子供なき膝に蝶きてとまりけり

【読み】

 こどもなきひざにてふきてとまりけり


【季語】

 蝶〈春〉


【大意】

 子供がいない膝に蝶が来てとまるのであった。


【附記】

 子供がいないと言うことによって本来は子供がいてしかるべきとのニュアンスが生じ、読み手はそこに子供がいない事情を推測することになるであろう。ないものに言及することで意味合いに変化が生じるのは言葉の不思議なところである。

 わたしは、ない/しないことを表現しようとすることを近代的な態度だと思っている。しかし、近代的であることが良いことだとは必ずしも思わない。近代が前近代に優越すると考えるに足る明快な根拠がどれほどあるだろう。


【例句】

 蝶も来て酢を吸ふ菊のなますかな 芭蕉

 菊さけり蝶来て遊べ絵の具皿 嵐雪らんせつ

 夕日影町半まちなかに飛ぶこてふかな 其角きかく

 猫の子のくんずほぐれつ胡蝶かな 同

 もぬけ行く胡蝶のからや窓の雨 丈草じょうそう

 大はらや蝶のでて舞ふ朧月おぼろづき 同

 たぬきにも蝶にもならぬひるねかな 諷竹ふうちく

 てふてふや加茂の芝生にひもすがら 存義ぞんぎ

 蝿が来て蝶にはさせぬ昼寝かな 也有やゆう

 見初みそむると日々に蝶みる旅路かな 太祇たいぎ

 蝶飛ぶや腹に子ありてねむる猫 同

 うつつなきつまみごころの胡蝶哉 蕪村

 地車に起き行く草の胡蝶かな 召波しょうは

 蝶が身の人よりかなし春のくれ 樗良ちょら

 舟につむ植木に蝶のわかれ哉 几董きとう

 草の戸や薬をなめに蝶の留主 同

 みじか夜や三味せん草に蝶のかげ  巣兆そうちょう

 通り抜けゆるす寺なり春のてふ 一茶

 灰汁桶あくおけの蝶のきげんや木下闇こしたやみ 同

 物や思ふいはでも花に蝶黄なり ふぢ

 四国路しこくぢに蝶も渡るや花曇り 紫道しどう

 城門に蝶の飛び交ふ日和ひよりかな 内藤鳴雪

 蝶々の慕ふ花輪やくわんの上 同

 蝶来りしほらしき名の江戸菊に 夏目漱石

 鯉跳てあだくらふや蝶の影 幸田露伴


 此秋は膝に子のない月見かな 鬼貫おにつら

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