第14話
「私は」
彼の、こと。
何も知らない。
何も知らなかった。
何かが、崩れ去る音がした。
振り返る。
彼。
倒れている。
駆け寄った。
彼にさわる。
ゆする。
「ねえ」
声をかける。
「ねえってば」
倒れた。
彼が。
どうすればいい。
「あ、ああいや、ごめん」
彼。
すぐ起き上がる。
「大丈夫。ちょっとめまいがしただけ」
「何を、耐えてるの?」
「耐えてるって?」
わからない。
「わからない」
何もかもが。
「何もかもが」
思ったことが、そのまま口に出ている。
「捨てられるのが、こわくて」
「いや、忘れてくれ。変な話をしちゃったな」
「待って」
歩きだそうとする。彼。とまる。
「なんでそうやって、歩けるの?」
「なにが」
「いま倒れたんだよ。なんで」
「力と根性、かな」
「座って」
「いや、帰る」
「座って」
彼。ベンチに、腰かける。
「飲み物買ってくる」
走って、止まって。
もうわかんない。ぐちゃぐちゃ。
「移動したら許さないから。動かないで」
振り返ってそれだけ言って、走って飲み物を買った。彼の好きな飲み物がわからない。お茶と、コーラと、普通の水と。スポーツドリンク。
買って、りょうていっぱい、4つ持って、走る。
彼。
ベンチに、腰かけたまま。
安心した。
彼がいたことが。
動かなかったことが。
こんなにも、安心するなんて。
ベンチ。彼のとなりに、腰かける。
彼の額に触れて。首の後ろに触れる。
熱い。
冷やさないと。とりあえず、持ってたドリンクを、血管の太いところに挟んだ。
「なにやってんだろ、私」
彼が倒れて。うろたえて。
その前のこともあって。
自分で自分のことが、分からなくなってきている。
彼。眠っている。
周りには、誰も、いない。
「わたしね」
今なら、喋っても、誰も気付かない。
「普通の性格で、普通の成績で。普通の顔で。普通の身体で。親との関係も普通で。友だちとも普通」
普通。
「全部が普通なの。料理の腕も普通」
教えてもらったのに。ちっとも、うまくならない。
「昨日は、急に泣いて、ごめんなさい」
なんで、泣いたのか。
「夜ごはんのしたごしらえしてたら、いつもは遅く帰ってくる両親が、ふたりとも帰ってきて。いつも半年に一回ぐらいしか早く帰ってくることないのに」
何言ってんだろう、私。
「わたし、自分が食べるはずだったごはんを二人に出して。自分はお弁当買ったの。それで」
それで。なんで泣いた。
「唐揚げもらったのが、うれしくて。なんで泣いたんだろうね。わたし。わかんないや」
そんなに唐揚げがうれしかったのか。また、泣いてる。
「帰ったらさ、いや、分かってたことなんだけど、両親同士は仲が良いから、ええと、その」
これは言いたくないなあ。
「両親がそういうことしてたの。声が。その。うるさくて」
「親の声をおかずに一晩中いたしてたってか?」
「うわっ」
起きてた。
反射的に、手が出た。
彼の顔を、叩く。
びくともしない。
彼の頬。私の手のひらの形。朱く浮き出る。
「いたい」
「あっ、ごめんなさい。つい」
「それよりさ、これ。なに」
「え、熱かったから冷やさないとって」
「脇と股間が冷たくて千切れそうなんだけど」
彼。
脇と股間の飲み物を、除去している。
「つめてえ」
「だって」
「もともとこれぐらいの体温ですが」
「そうだったの」
知らなかった。彼にさわったことは、ない。
「聞いてた、よね」
「聞いてた」
無言。
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