まるで姉妹のような
バイトから帰ると、なぜかこころさんと新田さんがこたつに入っていた。幸福とこころさんが同じ面にぎゅうぎゅうに入っていて、対面に新田さんが正座している。慣れというのは恐ろしいもので、もはやその光景になにも感じなくなっていた。
「おかえりなさい!」
幸福から一度も聞いたことのないセリフがなぜか家にいるこころさんに言われて、いろんな意味で涙が出そうになる。
「あー、ただいまです」
おかえりと言われたからには、そう答えるしかないのだが、答えてから恥ずかしくて死にそうになった。
「実は、今日はお二人に謝らないといけないことがあって来たんです」
なんだろう。事後承諾で家にくることとか、勝手に電話番号や住所を調べたりとか心当たりがありすぎて逆になんのことなのかわからない。
「まだ発表されていませんが、ついさっき連続殺人の犯人が自首しました」
「……え?」
それは当然、心当たりがないことだった。
「実は私たち、今回の連続殺人の犯人のこと、花丸さんに初めてあった時にはもう知ってたんです」
「それは、知っててそのままにしていたってことですか……?」
「まあ、ちょっと見て見ぬふりをしました」
「それは……」
どうなんですかと言おうとして、言葉が喉元で詰まった。僕も警察に対して犯人のことを黙っておきながら、いったいどの口でそんなことを言えるだろうか。
「今回の連続殺人の犠牲者は、軒並み詐欺グループの主犯格だったんですよ。そして犯人は、詐欺グループに騙されて自殺した女性の婚約者ですね」
復讐……という文字が頭をよぎった。
「世の中には死んだほうが良い人間というのもいるということですよ」
こころさんは、いつもと変わらず、ニコニコしてそんなセリフを吐いた。
僕はその様を見て、彼女が一般人ではないのだと改めて実感する。
「それとこれ、お返ししますね」
「あー! わたしのクマ!」
傍観していた幸福が声をあげて指差した先には、最近彼女が無くしたと騒いでいたコップがあった。
僕はそれを見て、こころさんがなにをしたのかを察した。
「そのコップについていた指紋と、あの部屋の指紋が一致しました」
だから、彼女のその言葉に驚きはなかった。
あの部屋というのがどこを指しているか、言われるまでもない。こいつの指紋が残ってる場所と言われて思い当たる場所は一つしかないのだから。
「……なんで、こいつが誘拐された少女だって気づいたんですか?」
「逆に聞きますけど、双眼鏡で事故現場を覗く不審者の電話番号を調べるのに、家族構成は調べないだなんて思っていたんですか?」
こころさんのもっともな主張に、僕はそりゃそうかと納得した。そうだ。僕に妹はいないのだ。
僕は幸福を妹ではなく、同棲中の彼女とでも言っておくんだったかなと後悔した。けれど僕は最初から疑われていたようだから、結果は同じだっただろう。
……なんのことはなかった。結局僕がやってきたことは全部が全部、無駄なあがきだったということがわかっただけだった。
犯人を捜したことも、この人たちに幸福のことを隠していたのも、全部が全部。
「そうだ、これももう必要ないでしょう」
新田さんがそう言ってこちらに近づいてきて、声をあげる間もなく僕のポケットからスマホを抜き取った。そしてなにやらぽちぽちと弄る。「どうぞ」と返ってきたスマホに、別段違和感は感じなかった。
「あの、何を」
「あなたのスマホに仕掛けをして、この部屋の会話を盗聴していたんです」
堂々と犯罪を告白された。いや、犯人を知った上で泳がせていたと聞いた時点で今更か。
「最初にこの家にお邪魔したときにちょちょいのちょいと」
呆然としてる僕に、新田さんがそう付け加えた。幸福といい、どいつもこいつも僕のスマホのロックを平然と破ってくる。
「それにしても暗殺をやってますか、なんて聞かれたときは正直焦りました。大体の経緯はお二人の会話から把握していましたけど、まさか花丸さんがそこまで思い詰めるとは思いませんでしたから。本当のことが言えず、申し訳ありませんでした」
「……いえ、いいです。本当のことが言えなかったのは僕も同じですし、もう事件は解決したんですから」
……不思議なことに犯人が自首したと聞いたとき、僕の心を占めていた感情は言いようのない虚しさと、すこしばかりの悔しさだった。
僕はきっと幸福のこと、犯人のことをすべて僕がなんとかしなければならないと主人公気取りになっていたのだ。女の子を拾うという非日常的な体験のせいで、自分が特別な存在かのように勘違いしてしまっていたのだろう。
でも実際は、僕がしてきたことなどなんの意味もなくて、ただこころさんの手のひらで踊って、なにも関わることなく事件は終わった。
まるでおまえは凡人であるとこれでもかと見せつけられたようで、ただただ虚しかった。
「そう言っていただけると助かります」
こころさんはにっこり笑った。
犯人が自首しても、まだ問題は残っていた。幸福が誘拐された少女だと知ったこころさんが、幸福をどうするかということである。
幸福のことを気に入っているこころさんが悪いようにするとは思えない。ただ、僕にとって最悪な未来である、彼女がここから去るという未来は十分にありえた。
例えばそう。こころさんが幸福に「私のところに来ませんか?」と提案したとき、僕が競走馬として彼女に勝てる要素はないだろう。
そんなことを考えながら、僕は肝心なこころさんの次の言葉を待った。
「幸福ちゃんにも……謝らないといけないことがあります」
僕の予想とは違うセリフを言って幸福を見つめるこころさんの顔は、いつものニコニコではなく真剣そのものだった。
「まあ、死ぬほどあると思うけど」
いままでされてきた数々の暴挙を思い出しているのか、幸福はうんざりした表情だ。
「私は昔、毎日公園で遊んでいました。けれど体調が悪く、たまたま公園に行かなかった日が一日だけあったんです。そしてその日、私の父に、花咲夫婦から私のことを誘拐したという電話があり、ポストには手足を縛られて口にガムテープを張られた当時の私そっくりの子が写された写真が投かんされていました」
こころさんの昔話を聞きながら、僕は幸福が、自分は間違えて誘拐されたらしいと言っていたのを思いだす。
「その日、私の代わりに公園にいたのが幸福ちゃんだった……んだと思います。組の金を横領していたことがバレ、あとがなくなった花咲夫婦は、私を人質にして逃亡しようと考えたんです」
それは、つまり……
「……幸福ちゃんは、私の身代わりに誘拐されたんです」
僕は、酸欠のように脳が働かない中、やっとの思いで幸福の方を見た。彼女はぽけーっとした表情を変えることなく、黙ったままだ。
「……ごめんなさい。ごめんなさい。私のせいで辛い目に合わせてしまって」
そんな幸福を、こころさんがぎゅうっと抱きしめた。
「ずっと、ずっと気になっていたんです。誘拐したという電話があったという話と写真を見た時から。いったい誰が私の代わりになったんだろう。あの写真の子はどうなったんだろうと。ごめんなさい。あなたを身代わりにして、のうのうと生きてしまってごめんなさい」
そして、ただただ謝った。その姿は、このあいだの藤林さんを想起させた。たぶん、長年消えることのない罪悪感を抱えてきたという点で彼女たちは同じだからだろう。
「私にこんなことを言う資格はないのかもしれませんが、本当に……本当に生きていてくれてありがとう」
「……痛いから、ちょっと離れて」
だんだんと強くなる締め付けに、幸福がしかめっ面で苦しそうな声をあげる。それでも離れないこころさんを新田さんがずるずると引き離した。
しばらくして、幸福がこころさんの方を向いて、口を開いた。
「……私さ、誘拐される前は虐待されてたんだ。たぶんあのままあそこにいたら、私は近いうちに殺されちゃってたと思う。だから、いいんだよ。私はむしろあなたが居てくれたおかげで救われたから。だから泣かないで」
「ごうふぐじゃゃんんん」
「ぐえっ」
幸福の言葉を受けたこころさんは、滝のような涙と鼻水を流して再度幸福にとびついた。それを受けた幸福がカエルがつぶされたような悲鳴をあげる。
普段の彼女からはまるで想像できない醜態をさらして顔をぐりぐりと幸福の胸にこすりつけるこころさんを、新田さんがまた引きずり離した。
……幸福とこころさん。二人は、子供のころは間違えて誘拐されるほどに似ていたらしい。
幸福も、健やかに成長すればこころさんに似たのだろうか。今だと似ているところの方が少ない。胸とか、顔とか。けれど僕の目には、二人が年の近い姉妹のように写った。それは微笑ましいはずのことなのに、僕の胸はなぜだか苦しくなった。
「優しくするんじゃなかったよ」と服を体液まみれにされた幸福が吐き捨てる。まあ、照れ隠しというやつだろう。……たぶん。
「戸籍はなんとでもできます。……ただ、私はまず幸福ちゃんの両親がいまどういう状況にあるのかを調べようと思います。もしのうのうと暮らしているのだとしたら、それは筋が通らないでしょうから」
目の周りを赤くはらしていること以外は普段の調子に戻ったこころさんが、改めて正座をしてそう言う。
「でも……それには幸福さんに両親のことについて色々聞かないといけません」
僕はそんなことを今更調べてどうなるんだと思った。けど幸福は、
「私からもお願い。いつ見つかるかもしれないって不安なままなのはなんか嫌だし、ちゃんとさせときたいから」
と答えた。
そうしてこころさんは幸福に両親の名前や、なにをしていたか、どこに住んでいたかなんかを根掘り葉掘り聞き始めた。
僕は自分の家なのになんだか居ずらくて外に出る。すると、車に寄りかかって咥えたタバコに火をつけている新田さんを見つけた。
「吸うんですね、たばこ」
「嫌いならやめますが」
僕が声をかけると、彼女は携帯灰皿を取り出した。
「気にしないでください」
タバコの臭いは大嫌いだったけど、僕はそう答えた。タバコの臭いを嗅ぐと、頭にモヤがかかったみたいに気持ち悪くなる。でも今は僕の頭はすでにぐちゃぐちゃだったからどうでもよかった。
「私、実は8年前もボディガードとしてついていたんですよ。正直、ホッとしました。間違われて良かったって。今でもそれは変わりません」
新田さんがいきなり、とんでもないことを告白した。というか、この人何歳なんだろう。
「……それ、いま幸福と暮らしてる僕に言いますか?」
「懺悔というやつですよ。こんなふうに思ってしまう私は、あの子のように幸福さんに許してもらう資格はないでしょうから」
秘密や罪の意識を一人で抱えているのは辛い。どうやらそのはけ口として僕は利用されたらしい。なぜか崎森の「武田さんは最高のサンドバックですよ!」という声が頭の中でリフレインした。
「なら、僕も懺悔してもいいですか?」
「したいならどうぞ。私が聞いた内容を言いふらさないとも限りませんが、それでも良いのなら」
罪の告白というのは、する方は気が楽になるかもしれないが、聞かされる側はたまったもんじゃない。利用されるだけというのはしゃくだから、僕もやり返すことにした。
「僕も幸福が誘拐されてよかったなって思ってるんですよ。じゃないと、僕は彼女を拾えなかったわけですから」
彼女は一瞬目を見開いてから、ごほごほとむせた。まったくいい気味だ。
「……お互い、罪深いですね」
息を整えた新田さんが吐き出した煙が、モクモクと宙をただよった。
数日後、こころさんが調査の結果を伝えにきた。
こころさんの話をまとめると、
幸福の行方不明届けはおろか、出生届けすら出されておらず、彼女の両親は今父親は刑務所、そして母親は7年前に亡くなっているとのことだった。
母親の死因は夫からのDVで、父親が刑務所にいる理由もそれらしい。
幸福というストレスのはけ口がいなくなって、父親が暴力を振るう対象を母親へと変えたのかもしれない。
両親のことを聞いた幸福は、「じゃあ本当にあなたは命の恩人だったんだね」と笑っていた。少なくともはたから見た限りでは、その表情は晴ればれとしたものに見えた。
……たぶん、幸福が両親と関わることはもう二度とないだろう。
幸福が両親のもとを離れたのは8年前だけど、彼女は今日ようやく本当の意味で両親から開放されたのかもしれないと、そう思った。
「幸福ちゃんがこれからどんな選択をしても、私は幸福ちゃんの味方です。でもできれば……」
こころさんは説明を終えたあと、なにか言いかけて、「……いえ、なんでもないです。これからどうしたいか、ゆっくり考えてみてください」と、そう言い残して帰っていった。
最後、彼女は幸福になにか提案しようとしているように見えた。でも提案を言いかけた途中で取り消したのは、これからどうするか幸福自身の意思で決めてほしかったからなのだろう。
そして部屋には僕と幸福だけが残った。
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