第4話 青州

日が落ちるまでに趙雲は兵を移動させ、劉玄徳の兵と合流させた。劉玄徳の兵は出陣の準備と宴の準備と様々であったが、一隊を纏めていた少壮の人物が声を掛けてきて案内をしてくれた。

「趙子龍殿ですね。田豫でんよ、字を国讓こくじょうと申します。よろしくお願いします」

溌剌はつらつとした若者で、指揮も案内も手際が良い。新参者且つ素性も知れぬであろう趙雲にも動じず侮らず、趙雲と兵を陣営に落ち着けてくれた。趙雲は劉玄徳に対する印象は曖昧であったが、田豫のような人物が麾下にいるということは大人物なのか、と考えた。

趙雲は楽朋を呼び、

「今宵は宴になるそうだが、兵が粗相をしないよう気をつけてほしい。何かあったら劉将軍の下に田国讓という若者がいる。彼に相談すればたちどころに解決するだろう」

と伝えた。

「先程案内を買って出てくれた方ですね。私よりも若いと思いましたが、そつがありませんね。名将の器ではないでしょうか」

「将としてだけでなく、政にも長じるだろうな。我々も彼を見習わなければなるまい」

「まったくです。私は自分がだらしないと思えてきました」

「まあ気を落とすな。我々も田国讓殿もこの先どうなるかはわからない。私は今はこのような身だがいずれ竹帛に垂名するやも知れない。田国讓殿は若くして才気煥発だが晩年はどうなるかわからない。かつて大器は晩成すると言ったのは誰だったかな。これから田国讓殿に追いつくよう努力すれば良いことさ」

「老子ですね。私も努力を怠らないようにせねばなりませんね。先ずは今宵の兵たちに目を光らせておきましょう」

「宴は宴だ。問題さえ無ければ良いからあまり力み過ぎぬことだ」

「そうですね。畏まりました」

ひとしきり楽朋と話した趙雲は頃合いとみて劉玄徳の幕営を訪ねた。

「よく来てくれた趙雲。さあ中へ入ってくれ」

なんと劉備自ら幕営を出て趙雲を迎えた。少なからず趙雲は驚き、劉玄徳とはこういう人かと感動すらおぼえた。趙雲は劉玄徳の軍に編入されるにあたっては新参者であり、刺客でない保証も無いのに、劉玄徳は自ら出迎えて幕営に案内してくれている。玄徳とはこういうことかと趙雲は感じた。

丁重に礼をして幕営に入ると、劉玄徳の護衛をしていた二人が席にいた。趙雲が席に案内されると若干表情を歪めたのが視界に入ったので趙雲はあえてからりと笑い、

「本日よりお世話になります。改めまして常山郡出身の趙雲、字を子龍と申します。どうか宜しくお頼み申します」

と挨拶した。公孫瓚や劉玄徳には挨拶をしていたが、この二人には声をかけそびれていたのである。

二人が立ち上がり、豊かな髭を持ち背丈が常人離れて高い男が

関羽かんう、字を雲長うんちょうと申す。趙子龍殿、よろしく頼む」

と挨拶をすると、もう一人虎髭の男が、

張飛ちょうひ、字は益徳えきとくだ。よろしく頼む」

とややぶっきらぼうな挨拶をした。

そこに劉玄徳が、

「関羽、張飛、そのようにするものではない。趙雲は中郎将の指示ではあるが新たに我が麾下に加わってくれるのだ。事を起こす前に和を乱すのはよくない」

と釘を刺した。

「劉将軍、お二人は将軍の股肱ここうの臣というべき方々なのでしょう。私のような者が新たに加わる事に気を尖らせる事もやむ無しと思えます。私がお二人の立場であっても警戒するでしょう。どうかお気になさらないでいただきたい」

趙雲は劉玄徳と関羽、張飛をそれぞれ宥めるようにそう言った。

「子龍殿、こちらこそ失礼をした。許してもらいたい。先日より見ていたが、子龍殿に邪な意思が無いことはわかっていた。我ら二人が狭量であった。済まぬ」

すぐに関羽が応じて謝罪をし、張飛も習うように頭を下げた。

「どうかそのようになさらないでください。これより我らは劉将軍を支える同士でもあるのです。わだかまりは水に流すと致しませんか」

「子龍殿、そう言ってくれるとありがたい。どうかよろしく頼む」

「俺も失礼をした。これからよろしく頼む」

関羽、張飛はそう言って席に着いて劉玄徳を見た。

「趙雲、不躾な二人を許してくれて有り難く思う。改めて、劉備、字を玄徳という。どうかよろしく頼む」

趙雲はこの会話で関羽、張飛の名と劉玄徳の諱を初めて知った。

「では宴を始めよう」

劉備の一言で酒が運ばれ、宴が始まった。

この宴の会話で趙雲は劉備、関羽、張飛らが何故公孫瓚の元へいたのか知った。また顔は合わせなかったが簡雍かんよう、字は憲和けんかという人物がいることもわかった。劉備の主な配下は関羽、張飛、簡雍、田豫であり、そこに趙雲が加わる形になったということになる。とはいえ趙雲は実際には公孫瓚の指示で動かざるを得ない立場ではあるので、公孫瓚から別の指示があればそれに従わなければならない。が、差し当たり劉備麾下に置かれたので当分は劉備と共に行動することになる。趙雲としては好都合だとも思えた。劉備に大器を見たということもあるが、劉備が初対面で趙雲を高く評価してくれたという事実を関羽から聞かされたからである。まだ天下に無名な趙雲を劉備は逸材と見て、また麾下に加わってくれることを殊の外喜んだ。挙兵から付き従っている関羽と張飛が嫉妬するのも仕方ないことではある。趙雲は二人の心情も察して丁寧な礼を施したので劉備はますます趙雲を信頼するようになった。関羽、張飛は劉備に近づく者に嫉妬や警戒を向けがちな悪癖があるが、同じく挙兵時からの付き合いの簡雍や田豫にはそのような感情を向けたことはない。趙雲にも宴が進むにつれて親しむようになり、趙雲の提案もあって名前で呼ぶようになった。趙雲自身は身の処し方を考えつつも、劉備に従うことに楽しみをおぼえたのは確かである。

「出発は三日後であるから兵を交代で休ませてやり、英気を養ってもらうとしよう」

宴の終わりに劉備は念を押すようにそう言って、関羽と張飛にも調練を休むよう指示を出した。

「関羽殿と張飛殿は如何なされますか」

と趙雲は水を向けてみた。調練などの軍務が無ければこの二人はどうするのか。

「我らは隊の指揮の他に主の護衛も兼ねている。どちらかは必ず主と行動を共にする事になっておるよ。戦場であればそれぞれが隊を指揮するがそうでなければ我か張飛が留守を預かる形になる」

そう関羽は答えた。

「中郎将公孫白珪殿の本拠地といっていいこの陣営であれば賊の心配もない。斥候も必要ないだろう。主に言われた通り英気を養おうではないか」

「そうですね。我らも少し寛がせていただきます」

そう言って趙雲は劉備、関羽、張飛と別れた。三人は寝所も同じだと知ったのもつい先程である。兵はまだ騒いでいる者もいれば寝静まっている者もいる。趙雲は自身の陣地に戻ると楽朋を探した。すぐに兵の間を彷徨いている楽朋を見つけて声をかけた。

「宴には混ざらなかったのか」

「いえ、これでもあちこちで飲んではいます。兵がいくつも分かれて飲んでいるので各所を廻っていました。子龍殿はお開きですか」

「そうか。こちらは終わって戻ったところだ。三日後の出発まで兵に交代で休養を与えようというのが劉将軍の意向だ。すぐに班を分ける」

「子龍隊長。それは副官である私の仕事です。私がやりますので子龍殿はお休みになってください」

「汝も疲れているだろう。兵と共に休め」

「では二人がかりでやりませんか。早く終わらせて休むことができます」

「譲らないな。仕方ない。二人ですぐに片付けてしまおうか」

趙雲と楽朋はすぐに兵の班分けをし、交代で休養の旨を伝えた。残る兵も調練などをするわけではない。しかし交代の見張りなどはあるので、担当以外は交代に備えて待機せねばならない。武器や馬の手入れなどもある。ある程度の指示をした二人は解散を告げ、眠る事にした。趙雲も楽朋もそれなりに酔っていたのである。

その後三日間は交代で休養に入り、街へ繰り出す兵に法に触れぬよう訓示をするくらいで過ぎていった。趙雲はその間に簡雍と面会した。簡雍は兵の指揮はせず、渉外の担当が主らしい。大雑把ではあるがその辺りに人が寄る魅力があるような人物である。

楽朋は趙雲と交代で街へ出ることもあれば、陣営内を見回ったり武具の手入れや他の陣地の様子を見たりしていた。

そうして三日が過ぎ、青州への出発となった。

劉備軍は劉備、関羽、張飛が隊を指揮して両翼を形成し、趙雲は劉備隊の先鋒になり、田国讓は張飛の指揮下に入っての出陣である。兵数は一万を下回ることはないだろう。この軍は前日までの休養が嘘のように英気を纏っていた。趙雲以外は黄巾党と連戦してきたという経緯のある隊長ばかりである。勝ちも負けも味わっているので行軍の呼吸も飲み込んでいる。兵は一部は以前から劉備に従っていた兵であり、公孫瓚の兵と趙雲の義勇兵が混じる形になっているが、足並みに乱れはない。趙雲は気圧されるものをおぼえたが、騎兵五百を纏めて四方に偵騎を放って先頭を進んだ。

途中楽朋が、

「中郎将の兵は関雲長殿が主に指揮しているようですね」

と報告してきた。楽朋は味方の様子にも気を配っている。

「関羽殿の指揮が優れている。だからこそ任されているのだろう」

と趙雲は返した。関羽はよく兵を掌握し、斥候も出している。劉備も、田豫が付いている張飛も抜かりはないだろう。張飛も田豫も若いが趙雲は田豫の才覚を信じている。張飛の荒削りな部分を補って余りあるだろう。張飛と田豫を若いといったが、この劉備軍は全体的に若い。先に劉備を二十代後半に見えると書いたが、劉備はこの年三十歳である。関羽は劉備より年長のようだがもちろん老齢ではない。張飛、田豫、趙雲は皆劉備より歳下であろう。簡雍の年齢は趙雲から見てもわからないが、劉備と同程度と思っている。

公孫瓚の拠点から青州へ行くには一度冀州へ入る形となり通過して青州へ行かなければならない。その冀州は袁本初こと袁紹の影響化にあり、無難に通過できるとは言い難い。また冀州や青州には黄巾党の残党をはじめとした賊があちこちにいる。それらの襲撃に遭わぬように念入りに偵騎を放ちながら進んでいくのである。またこの軍は青州の田楷将軍への援軍であるため、できるだけ迅速に且つ損耗を避けたいという思惑もある。そのため、賊を発見してもあえて戦わず進路を変え、冀州の軍勢に遭わぬように素早く進んで青州内へ入ることができた。この間に年が改まり劉備は三十一歳となった。趙雲はまだ二十代の半ばである。劉備へ報告を済ませ、田楷将軍への使者を送ったこの軍は平原城へ入ることになった。

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