連中は魔界…なんて呼び方をするらしいが、そこにまで及んだ。
まぁ入口を通過されただけで、王都まで来る事は無かったが…、魔王からしてみれば、先代亡き後、急な世代交代であり、引き継ぎなんかもままならない中で、容赦なく攻め込まれたモノだから、防衛はしんどいの一言だった。
その時、地下世界の入口の防衛に、ケルベロスが就いていたのだ。
勇者に敗れ、そして怪我をした。
魔王はケルベロスの前で、手の平を見せるように手を差し出す。
それに合わせて、ドンッとその手を地面に叩きつけるかのように、ケルベロスがお手をする。
「相変わらず、すごい力だな…」
力自慢の魔王でも、歳を取ったら腰をやりかねないお手だ。
そんな心配を上書きするかのように、その前足には、痛々しくも、何周にも巻かれた包帯がある。
剣士からしてみれば、傷なんかは、戦いを生き抜いた証として、誇れるモノらしいが、魔王からしてみれば、悲しい心の傷にも見えた。
そう、ケルベロスは、今傷心の身なのだ。
だからこそ、いつも以上に構ってやるようにしている。
竜王の卵への血分けの次の日課は、愛犬との散歩だ。
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