第6話 行方
常山郡は冀州にある。その冀州は今や袁紹の支配下にあり、一大勢力となりつつある。公孫瓚は対抗して黒山賊と呼ばれる
趙雲は服喪の最中とはいえ、常山郡は黒山や公孫瓚の標的になる位置にあるので家人を使って情報収集は怠らなかった。古来服喪は三年を期間としていたが漢王朝の時代はどうであったろう。また戦乱の只中でもあるので趙雲も静かに喪に服すことは難しかっただろう。
趙雲の周りは今のところ静かであるが、それ以外の所では波乱が起きている。長安では董卓が
常山にいる趙雲に入ってくる情報は限られているが、彼が気にしているのは劉備の行方である。
その劉備だが、陶謙が曹操の父親を殺させたために復讐戦にきた曹操に大敗し虐殺を許したため援軍を要請してきた。援兵を率いたのが田楷と劉備である。それでも曹操には勝てず陶謙も危うかったが、呂布が兗州を乗っ取り曹操がその為に撤退した事で難を逃れた。この時劉備は公孫瓚の下から離れて、亡くなった陶謙の遺言に従い
この頃の趙雲には劉備の行方がわからない。既に常山に戻ってから六年が過ぎた。趙雲は攻め寄せた黒山と戦い、形の上では公孫瓚と敵対することになってしまった。また、田豫が一度帰郷して公孫瓚の元にいることを知った。その公孫瓚は易京という堅城に立て篭もらざるをえない程追い詰められている。このままでは公孫瓚の元に戻ることも、劉備の元に戻ることもできないと趙雲は悩んでいた。
「最近は悩んでばかりいらっしゃいますね」
と声が聞こえた。女性の声である。
喪が明けてから趙雲は妻帯した。妻は
「済まないな。官途にも就かず、貧しい暮らしをさせておきながら悩んでばかりいる。良い夫とは言えないな」
「あなたが劉玄徳様にお仕えしたいという話は聞きました。今は行方がわからないのでしょう。仕方のないことです」
「必ず生きていると信じるしかない。生きていたら劉玄徳様の元へ行く。汝も来るか」
「愚問ですわ。無事お仕えできましたら呼んでくださいませ。例え交州まででもお供いたしますわ」
孫軟児はそういって笑った。軽口で気分を和ませようとしたらしい。趙雲は妻の気遣いに感謝した。
「主にご報告があります」
耿祗の声を聞くのはいつものことだが、今日は一際大きく聞こえた。
「いつもより声が弾んでいるな。何があった」
「劉玄徳将軍の居処がわかりましたよ」
趙雲にとってそれは重要な情報である。
「生きておられたか。どこにいる」
「曹操と対峙している袁紹軍の陣にいるようです」
「なんと。袁本初の元におられたか」
「すぐ出立なされますか」
「まあ待て。ただで行くわけにはいくまい」
そう言うと、趙雲は家人を集めてあれこれと指示を出し、孫軟児には近く出発すると告げた。
「兵をお集めになるのですね」
「無論だ。馬に乗れる者を集めてできれば袁紹軍にも会わぬよう駆けたい」
「父に文を書きます。募兵に協力してくれることでしょう」
「有難いな。以前より多く連れて行けそうだ」
趙雲は意気込んだが複雑さもある。先年に公孫瓚が亡くなった。易京城に立て籠もっていたが、万策尽きての自害であった。
劉備は度々の敗戦をくぐり抜けて生きている。それだけで趙雲には希望であった。
趙雲に従う兵は八百になった。以前にも募兵していたのを知っていた者もおり、孫家の協力もあり集めるのは容易くなった。だがあまり多くの兵は目に触れやすい。趙雲は馬に乗れる者を選別し、他の希望者には劉玄徳の名前を教えておき、行き先などをわかりやすくしておいた。また居所が一定ではないことも伝え、都度調べるように教えた。
耿祗は趙雲の兄に仕えて、亡くなってからは趙雲に仕えてくれている。一度、兄の家人や配下に家主が変わるため他に道を探しても良いと伝えたが大半が残ってくれた。今は孫軟児の従者と合わせてそれなりの人数がいる。
耿祗に孫軟児と家人の取りまとめを任せ、趙雲は集まった騎兵を率いて常山郡を出て南下した。
趙雲には気がかりがある。副官としていた楽朋の音沙汰が無い。戦死していなければ良いが、と思った。趙雲の騎兵は冀州の各城をすり抜けるように進み、野営をしながら袁紹の陣を目指した。袁紹軍にはさすがに発見されたので劉玄徳の主騎であると言って伝令を送ってもらった。確認のためである。しばらくして伝令が返ってくると、趙雲と兵は劉備の陣へ案内された。なんと劉備が出迎えに出ているではないか。
「趙雲、よく来てくれた。二度と会えぬと思ったが、こうしてまた来てくれたことを嬉しく思うぞ」
「私もです。またお目にかかれたこと嬉しく思っております」
趙雲は片膝をついて深々と頭を下げた。その趙雲の手を取り立たせた劉備は陣幕の中に趙雲を誘い、今の状況を教えてくれた。
劉備は難しい立場にある。今は袁紹から一軍の指揮を任されているが、先だって徐州で曹操に大敗した際に関羽が曹操に降伏した。関羽は劉備の妻子を伴って曹操に身を寄せており、この戦いの緒戦で袁紹子飼の将である
になると言ってのけた。しかし袁紹は配下に厳しい態度を取る人である。配下ですらない劉備はいつなんどき斬られる、あるいは暗殺されるなどするかわからない。
「張飛殿や簡雍殿も行方がわからないのですか」
趙雲が訊くと劉備は肯いた。差し当たり趙雲が関羽、張飛の代わりに護衛をする必要がありそうである。
「私が残した隊は如何なされましたでしょう。楽朋という者に指揮を任せましたが」
「済まぬ、趙雲。楽朋の隊は徐州まで付いてきてくれたが、私が曹操に敗退してから張飛達と同じく行方がわかっておらぬ」
「そうですか…」
劉備は申し訳なさそうに言った。
「当面は私が騎兵を指揮すると共に、劉将軍をお守りいたします」
趙雲はとりあえずそう告げ、実際その日から劉備と起居を共にした。
袁紹から使者が来ると、劉備は
「敵は曹操本隊であろう。深く入ると罠に嵌るかも知れぬ。文醜将軍の兵に何かあれば援護できるという位置を保てば良い」
と劉備は指示を出した。あまり前に出るつもりは無いらしい。
案の定というべきか。曹操軍は黄河を渡った文醜・劉備軍に
文醜を喪った軍は後退し、袁紹はまたも激怒したが今回は劉備には矛先は向かなかった。
代わりに劉備には汝南方面へ行き曹操の後方で騒動を起こすよう指示が来た。顔良、文醜の二将を緒戦で喪ったとはいえ袁紹軍は曹操軍を圧迫する程の規模である。戦が長引くと思った袁紹は劉備らを使って曹操に動揺を与えようとした。ちょうど汝南郡では
「関羽殿、お久しぶりです」
趙雲は朗らかに声をかけた。
「おお、趙雲か。汝が主を守ってくれていたか。礼を言う」
関羽も久しぶりの再会を喜んでくれた。実をいえば関羽と張飛の目を気にしていた趙雲だが、杞憂に済んだと安堵した。
「楽朋、今までよくやってくれた。また私の副官に戻ってくれるだろうか」
「子龍殿に再会できて良かった。私は多くの兵を失いました。罪深き副官ですが、私でよろしければ存分にお使いください」
楽朋も再会を喜んでいるのであるが、心労もあるとみた趙雲は、
「汝のことは頼りにしている。まずは疲れを少しでも癒すことだ。私の指揮する兵も増えたので楽朋に支えてもらわなければ困る」
と言ってその日は早々に休ませた。
また後日、張飛と簡雍がそれぞれ合流し趙雲とも再会した。趙雲には見慣れない顔もある。
「趙雲か。再び会えて良かった。またよろしく頼む」
と言ったのは張飛である。
「子龍殿、こちらは
見慣れぬ顔ぶれを紹介してくれたのは簡雍である。
麋竺は字を
孫乾は字を
これらの顔ぶれを揃えた劉備は汝南に入り、劉辟、龔都と共に曹操の背後を脅かす存在となった。趙雲は黄巾党と組むのはやや抵抗があったが、劉備が上手く手綱を握っているようだと確認すれば安心して戦えた。
黄巾党を動かしつつ劉備も兵を進め数県を落としたが、兵を率いてきた
しかしその後しばらくして袁紹が敗退したとの報告が入ると、劉備は憮然として、
「
と言った。曹操が自ら劉備の討伐に動く構えを見せているからである。劉備は麋竺と孫乾を荊州の
荊州を長く治めている劉表は曹操の勢力を危惧していた一人である。劉備を歓待した後、最前線といえる新野を劉備に任せることとし、劉備は新野城へ入った。関羽、張飛、趙雲をはじめとした劉備の家臣団といえる集団も新野へ入り、家族を呼ぶなどして居住を安定させた。趙雲も孫軟児や耿祗らを呼ぶことにして、宅を整えた。
この新野での滞在が劉備や趙雲の行く末を劇的に変化させることになるとは誰も思っていなかった。
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