みかんとこたつは最強


 ある日藤林さんから


『みかんとか、要ります……?』


 とスマホに通知が来ていた。もちろん欲しいのでもらいに行くことにする。


 最近、無駄遣いの極みみたいな奨学金の使い方をしている身としては、食費が浮くのは大変いいことだ。


 藤林さんの部屋をノックすると、「はい!」という声がするのとほぼ同時にドアが開いた。多分、扉の前で待機してたんだろうなあって容易に予想できてしまう早さだった。


 彼女の足元に段ボール箱がみえる。多分あれにみかんが詰まっているのだろう。予想していたよりだいぶ大きかった。


 僕は目の前でそわそわと落ち着きなく動く藤林さんの爪の先が、きっちり黄色に変わっているのを確認した。


「あの、さ、さすがに全部はおお、多すぎだよね。ど、どれくらい食べる?」

藤林さんが段ボールをチラ見しながら聞いてきた。


「もしもらえるなら、それくらい食べれそうだけど。こたつもあるし」


 映画館とポップコーンと同じくらいこたつとみかんはシナジーがあると思う。多分平常時の3倍くらいは食えるようになる。


「でもあの、これがあと3箱あって」

「それは……しばらく爪が黄色のままになりそうだ」


 僕がそう言うと、彼女は自分の手をちらっと見て、さっとそれを隠すように背中に回した。みかんを食べた後遺症を気にしているらしい。


「ご、ごめんね。で、でもほ、ほかに渡せるような人もいなかった、から」

「嫌だったらふつうに断るから大丈夫だよ」


 あげる側がもらう側に謝るというのもおかしな話だ。これがシュールストレミングかなにかならまだしも。


「う、うちの親、わわ、私のことを二足歩行する豚とでも勘違いしてるんだよ。実家にいるときもやたらとお菓子とか、肉とか食べさせようとしてきたし」


 豚に肉は食わせないだろうというマジレスはダメだろうか。


「い、今どうりで肥えてんなって思った?」

「そんなことないよ」

「ほ、ほんとかなあ」

「ほんとだよ」


 嘘ですちょっとぽっちゃりしてるなって思いました。


「そ、そっかあ」


 藤林さんはえへえへと嬉しそうにひきつり笑いをした。うまくごまかせたらしい。


 それにしてもいつも謝っているような印象のある藤林さんが、愚痴のようなことを言うのは意外だった。目の前のおろおろ目が泳いでいる彼女が、家族に対しては強気だったりするのだろうか。


「藤林さんは、親と仲良いの?」

「えーっと、どうだろ。よ、よく話す方だと思うし、温泉に行ったりして、実は結構良い方なの、かも。お母さんとよく買い物行くし、お父さんの服は別で洗ってとか言わないし。それどころか最近ちょっと臭い気がするからファブリーズふいてあげてるんだよ!」


「へえ」

「お、お父さんに、しゅっしゅって」

「へえ……」


 服じゃなくてお父さん本体になのか。お父さん……娘さんに菌扱いされてますよ。


 やはり藤林さんは家族に対しては緊張しないようだった。他人の目を気にしていない彼女はどんな感じなんだろうか、すこし見てみたい気もする。


「で、そういう君は、あの、わ、悪かったりするの?」


 藤林さんは聞きづらそうに聞いてきた。なら聞かなきゃいいのに


「え、悪そうな顔してたりする?」

「いや、さん「は」って聞いてきたから、君は違うの、かなー、って」

「あー、なるほど」


 名探偵藤林さんじゃないか。


 ……どちらかというと、幸福のことを考えて無意識にそういう風に言ってしまったのだと思う。だけど、僕か。


「苦手、ではあるかもしれない」

「嫌いじゃないけど苦手って、おお、女の子がよく使うやつ?」

「あー、本当に嫌いってわけじゃなくて、ただただ苦手なんだ。なんというか、あまり話さないというか、昔からなにを考えてるかよくわからないんだよなあ」


 父とはそれなりに喋るものの、母は無口で無表情で、本当になにを考えているのかわからない人だった。高校にあがるまで宇宙人なんじゃないかと本気で疑っていたぐらいだ。


 中学時代、引っ越しすることになった時ですら、そのことを引っ越しの前日に話されたし。引っ越した後はパートを始めたらしく、母との関わりはさらに減って余計に苦手意識は増した。それから……。


 一度母のことを考えだしたらもう止まらなくなった。思考がずぶずぶと沼におちるみたいに重たくなっていく。


 ……なぜ僕は藤林さんの質問に馬鹿正直に答えたのだろうか。無難な回答をすればよかったのにと後悔した。


「う、うちの親なんて! うちの親なんて、会話したって話が通じてないし、話してるのに通じない分、余計むかつくし」


「そ、それに。だ、大事なことに限って言ってくれないことの方が、お、多いし。だから、その。なんていうか、き、気にしなくてだいじょうぶ、だよ」


 早口などもり声で僕は現実に引き戻された。


 そんな風に、ぶつくさと両親の悪口を言い出した藤林さんの、普段とのギャップになんだかおかしくなって、僕はふき出した


「え、な、なんでわらったの」

「いや、家族さんにはやたらと辛辣だなと思って」


 言うと、彼女の顔がとたんに赤くなった。


 ……とりあえず彼女がすごく気を使ってくれたというのは、わかる。


 不思議と、体と思考が軽くなった気がした。悩みを人に話して楽になるっていうのは、こういう感覚らしい。



「そ!それで、あの、もうひと箱いる?」


 藤林さんが恥ずかしさをごまかすように、上ずった声で聞いてきた。


「うーん。これを食べきってから考えてもいい?」


 あいつがどれくらい食うかにもよるから、とりあえず一箱だけ貰うことにした。




 持ち帰ったみかんを、幸福はばくばくと食べた。これならもうひと箱貰ってきても余裕そうだ。



「なんかこの張り巡らされた筋キモいんだけど、取ってよ」

「べつに味なんて変わらないからいいだろ。というか自分で取れ」

「えー、だる。やってよ。なにが減るもんでもないんだしさあ」

「僕の時間と労力が減るんだよ」

「両方ともなにかに生かすわけでもないからいーじゃん」

「当たり前のごとく決めつけるのはやめろ」


 なんと言われようとそんな面倒くさい作業を一箱分もやる気はないのだ。


 

 それからしばらく我が家では、僕の爪「だけ」が、しばらく黄色のままだった。

 

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