第6話 行方

常山郡は冀州にある。その冀州は今や袁紹の支配下にあり、一大勢力となりつつある。公孫瓚は対抗して黒山賊と呼ばれる張燕ちょうえんと手を結んだ。幽州にいて勢力を張っている公孫瓚は、青州や徐州にも手を伸ばし、孔融、陶謙とうけん単経ぜんけい、劉備、田楷らを使って袁紹と戦ったが袁紹と、結んでいる曹操に敗戦し勢いを失くしつつあった。また悪いことに公孫瓚は前から不和であった劉虞を殺し、劉虞に心を寄せていた異民族の反感を買って苦戦させられた。ここから公孫瓚は衰える一方になる。趙雲が常山郡に戻って喪に服している間の出来事である。

趙雲は服喪の最中とはいえ、常山郡は黒山や公孫瓚の標的になる位置にあるので家人を使って情報収集は怠らなかった。古来服喪は三年を期間としていたが漢王朝の時代はどうであったろう。また戦乱の只中でもあるので趙雲も静かに喪に服すことは難しかっただろう。

趙雲の周りは今のところ静かであるが、それ以外の所では波乱が起きている。長安では董卓が呂布りょふに殺された。更に権力闘争が起こり、敗れた呂布は長安から逃げた。董卓の麾下にいた李傕りかく郭汜かくしが権力を握り横暴を始め、やがて互いに争うようになったため、皇帝は側近や重臣とともに洛陽へ向けて逃亡し、最終的に兗州から援軍を出した曹操が皇帝を保護することとなった。曹操は百万といわれた黄巾の残党を降し、精兵を組織して勢力基盤を強化している。前後するが、公孫瓚と結んでいた袁術は曹操と戦い完膚なきまでに叩きのめされ、拠点にしていた南陽からも追い出される形で揚州に逃げ込んだ。袁術はここで勢力を立て直しにかかることとなるが、先に荊州で戦死した孫堅の遺児・孫策そんさくに江東を抑えられ独立させてしまうことになる。

常山にいる趙雲に入ってくる情報は限られているが、彼が気にしているのは劉備の行方である。

その劉備だが、陶謙が曹操の父親を殺させたために復讐戦にきた曹操に大敗し虐殺を許したため援軍を要請してきた。援兵を率いたのが田楷と劉備である。それでも曹操には勝てず陶謙も危うかったが、呂布が兗州を乗っ取り曹操がその為に撤退した事で難を逃れた。この時劉備は公孫瓚の下から離れて、亡くなった陶謙の遺言に従い徐州じょしゅうを治めるようになった。青州から更に南に下った形になる。やがて呂布が敗走してくると徐州に迎えたものの、呂布に徐州を乗っ取られ曹操の元に逃げ込んだ。そこで官職を貰い、一度は徐州に戻るものの、再度呂布に追われ、曹操の庇護下に入ることになった。やがて曹操が呂布を討伐すると曹操暗殺計画に引き込まれるがこれを嫌って徐州に出て独立し、曹操の兵を一度は退けるものの曹操本隊には大敗し劉備軍は散り散りになった。

この頃の趙雲には劉備の行方がわからない。既に常山に戻ってから六年が過ぎた。趙雲は攻め寄せた黒山と戦い、形の上では公孫瓚と敵対することになってしまった。また、田豫が一度帰郷して公孫瓚の元にいることを知った。その公孫瓚は易京という堅城に立て篭もらざるをえない程追い詰められている。このままでは公孫瓚の元に戻ることも、劉備の元に戻ることもできないと趙雲は悩んでいた。

「最近は悩んでばかりいらっしゃいますね」

と声が聞こえた。女性の声である。

喪が明けてから趙雲は妻帯した。妻は孫軟児そんなんじという。趙雲は三十代であろうから妻帯してもおかしくはない。

「済まないな。官途にも就かず、貧しい暮らしをさせておきながら悩んでばかりいる。良い夫とは言えないな」

「あなたが劉玄徳様にお仕えしたいという話は聞きました。今は行方がわからないのでしょう。仕方のないことです」

「必ず生きていると信じるしかない。生きていたら劉玄徳様の元へ行く。汝も来るか」

「愚問ですわ。無事お仕えできましたら呼んでくださいませ。例え交州まででもお供いたしますわ」

孫軟児はそういって笑った。軽口で気分を和ませようとしたらしい。趙雲は妻の気遣いに感謝した。

「主にご報告があります」

耿祗の声を聞くのはいつものことだが、今日は一際大きく聞こえた。

「いつもより声が弾んでいるな。何があった」

「劉玄徳将軍の居処がわかりましたよ」

趙雲にとってそれは重要な情報である。

「生きておられたか。どこにいる」

「曹操と対峙している袁紹軍の陣にいるようです」

「なんと。袁本初の元におられたか」

「すぐ出立なされますか」

「まあ待て。ただで行くわけにはいくまい」

そう言うと、趙雲は家人を集めてあれこれと指示を出し、孫軟児には近く出発すると告げた。

「兵をお集めになるのですね」

「無論だ。馬に乗れる者を集めてできれば袁紹軍にも会わぬよう駆けたい」

「父に文を書きます。募兵に協力してくれることでしょう」

「有難いな。以前より多く連れて行けそうだ」

趙雲は意気込んだが複雑さもある。先年に公孫瓚が亡くなった。易京城に立て籠もっていたが、万策尽きての自害であった。

劉備は度々の敗戦をくぐり抜けて生きている。それだけで趙雲には希望であった。

趙雲に従う兵は八百になった。以前にも募兵していたのを知っていた者もおり、孫家の協力もあり集めるのは容易くなった。だがあまり多くの兵は目に触れやすい。趙雲は馬に乗れる者を選別し、他の希望者には劉玄徳の名前を教えておき、行き先などをわかりやすくしておいた。また居所が一定ではないことも伝え、都度調べるように教えた。

耿祗は趙雲の兄に仕えて、亡くなってからは趙雲に仕えてくれている。一度、兄の家人や配下に家主が変わるため他に道を探しても良いと伝えたが大半が残ってくれた。今は孫軟児の従者と合わせてそれなりの人数がいる。

耿祗に孫軟児と家人の取りまとめを任せ、趙雲は集まった騎兵を率いて常山郡を出て南下した。

趙雲には気がかりがある。副官としていた楽朋の音沙汰が無い。戦死していなければ良いが、と思った。趙雲の騎兵は冀州の各城をすり抜けるように進み、野営をしながら袁紹の陣を目指した。袁紹軍にはさすがに発見されたので劉玄徳の主騎であると言って伝令を送ってもらった。確認のためである。しばらくして伝令が返ってくると、趙雲と兵は劉備の陣へ案内された。なんと劉備が出迎えに出ているではないか。

「趙雲、よく来てくれた。二度と会えぬと思ったが、こうしてまた来てくれたことを嬉しく思うぞ」

「私もです。またお目にかかれたこと嬉しく思っております」

趙雲は片膝をついて深々と頭を下げた。その趙雲の手を取り立たせた劉備は陣幕の中に趙雲を誘い、今の状況を教えてくれた。

劉備は難しい立場にある。今は袁紹から一軍の指揮を任されているが、先だって徐州で曹操に大敗した際に関羽が曹操に降伏した。関羽は劉備の妻子を伴って曹操に身を寄せており、この戦いの緒戦で袁紹子飼の将である顔良がんりょうを討ち取っている。袁紹は劉備を責めたが劉備はそれを躱していずれ関羽が戻ってくるからその時はこちらの戦力

になると言ってのけた。しかし袁紹は配下に厳しい態度を取る人である。配下ですらない劉備はいつなんどき斬られる、あるいは暗殺されるなどするかわからない。

「張飛殿や簡雍殿も行方がわからないのですか」

趙雲が訊くと劉備は肯いた。差し当たり趙雲が関羽、張飛の代わりに護衛をする必要がありそうである。

「私が残した隊は如何なされましたでしょう。楽朋という者に指揮を任せましたが」

「済まぬ、趙雲。楽朋の隊は徐州まで付いてきてくれたが、私が曹操に敗退してから張飛達と同じく行方がわかっておらぬ」

「そうですか…」

劉備は申し訳なさそうに言った。

「当面は私が騎兵を指揮すると共に、劉将軍をお守りいたします」

趙雲はとりあえずそう告げ、実際その日から劉備と起居を共にした。

袁紹から使者が来ると、劉備は文醜ぶんしゅうという将の後ろにつくよう命じられた。文醜は先陣で曹操軍に攻撃をかけるため、その補佐という形になる。

「敵は曹操本隊であろう。深く入ると罠に嵌るかも知れぬ。文醜将軍の兵に何かあれば援護できるという位置を保てば良い」

と劉備は指示を出した。あまり前に出るつもりは無いらしい。

案の定というべきか。曹操軍は黄河を渡った文醜・劉備軍に輜重しちょうを囮にするという荀攸じゅんゆうの策を採り、文醜はおびき寄せられ、急襲されて討ち取られた。趙雲が駆けつけると敗走する文醜の兵がいるのみで曹操軍はきれいに引き上げていた。

文醜を喪った軍は後退し、袁紹はまたも激怒したが今回は劉備には矛先は向かなかった。

代わりに劉備には汝南方面へ行き曹操の後方で騒動を起こすよう指示が来た。顔良、文醜の二将を緒戦で喪ったとはいえ袁紹軍は曹操軍を圧迫する程の規模である。戦が長引くと思った袁紹は劉備らを使って曹操に動揺を与えようとした。ちょうど汝南郡では劉辟りゅうへき龔都きょうとという黄巾の残党が反乱を起こしたので、劉備はその支援をする形となる。劉備は兵を率いて汝南郡へ向かった。劉備は以前、豫州刺史の任官を受けているのでその意味でも適所である。途中で趙雲は久しい顔を見た。関羽と楽朋である。楽朋は劉備が敗れて逃走した後、関羽を頼って逃れ側にいた。その関羽は顔良を斬った功で曹操から漢寿亭侯という爵位を贈られ、手厚い褒美も受けたが、それらを返して劉備へ合流した。関羽は劉備の妻子も伴っている。

「関羽殿、お久しぶりです」

趙雲は朗らかに声をかけた。

「おお、趙雲か。汝が主を守ってくれていたか。礼を言う」

関羽も久しぶりの再会を喜んでくれた。実をいえば関羽と張飛の目を気にしていた趙雲だが、杞憂に済んだと安堵した。

「楽朋、今までよくやってくれた。また私の副官に戻ってくれるだろうか」

「子龍殿に再会できて良かった。私は多くの兵を失いました。罪深き副官ですが、私でよろしければ存分にお使いください」

楽朋も再会を喜んでいるのであるが、心労もあるとみた趙雲は、

「汝のことは頼りにしている。まずは疲れを少しでも癒すことだ。私の指揮する兵も増えたので楽朋に支えてもらわなければ困る」

と言ってその日は早々に休ませた。

また後日、張飛と簡雍がそれぞれ合流し趙雲とも再会した。趙雲には見慣れない顔もある。

「趙雲か。再び会えて良かった。またよろしく頼む」

と言ったのは張飛である。

「子龍殿、こちらは麋竺びじく殿と麋芳びほう殿だ。あちらにいるのは孫乾そんけんという」

見慣れぬ顔ぶれを紹介してくれたのは簡雍である。

麋竺は字を子仲しちゅう、麋芳は字を子方しほうという。資産家の兄弟であったが劉備を気に入り、徐州に入った劉備を全力で支援してきた。妹を夫人として劉備に輿入れさせる程である。また二人は曹操から官位を受けていたが、劉備が曹操から離反するとそれに従った。

孫乾は字を公祐こうゆうという。陶謙の推挙で劉備に仕え、参謀や使者を任されている。もう一人、増えた顔ぶれがいる。陳到ちんとう、字を叔至しゅくしという。こちらは麋竺や孫乾と違い武人然とした人物である。劉備が豫州刺史となった頃から従っている。最初は趙雲を怪訝そうに見ていたが、趙雲が古参であり喪のため離脱していたことを知ると納得した表情をした。

これらの顔ぶれを揃えた劉備は汝南に入り、劉辟、龔都と共に曹操の背後を脅かす存在となった。趙雲は黄巾党と組むのはやや抵抗があったが、劉備が上手く手綱を握っているようだと確認すれば安心して戦えた。

黄巾党を動かしつつ劉備も兵を進め数県を落としたが、兵を率いてきた曹仁そうじんと真っ向からぶつかり敗走した。曹仁は曹操麾下の中でも特に優れた武将であり、趙雲も戦ったが曹仁麾下の騎兵に翻弄され、結局劉備本隊の敗走を許してしまった。劉備と趙雲は兵を纏めて退いた。現状では関羽、張飛もあまり多い兵は率いていないのでぶつかる事が出来ず、劉備と共に汝南まで退くこととなった。しかし、劉備とて戦が下手なわけではない。再び兵を集めると、曹操が派遣してきた蔡陽さいようを破り、勢いをつけた。

しかしその後しばらくして袁紹が敗退したとの報告が入ると、劉備は憮然として、

荊州けいしゅうへ向かう」

と言った。曹操が自ら劉備の討伐に動く構えを見せているからである。劉備は麋竺と孫乾を荊州の劉表りゅうひょうの元へ送り、諒解を取り付けると、すぐに汝南から荊州へ移った。

荊州を長く治めている劉表は曹操の勢力を危惧していた一人である。劉備を歓待した後、最前線といえる新野を劉備に任せることとし、劉備は新野城へ入った。関羽、張飛、趙雲をはじめとした劉備の家臣団といえる集団も新野へ入り、家族を呼ぶなどして居住を安定させた。趙雲も孫軟児や耿祗らを呼ぶことにして、宅を整えた。

この新野での滞在が劉備や趙雲の行く末を劇的に変化させることになるとは誰も思っていなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る