汗もしたたるなんとやら



「朝からばたばたばたばたとさぁ。うるさいんだけど…」


 幸福がこたつに入ったまま体を起こして、呂律の回らない口で不満そうに言ってきた。だらしなく開いた口からだらーんとよだれが垂れている。


「今日は大学に課題を出しに行くんだ。今日が提出期限だったのを忘れてた。あと一般的に午前10時を朝とは言わないと思う」


 これほど一般的でない人間に、一般論を語るのも馬鹿らしい話ではあるけども。


「ふーん。本当に大学生だったんだね」

「なぜ疑うのか」

「だって大学生ってニートの言い訳につかいやすそうだなって」

「それはまったくそのとおりだけども」


 そう答えると、幸福は「ふーん」と大きなあくびを一つして、再びこたつにもぐりこんで二度寝の体制に入った。


「あ、ついでにエナドリよろー」


 憂鬱な気分で外界への扉を開く僕の背後から、ふにゃふにゃな声が響いてきた。


 大学にレポートを提出した帰り道、開放感から伸びをしていたところ、背中にバスケボールを思いっ切りたたきつけられたみたいな衝撃を受けて、僕はアスファルトにダイブした。


「ごご、ごめんなさい! だい、大丈夫です、か!?」


 なんとか仰向けになって声の主を確認すると、真っ先に胸についたおおきな盛り上がりが二つ視界に入った。よし許そう。僕はそう決めた。


 視点をすこしあげると、そこにはなんとなく見覚えのある、汗をしたたらせた顔があった。秋も冬も汗をかいているこの特徴的な背の高い女性を、僕は大学内でなんどか見かけたことがあった。


「ご、ごめんね。私あの、あああ汗っかきで。き、気にしないで」


 彼女を見かけた場面を想起していると、彼女はまるで服屋の店員に話しかけられた時の僕のようにどもりながら卑屈に笑って、滴る汗をタオルで拭った。顔面ダイブした僕より彼女の方がパニックそうだ。


「あ、あのっ。どこか怪我、とか」

「幸い手で支えるのが間に合ったからどうにか」


 正直痛すぎて若干泣きそうだったけど、カッコつけてなんでもないという風に手を振ってみせて立ち上がった。


「うわあす、すごい切れちゃってるっ。ほ、ほほホントにごめんなさいっ」


 意図に反して、ザクザク擦り切れてしまっている手を見せびらかして痛かったアピールをするクソ野郎になってしまった。それを見た彼女は申し訳なさそうにヘドバンのごとく何度も激しく頭を下げている。


 それにしてもこうして立ってみると、彼女が背の高いことに気づく。多分、幸福と同じくらいだろうか。


「そ、そこのコンビニで水とか消毒とか絆創膏とか買ってくるので、あの、ちょ、ちょっと待っててね!」


 僕がなにか口を挟む間もなく、彼女は行ってしまった。


 少しして、汗を五割り増しにして帰ってきた彼女は、袋から取り出したペットボトルのキャップを回すが、汗ですべってうまくいかないらしい。なかなか開かずに焦っているのが目に見えて伝わってくる。


 被害をこうむったのは僕のはずなのに、なぜだか加害者側の気分になった。



 処置後には絆創膏がペタペタと大量に貼られた僕の手が残った。たくさん貼れば貼るほど効果があるって思ってそうだ。


「ご、ごめんね。私不器用で」


 女の子に処置してもらったんだなとしみじみと手を眺めていると、彼女はおどおどとした様子でペコペコと頭を下げた。なにか不満があると取られてしまったらしい。見事なネガティブシンキングっぷりだった。


「いやありがとう助かったよ」

「そそ、そっか」

「うん」


 それからしばらくの静寂が訪れた。


「ああの! ら、ラ○ンやってる?」


 気まずい静寂を切り裂いたのは、彼女の方だった。


 パーリ―ピーポーの口癖に体が勝手に臨戦態勢を取ってしまうが、どうみてもアレなオドオドした目の前の彼女の姿的に、そういうのじゃなさそうだ。


「あの、じじ、自分のせいでできた怪我なのに、それを手当てしても、た、ただのマッチポンプでしかない、から。ちゃんとお礼、するために」

「あ、そういうことなら、します……か」

「しま、しょう……」


 こうして、僕のラ○ンに親と公式アプリ以外が登録された。うれしいかと言われると、失礼な話ちょっと微妙だった。

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