第7話

「いらっしゃいませ」


「あ」


「お」


 恋人が来た。


「普通のお弁当をひとつ」


 いつものことだけど、彼女の注文のしかたはむずかしい。普通のお弁当という商品は、この弁当屋にはない。


 適当に見繕って、弁当を作る。そして、出す。


「500円になります」


「はい」


「ありがとうございました」


「いいえ」


 彼女が、弁当屋を出ていく。後ろ姿。


「あんちゃん」


 弁当屋のおやじ。


「休憩しなさい」


「いえ、まだ」


 ティッシュ配りのアルバイトからこちらに来て、まだ三十分も経っていない。


「いやいや。恋人は大事にしなきゃ」


 弁当屋のおやじは、線が細い。なよっとしていて、いかにも弱そうな身体をしている。しかし、料理がとにかくうまい。自分なんか比べものにならなかった。


 これでまだ、31。料亭でも働けそうな腕なのに、ここで小さな弁当屋をしてるということは、やっぱり身体のせいなのだろう。


「じゃあ、これ」


 あやじが、唐揚げを渡してくる。


「これをサービス。渡してこい」


「ありがとうございます」


 これなら、業務として彼女に会える。細かいやさしさも、このおやじの特徴だった。アルバイトも、かなり自由にやらせてもらっている。好きなときに来て、好きに手伝っていい仕組み。


 弁当屋を出て、彼女を追った。


 とぼとぼと歩いている、彼女。うつむき加減。


月何つきか


 名前を、呼んだ。買奈月何かいな つきか

 彼女が、振り返る。


「これ。弁当屋のおやじから。サービスだってさ」


「ありがとう」


 受け取った彼女。


 急に、泣き始める。


 音もなく、涙だけが頬を流れ落ちていく。


 何か言おうと思ったけど、やめた。


 詮索はしない関係。それが、彼女と自分の、最善の、距離。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る