言霊遣い ザムトは双子竜に襲われる(3)

「………………ディアが静か」


「えっ?ディアはそんなにうるさくないよ?」


 副音声で、えっえっえっ?どうしていきなり?とものすごく混乱しているのが伝わってくる。煩いのはそういうところだと言いたいのだろう。無言でフェリはぷにぷにとディアの頬をつついている。


「じゃあ試しに外してみてもらってもいいか?」


「うん」


「どう?」


「ディアげんき」


 上手くいったようである。バンダナを二の腕にキュッと結びつけているのを見る限りとても嬉しかったようである。先日の都とか煩くてたまらなかったのではないだろうか。頭をヨシヨシと撫でて上げれば上目遣いでにこぉと笑みを浮かべてくれた。可愛い。可愛いぞフェリ。


 自分はどうするのかと言ったら、ちょっと今はそのままにしておこうかと思う。煩いのは堪らないが何かに巻き込まれる予防というか、身を守るにはもってこいなのである。ほら、今だって御者さんが行程帰るかーどうしようかなぁ、傭兵達と相談しないととか考えたことが垂れ流しで聞こえてくる。


「ディアも何か欲しいー」


「なにかいいのあるかなぁ………」


『先程の蜥蜴車の様子がおかしくて……何かあったのではと。警戒をよろしくお願いします』

『迂回路はあるのか』

『ここは一本道でして』

『しっかりと伝えてから戻れよ馬鹿野郎』


 カバンの中をゴソゴソしながら俺は御者台のほうから聞こえてくる会話に耳をそばだてた。現状危険は無さそうなのでそこまでの危機感は抱いてはいないが安全なことに越したことはない。一応国営の蜥蜴車ということで乗客の事はしっかり考えてくれるようで助かる。


 しかし魔物が何なのか分からないし、もし戦うとなった時に自分は動けるのだろうかといった不安が首をもたげてくる。如何せん自分は日本人なのだ。戦闘訓練はおろか下手するとフェリとディアの2人よりもそういったものに対しての身構えはないのだ。


 フェリの心見を封じられるようにしたのはこれが実は1番だった。自分の不安で浮ついた心をよまれたくなかったから。言霊のせいで弱音は吐けないのだ。それならば2人の前だけではせめてそういったものは見せずに行きたい。


「おっ、これとかどうだろう」


「んー?」


「眼鏡……はさすがにこの世界にもあるよな。俺のお下がりだから大きいかもだけども、その遠く見る力使いたくない時はこれをこう、顔につけるんだよ」


 ゼミ用の安物ブルーライトカット眼鏡がこんな所で役に立つとは思ってもみなかった。ケースも渡して普段の取り扱いなどもメガネ屋の店員のように説明してみたが、まぁほけーとしていた姿を見る限り大体の内容が反対側の耳からたれ流されていたように思う。まぁ年齢も年齢故仕方がない。


 とりあえず1度つけて満足したのかそっとメガネ入れに戻してそれを大事そうに自分の自己空間の中に閉まっているのを微笑ましく見ていたが、突然全く微笑ましくない行動に出始めるから、無邪気というかなんというか。子供は恐ろしい。


 腰から抜いたナイフで手の平をえいっと切りつけた上で血の滲む手のひらをはいっ、と満面の笑みで差し出してくるのだもの。思わず目を剥いて口の端を引き攣らせてしまった。


 いやいやいや、待って欲しい。躊躇ってくれ。簡単に自分を傷つけないでくれ、そしてそんな状態で満面の笑みを浮かべないでくれ。焦る。


「はーやーく!治っちゃう!」


「ディア………もう少し自分を大切にしてほしいな………」


「フェリみたいにきゅーじのがいい?」


 きゅうじ、恐らく漢字で書くとこう、給餌。竜族はそうやってご飯をあげるのかという知識がひとつ増えた。また口移しで血の味とか御免こうむる。そっと血を手で触りそれを食べ舐めさせてもらうことでこれ以上何かが起こらないようにさせてもらったものだった。


 まぁ、案の定舐めた瞬間に目をぶん殴られたかのような痛みと熱湯に手を入れた時のような痛みが同時に来てまたもや悶絶することになるのだが、もう満足げにうんうんと頷くディアには俺の痛みに苦しむ姿は見えていないだろう。本当になんて呪いだ。ひどいにも程がある。そしてまだずきずきズンズンと目の奥の方に痛みが残っているもののこの子たちを心配させるわけも行かず。若干ぐったりしながら俺はゆっくりと身を起こした。


 自分の家にある氷嚢が今ここで欲しい。切実に欲しい。ホットアイマスクでもいい。そしてどうなるか分からないが故に目を開けることもはばかられるが、いつまでも目を瞑っているわけにもいかない。ゆっくりと、そうゆっくりと目を開いてみて……


「あれ?思ったよりもなにもない……」


「えっとね。見たい場所をね、んーっと思い浮かべるの」


 えっと見たい場所、そうだな……馬車の進行先の方向、はるか先に見える大きな木なんてどうだろう。はるか平原の先に見えるそれなら、障害物もないし迷子になったり戻れないなどはない、と信じたい。


「思い浮かべたら覗き込むような感じで、んーっと」


 すべてんーっとで説明してしまいそうな気配もするがまあいい。自分は箱の前にいて、そのまま覗き込むようにしてみる……といきなり世界がグルンと回った。自分がまるで鳥にでもなったかのようにふわっと浮いているような感覚、そして目的の場所に向けてすさまじい勢いで進んでいく。ネットなどにあるシュミレーションを見ているかのようだった。足の問題でずっとPCの画面で飛んで旅行気分を味わっていた自分になじみのある感覚だった。


 そして目的の木にたどりついた俺が見たものは。


「すみません!!!止めてください!!!!!!」


「は、はいっ!」


 突然の停車と共に体が進行方向に揺れ、空を飛んでいたフェリがそのまま壁にぶつかり、ディアも俺の胸元に飛び込んでくる。周りの傭兵さんたちのなんだなんだ。どうしたという心の声が聞こえてくるもそんなこと知ったものか。あわてて馬車から飛び出すのと胃の中のものがこみあげてくるのがどちらが早かったのか。土と石の露出する地面に向かって俺は胃の中のものを勢いにまかせてぶちまけていた。


「だ、大丈夫ザムト!?」


 苦い胃液と先ほど食べた肉の香ばしかったはずの香りを喉の奥で感じながら俺はその場にへたり込んだ。丁度よかったのか、悪かったのか。今の俺には判断ができなかった。腰が抜けてしまったかのようにその場から動けない。


「おいおい、都会の坊ちゃんはこんな上等な客車で気分が悪くなるのか?」


 肩を竦めながら傭兵の1人が俺の方にやってくる。むっと口をとがらせるディアの頭をポンポンと叩いてそれ以上感情的になるのを阻止しつつ、俺は言わねばならないことを頭の中で慌てて組み立てる。そう、あれを。


 俺がディアのその力で見たのは確かにあの大樹だった。そしてあの大樹の根本には昔の遺跡なのだろう、苔むした瓦礫と木の根に浸食された泉があり……



「ここから、少しいった先にある大樹……そこに大量の小鬼がいて……」


「はあっ?」


 息を吸って、吐いて。むかむかする胃袋をさすりながら俺は言った。


「何台も蜥蜴車の残骸と……人族の死体が積まれてました」




「ざむぅ、お水飲める?」


「ありがとうフェリ。もう大丈夫だよ」


 あの木のそばは必ず蜥蜴車が通る道らしい。そのまま対策を練らずに通るには危険が過ぎると判断した傭兵の方々の判断に従って、この馬車はこの場にとどまっていた。一度数人に先遣してもらって自分が見たものの真偽を確認して、そしてそれが帰り次第どうするかを決めるとのこと。ここの所平和だったのはあの大樹の根本に集結していたからという可能性もあるらしい。


「うーん!ほんとだ!ザムトが言った通りたくさんいるー!すごい!」


「あんまり見ちゃダメだよ?」


「大丈夫大丈夫」


 俺がショックのあまり胃の中のものを全部ぶちまけたというのにこの力の先輩であるディアはケロッとしている。むしろそういうことは結構よくあって、俺だけが慣れてないということだけなのかもしれない。どちらにしても未だに俺は腰が抜けてしまっていて相変わらず地べたにへたり込んでしまっている。いささか情けないが病院以外で人の死を、あんなむごたらしい図で見させられるという体験はこれが初めてなのだ。こうなっても仕方ないと自分自身に言い訳を心の中でした。


「頭目、先遣隊から連絡です。確認できるだけでも50、恐らく奥にも同じ数以上はいるであろうゴブリンの群れが遺跡にいるとの事」


「ちっ、少し前に戻ってきやがった馬車は知ってやがったな。知らずに通りかかったらあっという間に太陽神の加護を受ける前に冥界入りするところだったって話だ。にぃちゃん、突然気が狂ったのかと思ったがお手柄だ」


 すみません。完全にあの瞬間SAN値チェックに失敗して発狂しておりました。まあそんなネタ通じるわけもないので黙っているが吉なんだけども。


 ここで、襲われている人達を救出しようとは俺は言えなかった。第一は自分自身。情けないと思うがディアもフェリも幼いし俺も戦えない。今目の前の傭兵のおっさんがその気になれば簡単に三人を仕留められるほどの戦力なのだ。それで無謀な事など言えるはずもないし、俺ができるのは旅の安全を祈ること、そしてアイツらに目を付けられずにいかに先に進むかである。


「あの道を避けて進むことはできませんか?」


「この峠は一本道でどうしてもあの木の根元を通るしかありませんが……命にはかえられません。ここは先の客車のように前の街に戻って討伐を待つしかありません」


 それが正しい。そしてそれしかない。たった一つの命を早々に失うのはたまったもんではない。


「となりゃ先遣隊が戻ってきたらとっとと戻るしかねえな」


 そうなれば客車の向きを……といった話になり、ようやく立てるようになった自分もそれを手伝おうとした時だった。遠いところをじーっと見つめていたディアが首をかしげて口をへの字にしだしたのだった。これはなかなかやばいという時にする顏である。主にトイレが近い、などがそれにあたる。そしてこういった。



「あ……戻れないかもしれない」


 と。状況が状況なだけあって傭兵の頭目さんも思わず目をむいてディアの方を見つめた。


「ディアどうしたんだい?」


「お城が……燃えてる」

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