13:懐旧と幻想

「大丈夫なんでしょうか」


 小包の中にある最後のアマレッティを口に放り込んでから、スサーナちゃんがカティーアたちの方へ視線を向ける。

 花畑の太陽はずっと高い位置から動かない。時間の感覚が麻痺してきているから正確にはわからないけれど、たぶん結構な時間が経っているはずだ。

 カティーアたちは、まだ話が終わりそうもない。

 鶴革の袋コルボルドから出したであろう様々な物品が花畑の上に並んでいる。

 時々、第三塔さんが道具を手に取ってカティーアへ何かを話している。少し冷たい視線を送ったり、カティーアが大袈裟な手振りをしたりしてなんだか盛り上がっているみたい。

 最初はどうなることかと思っていたけれど、険悪なままじゃなくてよかった。……まあ、あの様子だとまだこちらへ来るまでに時間はかかるのだろうけど……。


「もう少し、待つことになりそうですね」


 しばらく遠くの二人を見ていたけれど、やけに隣が静かだったので、ふとスサーナちゃんへ視線を戻す。自分の胸に手を当てて、目を伏せながら深呼吸をしていた。

 驚いた私は、彼女の薄い肩にそっと触れて顔を覗き込む。

 慌てて目を丸く見開いたスサーナちゃんは、私と目が合うと「あ、わ……すみません」と言って、顔の横で手をぱたぱたと仰いだ。


「その、なんだか大役を任されてしまったような気がして、ちょっと落ち着こうと思って……」


 少しだけ間を空けて、彼女はぽつりと話し出す。


「ああ……カティーアったら、ほぼ無理矢理スサーナちゃんに頷かせたから」


 そっと黒い絹糸みたいに手触りの良い髪に指を通す。

 カティーアは、多分本当のことも言っていないけれど、嘘も言わない。そういうところが本当にズルいと思う。

 いきなり浄化をしろと言われても、魔法を使えないらしいスサーナちゃんは困るっていうのは知っていた。でも、止められなかった。

 よくわからないけれど、カティーアが感じていた直感のようなものが、私にもあったから。


「スサーナちゃん」


 名前を呼んで、彼女の白くて細い指にそっと触れる。冷たい指先を包むように彼女の手を握って笑いかけた。


「スサーナちゃんは、私がしっかり守ります。だから、二人でケガをしないようにがんばりましょう」


 もう一度、何かお菓子でも出せたらいいのだけれど。目の前のスサーナちゃんを元気付けるための上手い方法はないかな……。

 少し考えてから、最初にこの花畑に来たときのことを思い出す。そういえば……彼女は花の魔法を見て、とてもよろこんでくれたっけ。


「ふふ……スサーナちゃんが元気になる魔法をかけましょう」


 彼女から手を離して、両手で水を掬うような形を作る。

 湧き水のように次々と湧き出てきた小さな薔薇の花は、私の両手からこぼれ落ちる。スサーナちゃんは、自分のスカートへ落ちてくる薔薇を眺めて不思議そうに首を傾げた。

 さっき見せたものとほぼ同じだから、そこまで大きな反応は求めていない。だって、本番はこれから始まるんだから。


「うまく出来るか、わからないですけど」


 力を込めて、心の中で願う。

 昔見た、魔法の光が揺れる様子や、飛ぶ妖精達の姿を思い出す。

 私の両手から湧いてきた薔薇色の光が、スサーナちゃんのスカートの上に広がっている小さな花たちに纏わり付いてく。


「わあ」


 零れ落ちた薔薇が逆さになって浮かび上がっていくと、スサーナちゃんは少し驚いたように背中を反らせて声を上げた。花の本来なら茎が生えているはずの辺りから、薄い薔薇色の光が生えていく。下を向いている花の部分からも二本の細い光が伸びて、薔薇の花はあっというまに少女に似た形に変化した。

 背中から蜉蝣のような翅を伸ばした少女の形をした光達は、花弁と同じ色の鱗粉を振りまきながらふわりと飛ぶ。


「魔法! 幻想ファンタジーって感じの魔法だ……すごい」


 薔薇の花弁をスカートのようにひらめかせ、輪を作りながらさえずるような声で唄う薔薇の妖精私の分身たちを見たスサーナちゃんが、小さな拍手をしてキラキラと目を輝かせる。

 少しだけ元気付けられたかな?

 キャッキャと笑いながらスサーナちゃんの周りを飛ぶ妖精達が、花弁を雨みたいに降らせて彼女の頬に優しく触れたり、肩の上で一休みをしたり、それなりに自由に振る舞う。カティーアと知り合って間もない頃、長く家を空けた後にこうやって魔法で小人や動物を作って見せてくれたのを真似してみた。初めてやってみたけれど、なんとかうまくいったみたい。


「懐かしいな」


 背後からカティーアの声が聞こえたので、慌てて振り返った。いつのまにか私たちの背後に立っている彼の後ろからは、少し遅れて東屋ガゼボへ入ってきた第三塔さんが顔を覗かせる。ラームスの姿は見えない。

 どこかへ行ったのかな? と聞こうとしたけれど、ソレより先にカティーアが口を開いた。


「寂しそうな顔をしてるお前を元気付けたくて、俺も似たようなことをしたっけな」


 優しい声色で昔を懐かしむように言いながら、彼はそっと右手の人差し指を立てた。

 青い光の粒が、数本の筋を作りながらカティーアの指に纏わり付いたと思ったら、彼の指先に透明な水が集まってくる。水が白翼馬ペガサスの形になると、漂っていた青い光が目の位置に吸い込まれていった。本物の馬みたいに嘶いた水製の白翼馬ペガサスは、彼の指先から飛び立って空を駆ける。私の鼻先を通り越して、スサーナちゃんの目の前まで駆けた白翼馬ペガサスの瞳が赤く変化すると、馬の形をした水は急に橙の火を放ち始めて炎で来た小鳥の姿に変わった。

 炎の小鳥、稲光を纏いながら踊る獅子、翅が花弁になった蝶と次々に姿を変えていく魔法は、私とスサーナちゃんの周りを活き活きと駆け巡り、最後に銀色の光を放って流れ星みたいに消えてしまう。


「翼の生えた馬……すごく綺麗です! これ、全部そちらの世界に実在は……しないですよね?」


 感嘆の溜息を漏らしながら、拍手をしたスサーナちゃんが、私とカティーアの顔を見ながら尋ねてくる。

 そういえば、彼女たちの世界には翅を生やした少女という妖精は認知されていないみたいだった。近いようで違う世界。とても不思議。


白翼馬ペガサスは、森の奥へ行けば……たまに見かけます。鷲獅子グリフォンも生息地が近いので、少し危険ですが」


「一応、魔獣という分類になるからな。捕獲や飼育は原則禁止されているが……」


 白翼馬ペガサス鷲獅子グリフォンも、見たことはあるけれど、実際にどんな生物なのかはしっかり観察したことはない。

 曖昧な記憶を元にして話すのが不安で、助けを求めるように彼へ目を向ける。思った通り、カティーアは私の話を補足してくれた。


「実在するんですね! わあ……すごいなあ……」


「翼が生えていると……何か意味が?」


 静かに話を聞いていた第三塔さんが、真面目な顔をして口を開く。

 冗談でもないと思うけれど、スサーナちゃんたち世界には、白翼馬ペガサスはいないのかな。


「翼の生えている生き物は可愛いです」


「……バッタの羽が生えた魔獣はいるが」


 至極当然というような淡々とした口調で第三塔さんが、スサーナちゃんに応える。けれど、スサーナちゃんの表情は芳しくない。


「それは可愛くないです。あ……うさぎとかねこみたいな哺乳類要素があるのなら……」


「山羊の胴体にバッタの羽と足がついて頭が猿……」


「最後まで言わなくてもいいです」


 想像をしてしまった。バッタの羽と脚はなるべくなら大きなものは見たくない。思わず眉間に皺を寄せた私を見て、スサーナちゃんが首を左右に振りながら第三塔さんの言葉を遮った。

 口元に手を当てて「ふむ」と言いながらも、第三塔さんはどこか納得の行かない表情を浮かべている。


「……バッタの羽と脚……羊……」


 カティーアがぼそっと呟いていたのを聞いて、そっと彼の手元へ目を向けた。彼の指先にふわふわと浮いた橙の光がうねうねと何かの形を作ろうとしている。


「この生物は多分、可愛いというよりも悍ましいとか、禍々しいという言葉が適切だと思います」


「私もそう思います……」


 楕円形の胴体から伸びた細い首、そして先端に丸っこい頭の生物に、バッタの後ろ脚が突き刺されたような生物を見て、私は素直な感想を口にしてしまった。

 私の横からカティーアの手元を覗き込んだスサーナちゃんも眉を顰めながら頷いて、一歩後ろへ下がる。


「頭部の猿はもっと鼻がひしゃげている」


「……前脚を蟷螂にするのはどうだ?」


「ダメです」


 後ろから顔を覗かせた第三塔さんのアドバイスと、カティーアの創意工夫を一刀両断する。第三塔さんが「ふむ」と頷きながらカティーアへ目を向ける。


「どちらの世界でも、女心というのは難しいものだな」


 蠢かせていた光を手で握りつぶしたカティーアは、第三塔さんの顔を見上げながら溜息を吐く。

 女心とかそういう問題でもないと思うのだけれど……。


「わたしの方も準備は整えてきたよ」


 地面から湧き出てくるみたいに、なんの気配もさせずに私たちの前に現れたラームスは、穏やかな口調で述べると、体に橙色の光を纏う。


「此所以外の結界を全て閉じてきた。魂の残滓とはいえ、これでもう少しまともに動けるだろう」


「残滓でここまで自由に動けることが恐怖なんだがなぁ……神ってやつは元だろうがなんだろうが規格外だから困る」


 膝に手を当てて屈伸をするカティーアが、皮肉交じりにそう言っている間に、ラームスの体は小さな馬くらいの大きさに膨らんだ。

 驚いていると、ラームスがしゃがみ込んだ。私が彼の背に跨がると、第三塔さんが、スサーナちゃんの両脇の下に手を入れて、軽々と彼女を抱き上げる。

 私の前にスサーナちゃんを置いてから、第三塔さんは一歩後ろへ下がった。じっと私たちを見た後に、カティーアに何かを耳打ちしている。


隣人妖精たちは気が利かない」


 文句をいいながら、カティーアが鶴革の袋コルボルドから取りだしたのは植物のツルで編まれた縄だった。

 緑色の細い縄をラームスの首と両耳に潜らせる。

 余った縄の部分の端を繋いで結ぶと、あっと言う間に簡易的な手綱を作ってしまった。


「さてと……神様に貸しでも作ってやるとするか」


 カティーアがそう言って私たちから離れる。胸が緊張で張り裂けそうになる。

 片手でスサーナちゃんの腰をギュッと掴みながら、もう片方の手で手綱を握ると、ラームスがゆっくりと立ち上がった。

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