店長をよべ!



 休日にバイト先の古本屋で幸福用の新しい英語の参考書探しをしていると、汗をタオルで拭う藤林さんを発見したので、「あぅっすー……」みたいな、なんともいえない感じで声をかけた。


「ぐ、偶然だね。あっ。だ、だいじょうぶだよ。ちゃんと手袋してる、から。ほ、本に、汗浸み込んだりして、ないから」


 別になにも言ってないが、藤林さんが、ゴム手袋をした両手を見せてきた。やっぱり、苦労してそうだ。


「藤林さんって、英語とかできたりする?」

「は、話し相手がいなければ」

「あー、なるほど」


 対人性能は皆無と。


「じゃあおすすめの英語の参考書とか、あったりする?」

「あ、あげようか?高校のときにつかってたやつ、たぶんこっちに、もってきてた、はずだから」

「貰えるならありがたく」


 みかんとか服とか、貰ってばかりな気もするけど、貰えるものは貰うのが吉だ。そんなことを考えていると、客の入店を知らせるベルが鳴り響いて、藤林さんの身体がびくりとはねた。今に心臓とか止まりそうで心配になる。


「ほら、やっぱりそうだって」


 首をぐるりと回すふりをして入店してきたお客を確認すると、うっすらと見覚えがあるような三人組がいた。


 三人組は本には目もくれず、なにやら話しながら崎森がいるレジへと向かっていった。



「へー、ミサこんなところでバイトしてたんだ。それにしても休日に会うなんて奇遇じゃん」

そして、レジにいる崎森に本屋としてはふさわしくない大き目の声で話しかけた。


 たぶん、ミサというのは崎森の下の名前なんだろう。


「意外だねー。本とか好きだったの?それとも客にまた新しい男をみつけたわけ?」

「本が好きとか、そんなわけないでしょ。男のことしか頭にないようなやつなんだから」

「バイト先に新しい男でも探しにきたんじゃない?」

「……なにしに、きたの?」


 崎森は散々な言われように対して、俯き気味になり、さーっと顔を青くしていた。震える口から発せられたのは、普段の彼女からは想像もできないほどにか細く頼りない声だった。


 その様はまるで彼女たちにおびえているようで、対象的に三人組はなにやらニヤニヤと薄笑いを浮かべていた。なんとなく嫌な感じだ。


「えー、ひどい。別に友達に会いにくるのに理由とか要らなくない?」

「そうだよー。最近学校で元気ないからさ、」

「毎日会いにきてあげよっか?ね、私たち友達じゃん?」


 ああそうだ、思い出した。彼女たちは崎森のクラスメイトだ。スーパーで彼女が避けようとしていた三人組だった。


 あのやり取りを見ると、あれだけ過剰に避けようとした理由はクラスメイトというだけではなかったことはなんとなくわかった。おそらく、いじめというやつなんじゃないだろうか。


 いじめ……。僕は最近切り忘れていた爪が食い込むくらい、拳をかたく握りしめた。


「あああ、あの! その、その子すごい顔色悪いし。その辺でやめた方が」


 僕の隣にいたはずの藤林さんが、いつのまにやら問題の渦中に飛び込んでいた。彼女の顔色は、崎森よりもなお悪く、おまけに毛穴という毛穴から汗が吹き出しているようだった。


「私その子と同級生なんですけど。関係ない人はちょっとどいててくれませんか。」

「私たち、友達と話してるだけなんで」

「で、でもどう見てもその子いい、嫌がってるようにみ、みみ、見え」


 退く気配のない藤林さんに対して、一人が舌打ちをした。そして藤林さんの二の腕をつかもうとして、二つの悲鳴が店内に響いた。


 一つはもちろん腕を掴まれた藤林さんのもので、もう一つは腕を掴んだ崎森のクラスメイトのものだった。


「うわあ今ぬるって、ぬるってした気持ち悪いっ」


 どうやら藤林さんの汗で手が滑ったらしい。


「あ、すす、すいません」


 そう謝る藤林さんは、側から見てわかるほど呼吸が乱れていた。それもそのはずである。彼女は人の視線が嫌いで、目立つのが嫌いで、過度な緊張しいだ。彼女にとって、この状況は苦手なんてレベルじゃないだろう。


 しかも彼女は崎森と知り合いという訳でもないはずだ。少なくとも、僕よりも関係的に希薄なことは間違いないだろう。そんな彼女が崎森を庇いに飛び込んだというのに、一応バイトの同僚という線でつながっている僕が見て見ぬふりというのは、なんだかすごくかっこ悪いではないか。


 僕はごしごしと必死で服で手を拭っている崎森のクラスメイトと藤林の間に立った。足を肩幅に開いて、手を横に広げる。


「ディーフェンス!ディーフェンス!」


 そして掛け声とともに、反復横跳びしながら手をブンブン振った。


「うあなにキモいキモいっ」「顔がセクハラ!」「ぎゃあっ。ちょっとわけわかんないんだけどっ」


 叫ぶクラスメイト達は涙目になったり、中には腰を抜かしたのもいるので効果はあったらしい。あと顔がセクハラはさすがに理不尽だと思う。


「こ、この頭のいっちゃってるやつも、あんたの毒牙にかかった可哀想な被害者なわけ?」

「優しくされただけですぐ勘違いしちゃったりしてた? 言っとくけど、そいつ人の男だろうと手を出すビッチ野郎だから。騙されない方がいいよ?」

「にしても、こんな頭のイカれたブサメンに手を出すとかほんと見境ないねあんた。まぁ学校の男子にはもう相手にされないもんねぇ!」


 この奇行にビビって逃げてくれればいいなという甘い幻想は届かなかった。


 彼女達は多少声が上擦ってはいたものの、べ、へつに動揺なんてしてないんだからね!とでも言うように、何事もなかったかのようにまた喋り始めた。


 そうすると当然、自分たちに恥をかかせた対象への攻撃が始まるわけである。


 彼女たちは僕の顔と、ついでに崎森の性格をボロクソに言い始めた。


 崎森は俯いて言い返す気配は無さそうだった。あの、別に一も言ってないのに百は言い返してくるあのクソガキがである。……本当に、本当にらしく無さすぎて調子が狂う。


 無抵抗のままだと、彼女達の罵詈雑言ガトリング砲が止まらなくなるので、僕が反応することにした。


「生憎とぼくはユニコーンじゃないし、少なくとも顔で選ぶなら断然君たちより崎森。性格で選んでもまぁ……消去法で君たちより崎森の方が若干マシだと思うけど。なぁ、崎森、おまえもそう思うだろ?」


 僕がそう話を振ると、彼女は顔をあげて僕を見た。


「あ、う、あ、ううわ、わた」


 と口をパクパクと動かすが、言葉がつっかえてなかなか出てこない。……重症だな。


「ちょっとそいつと私らが同等みたいな言い方やめてくれる?」

「いくら見てくれが良くても中身がそれじゃあ終わりでしょ」


 そして、崎森が何か言うよりも先に、クラスメイト達のターンになってしまった。


 というか君たち、ブーメランって知ってる?


「そもそも店員が店にきた客にそんな暴言吐いていいわけ?」

「そうよ私たちめちゃくちゃ傷ついたんだけど」

「どう責任とってくれんの?」


 こっちだって顔面を馬鹿にされたのにちょっと言い返しただけでこれである。


「はい、ストーップ」


 そんなだるそうな声とともに、店の奥から出てきた店長が、止まない罵倒に割り込んできた。


 

 ……すごく申し訳ない話、店長のことをすっかり忘れ去っていた。今思えばこういう不測の事態が起こった時の行動って普通、店長を呼ぶなのに。これは店奥で存在感皆無な店長も悪いと思う。


「なんか花丸君の大声があまりにも大きすぎて本に集中できないだろうがうるせーなとぶっ飛ばしてやろうと思って出できてみれば……」


 店長は僕らをぐるりと見まわしたあと、「あーなるほどねえ……」とめんどくさそうに溜息をついて、


「んー、とりあえず君たち、今後出禁で」


 と崎森のクラスメイト達を指さした。


「ちょっと私たち客よ!?」「ていうか私たちこの人にセクハラされたんですけど!?」

「私は赤の他人より大好きなバイトちゃんの味方をするけど、悪い?」


 当然のごとくかみついてきたクラスメイト達を、店長は歯牙にも掛けず、言い切った。


 そのあんまりな物言いに、唖然とした様子の崎森のクラスメイト達に店長は続けて「ではお引き取りくださーい」と言いながら、犬でも追い払うようにしっしと手で払う。


「きゃ客を追い払うなんて信じられないし!」

「周りに最低の本屋だって言い触らすから!」

「ふ、ふん。レビューで星1つけてやるんだからね!」



 彼女たちは顔に血を昇らせてご立腹な様子だが、一応は従って出ていくことにしたらしい。店長がその後ろ姿にべーっと小さな子供のように舌を出した。


「いやー、ああいうのを捨て台詞っていうんだろうね。初めて聞いたかもしれない」


 店長は感心したように、ガニ股気味で彼女たちが出て行くのを眺めていた。そこに崎森が深刻そうな顔をして、震えた足取りで駆け寄っていく。


「あの、店長私やっぱりバイト……」

「私は、どうでもいいやつにどう思われようとどうでもいいよ。少なくとも私は客が減るよりも、ミサちゃんが来なくなるほうが嫌かな」


 暗い表情のまま言い淀んだ崎森の言葉に割り込むように、店長はそう言った。


「……店長としてどうなんですかそれ」


 少しして、そう笑った崎森の声は震えていた。


「なんせ私が店長だ。この城じゃあ私がルールブックだからね。ところで、君大丈夫? 汗はすごいし、のっぺらぼうみたいな顔色になってるけども」


 店長は、今にも倒れそうな様子の藤林さんの顔を覗きこんだ。


「あ、あの!さっきは助けてくれてありがとうございました! えっと、体調悪いですか?」


 崎森も近づいて頭を下げる。


「あー、彼女目立ったりするのが苦手みたいで、さっきだいぶ無理したと思うので、休ませてあげた方がいいと思います」


 僕がそう言うと、店長が肩を貸して藤林さんを休憩室に運ぶ。そこに椅子を並べて簡易的なベットを作って藤林さんはそこに横になった。

 

「んー、ああそうだった」


 店長は思い出したかのように僕の方に歩み寄る。そして持っている本を振り上げ、僕のつむじへと振り下ろした。


「これは私の読書を邪魔した罰」


 頭をおさえて悶絶する僕の頭上からそんなセリフが発せられた。


「せめてカド以外にしてください……」


 絶対かなりの脳細胞達がお亡くなりになったぞ。これで頭が悪くなって単位を落として留年することになったらどうしてくれるんだ。


「で、これは崎森ちゃんを助けてくれたご褒美」


 そう言って、店長が差し出してきたのは図書カードだった。


「どうせならプラマイゼロには出来なかったんですか」

「それとこれとは話が別でしょ。なに、要らないの?」

「ありがたく貰い受けます」


 僕は名刺でも受け取るかのように両手で図書カードを貰う。これで図書カードも貰えなかったら完全にやられ損である。図書カードは500円分だった。


「そういえば、店長ってふつうに接客できたんですね」

「アレは客じゃないから、接客ではないでしょ」


 思いのほか辛辣な答えが返ってきた。


「私はね、人と関わるのが嫌なんじゃない。もしそうだったら、君たちとこんなに話なんてしないわけさ。私はどうでもいいやつの相手をするのが死ぬほど嫌いってだけなのよ」


「はぁ?なるほど?」

「わかってないのにとりあえずで頷くのはやめなさい」


 またつむじをゴツリと本で小突かれた。


「本を商売にする人として商売道具をそんな風に粗末に扱うのはどうなんですか」

「本なんて角が潰れようが日焼けしようがタバコ臭かろうが、読めればいいのよ。さて、今日はもう閉店にして本でも読むとしようかな」

 

 そう言って店長は椅子に座って僕を叩いた本を開いた。

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