勇者 ■■■■は異世界に召喚される(4)

 

 結局店主に勧められるがまま自分はそれを見に行くことになってしまったのだが、どうにもいまいち気持ちが乗らなかった。それは物珍しさなのか、本当なら自分はそちら側にいたのだと言いたかったのか。それとも自分の境遇を嘆いてなのか分からない。でも気持ちの悪い何かを抱えて自分は皆と同じ方向に向かって歩いた。そしてそれが見えてくるに従って歩きから小走りに、そして最後には焦ったかのように駆け足へと変わっていった。


 ものすごく嫌な予感がする。気持ちが悪い。何だろうこの嫌な予感は。なのに自分はそれの正体が何かを確かめようと走っていた。広間はすでに人が一杯で奥の方なんて見れたものではない。元々背が低いのもあって人の背しか見えない。



 高台なら見えるんじゃないかと俺の脇を走っていく若者の後を追って階段を駆け上がり、なんとか高台にかかる橋の桟を確保できた。その時には既にその顔見せとやらも後半で、広間には先ほど自分を追い出した男のものらしき声がこれからを期待するだの今後どうしていくだの民衆に語っているような状況だった。


 豆粒程度にしか見えないために恐らくとしか言いようがなかったが、恐らくは男の後ろにいる誰かがその選ばれた勇者様なのだろう。俺はそっと口を手で覆った。


「あの勇者の姿を俺は見ることが出来る」


 手の中でぼそぼそとそう指示すれば目の前に一瞬文字のようなものが光り、小さな水の鏡を作り出す。そして、それが光をペカリと反射したかと思えば見事に勇者と、その周辺をまるで実況中継のそれのごとく映し出し………


「えっ?」


 そして後悔した。


「おー、嬢ちゃん魔法使いかい?俺にも見せてくれよ」


「べっぴんさんだねぇ。あんな細腕で魔族と戦えるのか?」



 そんな真横からの声すら届かない程に俺は焦っていた。世界から音が消える。目が離せない。そして全身を悪寒がぶわっと襲ってきて、先ほどの嫌な予感が自分の勘違いでないことを察した。


 それは女性だった。長い黒髪にキリッとした顔立ちの美人。少し鍛えているために着させられているドレスから除く肌は適度に筋肉質で、背もそこそこに高いのが横の男と比べてもわかる。そして目の端に映る彼女のステータス画面には《剣聖》だの《太陽神の加護》だの《精霊王の恵み》だの、これでもかと言うくらい色々な祝福が載っていて。あぁ、彼女が選ばれた勇者なのだと否が応でも知らされた。


 そして、ステータス画面にも載っていない情報を俺は知っていた。彼女が普段はスーツを着ていて、会社員として働いている事を。そして朝には用もないのにこちらに話しかけてきて、世話をやこうとしてくる事も、ロマンチストでこんな勇者だの魔王だのの物語な好きなことも。


「美琴……ねぇ、が勇者、なのか」


 なんてことだろうか。そこにいたのは自分の幼なじみであり、誰よりも苦手な存在だったのだから。


 思わず俺は顔を伏せた。自分の目を信じたくなかった。幻覚であって欲しかった。どうしてここにいるのだろう。とか何故勇者にあれが選ばれているのだろうかとか、あれは本物なのだろうか、いやもしかしてそっくりさんなのかもしれないとか。焦る自分の脳裏にどうでもいいことばかりが過ぎっていく。


「おい、どうした。大丈夫か?」


「大丈夫です……ご心配ありがとうございま………す」


 顔をあげるんじゃなかった。そう、顔を上げて水鏡を見た瞬間の事だった。画面越しにそれと…………目が、あっ…………て………


 気がつけば自分は先程の店の中で息を切らしてしゃがみこんでいた。ぜーはーと耳障りな呼吸の音が煩わしい。肌着と髪の毛が汗に濡れてで肌に張り付いて気持ちが悪く、でもそれ以上にさっき見たそれの存在が気持ち悪くて気持ち悪くて仕方がなかった。


「顔色が優れませんが大丈夫ですか?」


「すみません、嫌なものを見てしまって。落ち着け、俺」


 バクバクいっていた心臓がすっと落ち着いて汗もひいていく。深呼吸を何度かすると俺は立ち上がった。


「勇者様はどんな方でしたか?」


「…………頭の良さそうな女性でしたよ」


 そして、もう二度と会いたくない。口元まで出かかったその言葉をそっと飲み込んで俺は笑った。





 それはともかく、お店の人が見立ててくれた一式は本当に素晴らしいものばかりであった。簡易的なテントが貼れるセットや、野外自炊のための便利グッズなどの旅に必要なものが目白押しだったのだ。折りたたみの出来る簡易枕や丈夫な毛布といった元の世界でも役に立ちそうなものから、更には魔法で灯りをつけることが出来るカンテラなど魔法というものによって発展した世界ならではの道具も多い。


 また《自己空間》というものがあるからこそ最低限がここまで増えているのだろうなぁとも思う。テントなんて棒に外套をかければいい、と前になんかのサバイバルの本で読んだくらいである。それくらい自分で荷運びをする際には持ち物は減らさねばならないのだ。だが重さもなしにしまっておける便利なものがあるなら使わずに何を使えというのだ。これは旅の最中でも生活の質を思ったよりも下げずに済みそうである。


「これら全部自己空間に収納可能ですか?」


「はい、大丈夫だと思います」


 相変わらず話すたびに緊張するのにも慣れたいものである。


「さすが魔法学校に通われる方は容量も沢山持ってられていいわねえ。魔法が使えない剣士様とかですと野営設備も入らなかったりしますしね」


「そうなんですね」


 こんな調子で当たり障りのない事しか言えないのだ。コミュ障か? いや、俺は昔もコミュ障だったけども。まあそんなことはいい。うん。次に店員さんが出してくれたのはケープだった。それがまた独特で、まずは上から下まで真っ黒なのが目を引いた。初めなんだこの黒い塊と思うほどであった。しかしよくよく見てみると金色の光沢のある糸で刺繍がしてあったり、内側はキラキラとビーズなのか鉱石なのか。何かしら光るものが縫いとめられていた。ためしに羽織ってみたところ、丈は膝上ほど。さらに大きなフードをすっぽりと被ればもうこれは良くファンタジー映画で見るような怪しいヤツなこと間違いなかった。


「丈夫さと魔法付与の質で言えばこれ以上のものはないってくらいの品でして、多少値は張るものの魔法使いの方皆さまにおすすめしているんですよ。そしてこちらの面当てもつけてみてくださいませ」


「ぺ、ペストマスク!?」


「はい?」


「自分の地元だとそれの事をそう呼ぶもので……」


 そう、それはヨーロッパの歴史を勉強するときにお見かけするもの、ペスト流行時に医者が付けていたとされるそれその物の形をしていた。黒い皮製で、顔を覆うような形状をしており、口元の部分だけは鳥のくちばしのようにスッと長い。目の部分だけはゴーグルのようになっていて、前が見えるようになっているのだが……なんだこの世界。病とか流行っているのか?


「この街から出たことが無かったらわからないですよねえ。不思議な形でしょう?本来は穢れからでる瘴気を吸い込まないためのもので、剣士様とかは布当てだけで済まされるのですけども、魔法使い様は暗視だの口元を見せたくなかったり、あとお顔を隠される方もおおいからってこうなっているのですよ。まあ顔を見るだけで分析能力もちにはいろいろとみられてしまいますからねえ」


「そ、そうなんですね」


 必需品だった。しかし顔が見えていようがいまいが自分の分析能力はかたっぱしから店の外を歩いている人達に反応しっぱなしだから、あくまでも気休め程度な気もする。もしかしたら自分の分析能力が少しばかり能力としては強いのかなとかいろいろと考えてみるもまあここで答えが出るわけではない。もしかしたら分析能力もちが、持っていない人を安心させてだますためにこんな情報を流している可能性だってあるからして、おとなしくつけて目立たないようにするのが一番であるのは間違いなかった。


「街の中では怪しまれませんか?」


「いいえ?魔法使いの方そのものがなかなかお見かけしませんけども、魔法使いで旅をされている方は皆この格好ですから、特段この格好だから兵士に声をかけられるとかはありませんよ。ほら、あそこの人とか」


 店員さんが指差す先、窓の外を自分とまったく同じ格好の人がのこのこと歩いていく。ひょこひょこと歩いているその様子は少し可愛らしくもある。


「小柄ですしもう一回り小さいものの方がいいですね。ではこちらで……次は杖ですね。こちらを持ってもらってもいいですか?身長を図りたいので」


 おお、魔法の杖!とちょっとばかりテンションが上がっても仕方がない。渡されたのは自分の背よりも長くて重たい杖だった。全体的に木製でほっそりとしており、先端が鉤のように曲がっていてその曲がっている内側に赤い石がはめ込まれていた。さらにその下には金属製の飾りがぶら下がっていて、動かすたびに錫杖のようにシャランシャランと音が鳴るのがまた不思議である。


「芯には鉛が通してありますから凹みませんし、ある程度槍のように使いまわしてもらってもへし折れませんよ」


 見た目に反して重いのはそのためだろう。石突の部分も丈夫そうな金属で覆われているのもあって歩くときの支えにしても問題ないと思う。

 


 その後も手袋だの肌着だの見繕ってもらい俺は金貨1枚と銀貨8枚、まあ単純計算18万円ほどを支払って店を出た。一番高かったのがなんとあのコート。次点で杖。ギルドの紹介と言った効果かどうかは分からないが、少しばかりまけてもらったり、普段ならこういった余分のものも売るんですけどねーというボヤキを聞く限り余計な出費も抑えられたようであった。まあ自分もこれはさすがにいらないだろうと言ったものはなかったのでこの買い物に納得している。しているのだが、こんな大金をポンと出せる今の環境って実は恵まれているのではとついつい思ってしまった。お金はあるから、と元の世界でも言ってみたかったものである。

 

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