第9話
家に帰った。
「お、おかえり
「ただいま、おかん」
おかん。筋トレをしてる。
「アルバイトごくろうさま。めしは作ってあるよ。食うかい?」
「食う」
机の上。おかんの作った、めし。
「いただきます」
「どうぞ」
食う。
「微妙」
「微妙かあ」
「まあ、まずくはないから、いいんじゃないの」
おかんは、見た目通りのパワータイプ。繊細なことは、ほとんどできない。俺の名前も、強そうだという理由で、将兵。将と兵。
「拾ってもらったんだから、おかんの作ったもの出されればなんでも食うよ」
「飼い猫かい」
「似たようなもんだろ」
拾われた、子供だった。おかんと血は繋がっていない。
おかんは、男以上の腕と根性で、力仕事をしていた。腕と根性が必要だけど、女しか立ち入れないような現場や仕事が、あるらしい。そこで、仕事をしている。
給金は、少ない。女性だから。でもおかんは、めしと、寝る場所と、筋トレ用具があれば満足するらしかった。一軒家に、住んでいる。ローンはまだ残っていた。アルバイトから、自分も少し返済に出している。
「筋肉は鍛えればつくけど、料理の腕ってのは、鍛えてもてんでだめだねえ」
「細かい作業なんだよ」
「私だって機械細かく動かせるよ」
「機械は握ってもつぶれないからな」
つぶれた、お豆腐。そのまんまじゃないだけ、まだましだ。進歩している。
「彼女さんとの関係は、良好かい?」
おかんは、男性経験がない。だから、息子の自分の恋愛話を聞きたがる。
「普通」
拾われた子供。誰の血か分からない、自分。
それを、このおかんはまっすぐ正しく育ててくれた。
だから、おかんの訊くことにはすべて答えるし、いつわることもしない。拾われた身分で楯突こうなど。まったく思わなかった。名前は将兵だけど、楯も突きもしない。
「そういえば、弁当屋で会ったとき、泣いてたな、あいつ」
「なかしたのかい?」
おかんの血相が変わる。おかんは、怒ったりしない。自分も、叱られたことはないし、しかられるようなことは絶対にしない。
「理由がわかんないんだよな。唐揚げを渡したら急に泣き出して。おかん、なんで泣くか分かる?」
「ううん。泣くときはそりゃ、うれしいか、かなしいかだね」
「直情径行だな」
「何もないときに泣いたりなんかしないよ」
おかん。筋トレしながら、何か考えるポーズ。
「あ、目にごみが入ったら泣くね」
「そっか。それかもな」
おかんとの絆は、ある。拾われた子供と、拾った親。だから、かもしれない。おかんのことは信頼しているし、おかんも自分のことを信頼している。
だからこそ、自分が重荷になっているんじゃないかと、思うことは、あった。
「よっし。筋トレ終わり。酒だ酒だ」
おかんは、酔うと愚痴っぽくなる。たいてい、男性経験がないことへの愚痴。
その手の愚痴は、ちゃんといつも聞いてあげた。自分のせい、だから。
27で、連れ子持ち。貰い手などいない。道端で俺を拾ったのが、16のとき。中学を卒業して持ち前の力と根性で働きはじめて、すぐ。
そのときのことも、酔うとおかんは語りだす。
「あんたはね、籠に入ってたんだ。綺麗な箱でね」
その箱は、今も部屋の片隅に置いてある。中に、入ってあったものも。
「見たら、あんたがいてね。3才か4才ぐらいだったっけか」
見た目で雑に判断されて、7才判定。そこから、だいたい十年。
「あんたが言ったんだよ。7才ですって」
「覚えてねえんだよな」
昔の記憶は一切ない。ただ、たぶんそのときの自分は、他人に迷惑をかけまいと、7才と言ったようだった。幼稚園や保育園は、金がかかる。小学校なら、金はかからない。
「あんたは、頭もいいし、器量もいい。身体もできあがってる」
「たしかに」
出来はいい。どの大学にも入れる程度の、学力もある。
「でも、あんたはアルバイトまみれの生活なんだよねえ」
「好きでやってんだから、気にすんなよ」
自分が入っていた籠。その下には、札束が入っていた。警察によると、あまりよくないタイプの金だったらしい。拾得物扱いなので、全部自分のものになってはいるが、さわったことはない。
アルバイトまみれの生活。
捨てられるかもしれないという、漠然としたきょうふがある。捨てられたときに生活できるように。駆り立てられるように、今もアルバイトを続けている。
「はたらくのが、好きなんだねえ」
「おかん譲りだよこれは」
「あたしの育て方か」
「間違ってないよ。おかんの根性が俺にも受け継がれたのさ」
こう言うと、おかんは安心する。そして、それは事実だった。うそはついていない。
ただ、自分のきょうふについては、訊かれていないから、応えないだけ。そういうことにして、いつも、心の中にふたをしている。
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