僕にとっての白馬の王子様

 



 講義が終わり、明日から冬休みということもあってうきうきで家に帰ろうとキャンパス内を早歩きしていたら、ぐいんと体が後ろに引っ張られた。


「こ、こんにちは」

「こんにちは」


 そこには藤林さんがいた。まあ、話しかけてくる候補が一人しかいないので、「誰だ!?」と特にドキドキすることもない。


「これから帰り?」

「そうだよ。藤林さんも?」

「わたしも四限までしかとってないから。じゃ、じゃあ、い、一緒に帰らない?」

「うんいいよ」

「じゃ、じゃあ自転車とってくるから、ま、待っててね」


 嬉しそうにそう言って、藤林さんは走っていった。



 帰り道、藤林さんが自転車を押して、その横に僕が並んだ。


「あの、この前、ミサちゃんにお礼って言ってお菓子たくさんもらっちゃった。あの子、い、いい子だね」

「うーん……」


 誰だそいつはと思ったが、崎森のことか。いい子かどうかは意見の分かれるところだ。


 それにしても崎森のやつ、知らない間にアパートに来ていたらしい。なんだか変な感じである。


「それで、いじめのこととか、いろいろ聞いたよ。あ、あの子のこと、ちゃんと、守ってあげてね」


 藤林さんが親のような顔で言ってきた。どいつもこいつも、なぜこんなに崎森に甘いのだろうか。僕にももっと優しくしてほしい。


「バイト先、監視カメラも導入したからよほどのバカじゃない限りは大丈夫だと思うよ」


 ただ、あの三人はそのよほどのバカに該当しそうな気もする。


「そ、そっか。そ、そそそそれで、なんだけどね? ミサちゃんにいろいろいじめについて聞いたときにね、花丸くんも昔、いじめられてたっていう話、聞いちゃって」


 藤林さんがとても気まずそうにそう言った。


「あー、うん」


 あいつは人の個人情報をなんだと思ってるんだろうか……。


「でで、でも話してから「あっ」っていかにもやらかしちゃった、みたいな声も出してたし、「このことはどうか武田さんにはご内密に」ってお、お願いもされたし。わ、悪気はなかったと思うし反省もしてると思うよ……た、たぶん」


 遠い目をする僕を見て、藤林さんが焦ったように崎森を庇った。というか崎森のやつ、僕に口を滑らしてしまった報告もなく口止めだけするって、それ反省というよりもただの隠ぺい工作じゃないか。


「それに。……それに、わ、私。崎森ちゃんに教えてもらう前から、し、知ってたから」


 そう言って藤林さんは立ち止った。自転車の車輪が回るからからという音が消えて、自然と僕も足を止める。彼女は震える息を大きく吸って、吐いた。


「あのね、花丸くんがいじめられたの、私のせいなんだよ」

「それは……違うよ藤林さん。だって僕は元からいじめられてたんだから。」


 そんな、はたから聞いたらちんぷんかんぷんな藤林さんの言葉に、僕はそう答えた。


「あ、き、気づいてたなら、ひ、一言言ってくれても、よよ、よかったのに」


 そう言って彼女は笑った。


 そりゃあ、ヒーローの名前を忘れるわけがないんだ。


「それはお互い様ってやつだと思うよ」


 なんというか、藤林京子というのは、僕をいじめから救ってくれたヒーローの名前だった。つまり、彼女が僕を昔いじめから救ってくれたヒーローその人なのである。


 最初に出会った際は、以前のハキハキとした時とはだいぶ変わった彼女が本当に僕の知る藤林京子なのかという疑問もあった。けど、クラスメイト達に詰め寄られる崎森を庇った彼女を見て、ああやっぱりそうなんだなと確信した。


「……正直さ、復讐にでもきたんじゃないかと思ってたんだ。藤林さんは僕を庇ったせいでいじめられたわけだから」

「そんな、そんなわけっ! わ、わた、私、私、あのとき自分ひとりだけで逃げ、ちゃって。君のこと、たす、助けようとしたのに、全然、たす、助けられ、なくて。ごめ、ごめんなさい。ごめんなさい」


 僕がそう呟くと、藤林さんは僕の服をつかんでうつむき、震えた声で謝った。


 ……僕はずっと、彼女に恨まれているとばかり思っていた。


 だから、最初に名前を名乗られたときも、彼女が藤林京子だと確信を持ったときも、あのときはありがとうという一言を言うことができなかった。


 だって、彼女は過度に人前で緊張するようになってしまったのに、僕だけ藤林さんに救われてるなんていうのはあまりにも虫が良すぎると思ってしまったから。


 彼女に感謝を伝える機会もたくさんあったはずなのに、僕はそんなくだらないことばから考えていて、そのせいで彼女はずっと罪悪感を抱いたまま僕と接してきたのだろう。

 

 だから、ずいぶんと遅れてしまったけどちゃんと言わなければならないのだ。


 僕は覚悟を決めて、ごくりとつばを飲み込んだ。


「僕は……僕は君のおかげで救われたんだよ」

「えっ……あ」

「だから、謝られるのは違うんだ」


 だって君のおかげだったんだ。


 君が手を差し伸べてくれたから、僕は一人じゃないんだってそう思えたたから。絶対負けるもんかって転校するその日まで頑張れたのだ。だから、


「だからありがとう」


 彼女が居なければ、僕は心が折れていたかもしれないし、もしかしたら自殺してしまっていたかもしれない。

 そうなったら僕は、幸福に会うこともなかっただろうから。


「ずっと、ずっと謝りたいと、おも、思っててっ。で、でも」


 そう言って、彼女は顔をあげた。彼女の頬をぼろぼろと流れるのは汗ではなく、明らかに涙だった。


「でも、そっかあ。私、君の助けになれてたんだあ……」


 藤林さんは泣いているのに、「えへへへ」と晴れ晴れとした顔で笑った。



 ……確かに藤林さんは変わったのかもしれない。あの堂々とした彼女はもういない。汗っかきになったし、あと、ちょっと太ったし。

 それでも僕には崎守を庇ったときの彼女の姿が、昔の彼女とだぶって見えたのだ。


 きっと今の彼女が昔の僕を見ても、冷や汗をたらして目を泳がせながら、それでも前のようにいじめを止めようとしてくれるだろうと、根拠はないけどそう思った。


 変わってしまったことはたくさんあるけど、かつて僕のことを救ってくれたヒーローは、今でも変わらずヒーローだった。





 僕はあれから目をぱんぱんにして視界が定かではない藤林さんを、彼女の家のドアの前まで誘導した。


 道中、「じ、自転車でつっこんだのも、話すきっかけが作りたかったからだったの、ご、ごめんね」と衝撃の事実が判明したりもした。あの時は本当に痛かった……。


 藤林さんがドアを通るのを見届けたあと、僕は家には戻らず、近くの人気のない裏路地へと足を運んだ。なぜなら、これから電話をする相手との会話が幸福に聞かれるのは恥ずしいと思ったからである。


 ……最近、いじめられていた時のことを思い出す機会が多い。僕には、当時から目をそらし続けていた疑問が一つあったが、そのことがモヤモヤと頭を占領していた。


 だからそのモヤモヤを解消するため、僕はスマホの電話帳へ登録された数少ない連絡先の一つをタップした。


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