15:叫びと痛み

Na!嫌! na!嫌! na!嫌! ni all fod.そんなわけない


 ヴァニタスは、歪なほど大きい腕で頭を抱えると、頭を大きく前後に揺らした。振り乱された髪の束がそれぞれ太い鞭のようにしなって飛んでくる。

 蜘蛛たちもそれに呼応するように前脚を一斉に振り上げると次々と床を蹴ってめちゃくちゃに襲いかかってくる。

 錯乱しているからか、ヴァニタスの声は言葉になっていない。呻き声と、悲鳴の間みたいな音が部屋中に響いて、私の頭の中にもぐるぐると反響していた。


「$VgFA/t4bg」


 もう、彼女の言葉は聞き取れない。ただ憎悪と混乱が籠もっていることだけ伝わってくる。

 横殴りに私たちを襲う髪の鞭と、さっきよりは減ったとは言え髪槍がビュンビュンと飛んでくる。

 どんどん魔法陣は割れて、減っていく。


「E&&%0BplAW」


 大きく部屋が揺れた。紫色の炎を纏った髪槍が障壁に弾かれると同時に、耳をつんざくような音がした。髪の毛が逆立って皮膚が少しだけピリピリする。

 辺り一面が紫色の煙と舞い上がった黒い砂で覆われている。


「一体何が!?」


「走り続けてください」


 驚いた声を上げるラームスさんにそう伝えて周りを見る。

 僅かに見える自分たちの周囲だけでも探ろうと目を凝らして、さっきまであったはずの金色の光が見えないことに気が付いた。周りを漂っていた魔法陣が全て消えている……。

 スサーナちゃんを守る腕に力を込めながら、必死で思考を回転させる。最悪の想定ばかりが頭に浮かんでは消えて指先と頭の芯が一瞬で冷えていく。ぬめった嫌な汗が背中を伝う中で、なんとかしないと……と気ばかりが焦って上滑りしていく。


「なにか動いてます!」


 ヒュッと視界の隅で何かが動く気配がしたのと同時に、スサーナちゃんの半分悲鳴みたいな震えた声が聞こえる。

 風が唸るような音が私にも聞こえて咄嗟に視線を向ける。嫌な色の煙を突き抜けてきたのは、丸太のような太さに束ねられた髪だった。太く連なった髪はまるで鞭のようにしなりながらこちらへ向かって来る。

 カティーアと第三塔さんの姿は見えない。さっき広がった砂と煙は魔力を大量に含んでいる。たぶん、これが視界による認識も魔力による探知も無効化してるんだ……。


「絶対に止まらないでくださいね」


 スサーナちゃんに手綱を渡して、私は彼女から手を離す。青ざめた顔色をして、首を横に振ったスサーナちゃんの頬を撫でてから、自由になった両手で薔薇の花盾を自分の前に重ねて放った。けれど、髪の鞭はほとんど速度を落とさないまま花の盾を散らして近付いて来る。


「ジュジちゃん?!」


 私が激しく揺れるラームスの背に立ったと同時に、風が頬を撫でて黒と紫の混ざり合った煙が晴れた。

 ラームスの背を蹴る。近付いてくる髪鞭の前に向かって私は、自分の体を投げ出した。


「ジュジ!」


 後ろの方にいたカティーアが、私の名前を叫びながら腕を伸ばしているのがやけにゆっくり見える。

 第三塔さんの乗っている騎像獣が、縮めた両足で床を蹴ってバネみたいに跳んだのが見えた。彼は傷を治せるからたぶん、このままで大丈夫。

 歯を食いしばる。破裂音がしてお腹の真ん中が熱を持ち、直後に体を引き裂かれるみたいな猛烈な痛みが襲った。


「私が行く!」


「頼む」


 凜とした第三塔さんの声と、怒ったようなカティーアの声。痛い。熱い。霞む視界の中で走って行くラームスの後ろ姿が見える。よかった……。


「しっかりしろ……君……」


 地面に叩き付けられる前にやわらかな何かに抱き留められる。なんとか受け止めてもらえたみたい。ぐるぐると揺れる視界の中で白い髪が見える。

 息が出来ない。必死で空気を求めて口を開くけれど痛みで体が震える。血がせり上がってきて喉から水音を立てながら逆流した。

 背中を反らされて、目の前でチカチカと白い光が瞬く。焼けているように熱かった腹部は、お茶を入れたカップに手を当てているくらいの快適な温かさに変わっていく。

 スッと痛みが引いて思考が明瞭になる。


「スサーナちゃん!」


 体を起こすと、私を支えてくれていた第三塔さんが、呆れた様な顔で私を見下ろしていた。


「無事だ。君の師匠がすぐ近くへ行ったからね」


 私の肩から手を離した彼が指差した先を見ると、カティーアが第三塔さんの騎像獣を踏み台にして高く跳んだところだった。

 彼は、ラームスの背に跨がるとを、スサーナちゃんに覆い被さるように座りながら、自分たちを狙って飛んでくる髪槍や蜘蛛を一直線に放った炎を振り回して焼き尽くしていく。


「治療、ありがとうございます」


 立ち上がって、カティーアの元へ向かおうとする私の肩を第三塔さんの大きくて綺麗な手がそっと引いた。

 振り返ると、眉を寄せた彼がとてもきれいな顔を顰めながら大きく溜息を吐いた。


「私の治療を宛にして飛び出しただろう?」


 足元に滑り込むように戻ってきた騎像獣にまたがりながら、第三塔さんは呆れたような表情を浮かべた。

 ぎくりとしながら、曖昧に微笑むと、彼は眉間に深い皺を寄せる。


「治療というものは自分を粗末にするためのものではないからね」


「……はい。気をつけます」


 ふわりと空へ浮いた第三塔さんに頭を下げる。頷きながら、彼は騎像獣で空を駆けると片手を翳した。彼の周りには光の欠片が幾つも浮かんで、周りの蜘蛛や髪槍を一掃していく。

 カティーアへ目を向ける。守りながら戦うことは苦手な彼だから、速めに役割を変わらないと……。そんなことを考えながら目の前に大きく聳えているヴァニタスを見た。

 相変わらず、言葉を失っている彼女は意味不明な叫び声を上げて荒れ狂っている。


「$98EypbNk5rW?Rc」


 丸太みたいに太く連ねられた髪の毛が勢いよくカティーアたちを目がけて振り下ろされる。横へ飛び退いたラームスの後ろ肢を地面に張っていた髪が掴み、蜘蛛が糸を吐くのが見えた。

 険しい表情を浮かべたままのカティーアが右腕でスサーナちゃんを支えて、器用に左腕を横に払うような仕草をすると、炎がラームスの足元に広がって髪の毛と蜘蛛を焼き払った。左右からカティーアたちを挟むように押し寄せてきた髪の壁を第三塔さんの光の欠片が切り裂いて砕いていく。

 一瞬も気が抜けない。紙一重でその場を凌いで致命傷を避けているけれど、その代わり全然前に進めそうもない。

 私が道を作らなきゃ。お腹に穴が開いて、それが治ってからやけに体が軽い。ヴァニタスの叫び声を聞いても体が重くならない。


 何かに導かれるように、勝手に体が動く。嫌では無い。すべきことを、体の中にいるもう一人の誰かが教えてくれるみたいな感覚。

 私の腕は、髪を括っていた紐を解いた。肩当りにパタパタと音を立てて落ちる髪を指で摘まんで、数本を引き抜いてしゃがみ込む。


Mae私の llwybrau愛しい茨よ、drain暗い夜 i fodを切り i dorri裂きなが trwy'rら進む nos術を dywyll与えよ


 自分の髪を絡めた手で床に触れると、その場所から深い森の色をした光が勢いよくあふれ出した。

 髪が風に靡いて首筋が涼しくなる。渦巻く髪の下にある石床が、薄い木の板みたいに音を立てて割れていく。

 ヒビから生えてきたのは太い茨のツルだった。まるで大木みたいな太さのツルは、私がしゃがみこんだ場所からヴァニタスの胸部分にまでまっすぐに伸びて、彼女の体を穿つ。


「跳べ!」


 カティーアの大きな声を合図にして、床を蹴って跳ねたラームスが、私の作った茨の道へ飛び乗った。


「yzG?@wcV%!?B」


 叫び声を上げたヴァニタスが両手で腹部に刺さっている茨を掴んだ。長い爪が茨の表面に穴を空けて食い込んでいく。

 彼女の腕を補強するように巻き付いていた髪の毛が解かれて、茨の道に巻き付きはじめた。ミシミシと音を立てながら軋む道を、ラームスは止まることなく駆けていく。

 もうすぐ……もうすぐ鳩尾に届く……。


「第三塔!」


 カティーアが、振り向いて騎像獣に乗って少し後ろから並走していた第三塔さんの名前を大きな声で呼んだ。

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