14:破滅の待つ園
立ち上がったラームスが、大きく頭を振って、それから、前脚の蹄で地面を二回蹴りつける。
草が生い茂っていた地面が抉れて、じわじわと黒い砂が染み出てきた。
「
直接触れているからか、言葉の意味が伝わってくる。
温かい力が流れ込んできて、花畑が黒い髪に覆われて壊れて崩壊していく景色とは逆に、心がだんだん落ち着いてくる。
夢が終わる。彼の作っていた小さな楽園。
青くどこまでも広がっていた空は、夜が蓋を被せたみたいに暗くなる。
円形に浮かんだ輪郭の中心に、紫色をした光が徐々に灯っていく。それは、まるで蕾が花開くようにも見えた。
足元が大きく揺れて、草地が漆黒に染まる。いつのまにか私たちの足元をヴァニタスの髪が、のたのたと這いずり回っていた。
円蓋状の天井からさらさらと下りてきた黒髪の帳はあっというまに私たちを円形の空間に閉じ込めた。その壁には扉も、窓も存在していない。
「
おどろおどろしい声が響いてくる。
ヴァニタスの声。ラームスと繋がっているからかな? 彼女の言葉がわかるようになっている。
長い髪を振り乱す姿をした天井近くまで背丈のある異形の姿が少しずつ部屋の灯りに照らし出される。
開いた両目には、紫色の炎が爛々と燃えていた。
「
ヴァニタスの髪の毛がざわざわと波打つ。私たちを取り囲んでいるたくさんの髪槍は、蛇が警戒して首を持ち上げるみたいな形をしながら、切っ先をこちらへ向けている。
「
叫ぶようなヴァニタスの声。
助けたかった? どういうこと? 記憶の混在?
考える暇はない。ヴァニタスの髪槍が放射線を描きながら私たちを狙って伸びてくる。
ラームスの手綱をグッと引く。
「「
第三塔さんとカティーアが同時に声を上げて、ラームスは弾かれたように走り出す。
金色に光る魔法陣が私たちの周りを取り囲むように浮かんで、バチバチと髪槍が当たる度に青い閃光を放つ。
「
嘲るように笑うヴァニタスの髪槍がまた弾ける。青い閃光を放った魔法陣は薄氷を踏んだときのような音を立てて真ん中から割れた。
頭を下げて、スサーナちゃんに覆い被さるようにして私は手綱を短く持つ。
「
手が震える。体が重くなる。
彼女の言葉が、直接体に叩き込まれるみたい。
カティーアが、地面を踏みしめる音がした。目が彼を追う。宙に浮いた彼の体にヴァニタスの髪槍が集中して集まってくる。
手綱を放さないまま、私は声を発していた。
「
知らないはずの言葉を唇が勝手に発する。
両腕に炎を纏ったカティーアの足元に大きな薔薇の花が浮かび上がった。ニヤリと笑ったカティーアがそれを足場にして体勢を変えると自分に向かって飛んでくる髪槍を、腕で凪いで一掃する。
彼は着地すること無く、新たに現れた薔薇の花を踏み台にして、走っている私たちの真上に来ると両腕を前に突き出して炎の渦を放った。
進行方向を塞いでいた髪槍は焼き尽くされて道が出来る。
「おどろいたよ。君も
「私の意思とは無関係に出るんです」
こんなときだって言うのに、ラームスは穏やかな口調でそう話しかけてきた。それに対して、私はかぶりを振りながら「話せる」ということを否定する。
自由に
着地したカティーアの背中を、私たちを乗せたラームスは通り過ぎていく。
「
怒ったように両腕を高く持ち上げたヴァニタスが叫ぶ。空気がビリビリして耳が痛んだ。スサーナちゃんの体が強ばるのがわかる。
「大丈夫です……」
「しっかり、掴まっていてくださいね」
スサーナちゃんが、私の顔をチラリと見て唇を噛みしめる。うまく笑えているかわからないけれど、私はなるべく落ち着いた声で、彼女を励ました。
本当は体も重いし、気持ちも重い。まるで体の内側に重りを着けられて見えない穴の底へ引っ張られているみたい。
キシキシと嫌な音が聞こえた。視線をチラリと向けると、床から這い出てきた大きな黒い蜘蛛が部屋中にひしめいている。
何かを投げた第三塔さんの足元に、金属に覆われたような質感の騎像獣が体を滑り込ませた。大きなヤマネコにも見える騎像獣にまたがった彼は空中に幾つかの魔法陣を描きながら宙を駆ける。
飛んでいった魔法陣は幾つかの小さな光の欠片に変化して、蜘蛛たちの手足を切り付けた。黒い砂をぼろぼろと零しながら、蜘蛛たちの悲鳴みたいな甲高い音が次々と響く。
バチンと音がして、また青い閃光が辺りを照らした。乾いた音と共に魔法陣が幾つか割れて消えていく。
眉を顰めた第三塔さんが、再び魔法陣を描いて、指で私たちの方を指し示す。新たな金色の光が幾つもこちらへ飛んできて、周りをくるくると回り始めた。
「
駄々をこねるみたいな声。耳が痛い。
蜘蛛はカティーアと第三塔さんが押さえてくれているからか、ほとんど視界に入って来ない。時折、視界の外から進行方向へ吐かれる白い粘着性の高そうな糸は、第三塔さんの放つ魔法陣で砕かれたり、カティーアの炎ですぐに焼き払われるし、排除しきれない蜘蛛の糸は、ラームスが器用に飛び越えて避けてくれる。
ヴァニタスの髪槍が私たちの側を掠るけれど、障壁が変わったのか、今度は一撃で魔法陣が消されることはなくなった。
それでも、短い間に髪槍が同じ魔法陣に当たると、パリンという音を立てて魔法陣は消えていく。手綱を握るスサーナちゃんの手に自分の手を重ねた。少し震えながらも、彼女は悲鳴一つ漏らさない。
スサーナちゃんのお腹に回している手に力を入れて、私はひたすら前を見る。少しずつだけど進んでいる。もう少しで、ヴァニタスの懐へ入れる……。
「
彼女の声と共に、雨のように絶え間なく飛んできた髪槍の数が減った。
シャンデリアから漏れる紫の炎が遮られて、私たちの上に影が差す。上を見ると、ヴァニタスの歪に捻れた右手が私たち目がけてゆっくりと下降してきていた。
「私の大切なヴァニタス、魂を喰らっても君は救われない。もうやめないか?」
とうとう声を上げたラームスの言葉を聞いたヴァニタスが、耳まで裂けている口を大きく開いて癇癪を起こしたように叫ぶ。
「
熱風が髪を撫でて、赤い光が影を照らす。
カティーアが放った火球が私たちの真上に広がり、ヴァニタスの右掌には私たちが通れるくらいの穴が出来た。
ずしんという音と共に、彼女の掌が床に押しつけられるけれど、穴のおかげで私たちは難を逃れた。ラームスが地面を蹴って、彼女の腕の上を走り出す。
「
「わたしは
彼女の肘辺りに立ち止まり、そう叫んだラームスの声を聞いて、左腕を持ち上げていたヴァニタスの動きが止まる。
彼女の双眸で燃えている紫色の炎が少しだけ勢いを弱めた。
「止まるな! 走れ!」
カティーアの声が響くと、ヴァニタスの口から絹を裂くような悲鳴が放たれる。ビリビリと部屋を揺らす音に一瞬だけ私の思考が囚われる。
スサーナちゃんが、私の代わりに手綱を思いっきり引いてくれた。ラームスが彼女の腕から飛び降りた直後に、両腕がめちゃくちゃに暴れて広間の壁や床を爪が抉っていく。
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