12:頼み事と甘い誘惑

「……なあ、スサーナ」


「ぴゃ……わたしですか」


 しゃがみ込んだ彼が、私とスサーナちゃんとの間に割り込むように入ると、私たちの肩に手を回して囁くように話す。

 まるで、悪いことを唆すみたいな態度をする彼を、ちょっとだけ眉をひそめて睨む。けれど、カティーアは動じない。


「これは完全な勘で根拠なんてないんだが、俺には君が適任に見えるんだ」


 スサーナちゃんは、眉尻を下げて目を泳がせる。


「きっと、君なら大丈夫。頼まれてくれると嬉しいんだが……」


 足早に近付いて来た第三塔さんが、カティーアの肩に手を置いて軽く引く。


「仕立屋で生まれ育った普通の子供だ。そんな危険な目に合わせるわけには……」


 彼は、スサーナちゃんの肩から腕を退けて、胡乱なものを見るような視線を自分に送る第三塔さんを見上げた。相変わらず胡散臭いほどの優しい笑顔を浮かべているのがすごく怪しい。

 酷いことをしないというのは信じてる。スサーナちゃんはいい子だし、彼も小さな女の子を酷い目に遭わせることは嫌がるはずだ。少なくとも、私が見ている場所では……。


「まあ、待ってくれって。俺だって、巨大蜘蛛や、髪の化物と対峙しても泣きわめかないを危険な場所へ放り込みたいわけじゃない」


 含みを持たせた言い方をしたカティーアは、薄い唇の片側を持ち上げてニヤリと笑うと、第三塔さんの虹色の光りが揺らめく貴蛋白石オパール色の瞳を見つめる。


「決めるのは……彼女自身だろ?」


 第三塔さんから目を逸らしたカティーアが、再びスサーナちゃんへ目を向けた。

 ひんやりとした空気が一瞬だけ私の頬を撫でて、ふと冷気が漂ってくる場所を見る。

 何かと思ったら、カティーアの手には氷で出来た綺麗な白鞠葛バーベナが一輪握られていた。

 彼は魔法で作った花の茎をパキリと指だけで折ると、花の部分をブローチみたいにスサーナちゃんの胸元へ飾って微笑む。


「無理でも、この贈り物対価は返さなくて良い。無茶な頼みをする。断っても構わないよ」


 微笑んだまま、彼はスサーナちゃんに囁くような声で話しかける。優しくて、柔らかい少し掠れた声。


「俺の大切な人と一緒にヴァニタスの元へ向かって欲しい」


「は?」


 声を上げたのは、スサーナちゃんではなく、第三塔さんだった。

 眉を寄せて、すごく嫌そうな顔をしている彼を無視して、カティーアは胡散臭いと思えるほど優しそうな笑顔を浮かべたまま、スサーナちゃんの目を見つめている。


「痛いとか苦しいとかめちゃくちゃな気持ちが作った底なし沼に、黒い髪の女の子が溺れているのを想像してごらん。それが魔女だ。ジュジが溺れている可哀想な魔女を助けるから、君に手助けをして欲しい」


 一方的にまくし立てながらカティーアは、宵闇色の彼女の瞳を見つめ続ける。

 と彼は言った。でも、私だって浄化が得意なわけじゃない。多分、スサーナちゃんに手伝ってと言っているけれど、浄化の役割を彼女に任せるつもりなんだろうな……と思った。

 嘘では無いけれど本当でもない。否定するには材料が足りない。だから、スサーナちゃんに助け船を出せないまま、私は二人を見守るしかできない。


「……手伝いが出来るかはわかりませんが、私に出来ることがあるなら」


 スサーナちゃんが、悩んだ末に口を開いた。氷で作られた花のブローチをそっと人差し指で撫でて、キュッと唇を結んだ彼女は首を縦に振る。

 眉を顰めたままの第三塔さんが、呆れた様な表情を浮かべてスサーナちゃんの肩に手を置いた。


「君は……」


 第三塔さんに声をかけられると、スサーナちゃんは怒られた仔猫のように小さく首を竦めて、ゆっくりと第三塔さんの顔を見上げる。


「そう怒るなよ魔術師保護者殿。あんたのそばにいたり、一人でどこかに隠れるよりもジュジといた方が安全だ。そうだろ?」


 振り返ったカティーアに言われて、第三塔さんは口を噤んだ。不満そうな表情のまま、スサーナちゃんとカティーアの顔を交互に見てから、目を閉じると額に手を当ててから下を向く。


「それは……」


「ヴァニタスと対峙する時、俺とあんたは囮役だ。手足が切り落とされても平気な俺といた方が楽だと思うぞ」


 口ごもる第三塔さんに、カティーアは犬歯を見せて意地悪そうな笑みを浮かべる。


「あんたが己に枷を嵌めて楽しむ趣味があるというのなら、止めはしないが」


 挑発的な物言いをするカティーアに、第三塔さんが顔を僅かに顰める。何か言おうとして、一度口を開いたのを躊躇って、口元に手を当てた彼はもう一度私とスサーナちゃんに目を向けた。

 第三塔さんと目が合い、ドキリとする。


「……仕方ない。あの子のことは任せる」


 渋々……と言った様子で頷いた第三塔さんの肩を彼は軽く叩くと、クックと息を漏らすように笑った。

 小さな命を任されてしまった……と少しだけプレッシャーを感じながら、唇を噛みしめる。

 私はカティーアと違って不死ではない。でも、きっと私は普通の人間よりは死ににくいはず。だから、まだ子供のスサーナちゃんが痛い思いをしたり、傷付くよりは……いざとなったら自分を盾にして彼女を守ろう。

 私が死ななければ、怪我だけで済むのならそれが一番よい方法のはずだ。

 カティーアの悲しむ顔を想像しないようにしながら、静かに決意をする。それから、こんな決意をしていることがバレませんように。


「……まあ、過保護になる気持ちもわかる。人間は脆いし、簡単に死ぬ」


 急に真面目な表情になったカティーアが私の方を見る。目が合うと、にこりと笑ってくれたけれど、さっき考えていることが漏れてしまった気がして僅かに胸が痛む。

 私は彼とちがってすごいことは何も出来ない。出来ることはなんでもしないと……。スサーナちゃんと繋いでいる手に少しだけ力を込めて、彼女を任せると言ってくれた第三塔さんの方へ歩を進めた。


「あの……私では頼りないと思うのはわかります。でも、しっかりスサーナちゃんのことは守るので……」


「ああ、すまなかった。君を頼りないと思ったから、ああ言ったわけではない」


 第三塔さんに意を決して声をかけたけれど、彼の言葉は予想外のものだった。眉尻を僅かに下げて、柔らかい表情を浮かべた第三塔さんと目が合う。


「ジュジちゃんと一緒なら、怖くないです」


 私の手を引いたスサーナちゃんが、笑顔を向けてくれる。

 華奢な指と、吹けば飛んでしまいそうな薄い体。護符があるけれど、それを無効化する何かがあるかもしれない。だから、なるべく被弾を避けれるようにがんばろう。

 暗くなりそうな気持ちを振り払うように頭を軽く左右に振ってから、スサーナちゃんに笑いかける。


「ありがとうございます」


 カティーアが、お礼を言って頭を下げた私の肩にそっと腕を回してから、第三塔さんを見上げた。


「こっちの世界での魔術ってのは、下準備や道具を使うことが多いんだが……それはそっちの世界でも同じか?」


「確かに術式具や護符の準備があれば可能になることも増える。しかし……設備がない状況では……」


 第三塔さんの答えを聞いたカティーアは、私の肩から手を退けると、ローブに手を入れて懐をごそごそと探るように動かす。

 何かが見つかったのか、ニヤリと笑ったカティーアがローブの内側から手を出した。取りだしたのは、彼の胸元から腰までの長さがある赤い革袋。

 第三塔さんとスサーナちゃんは、一見何の変哲も無い革袋を見て、首を傾げた。


「俺に考えがある」


 彼が持っているのは鶴革の袋コルボルド。遙か昔、常若の国妖精界から持ち帰ってきた不思議な袋。

 生きている生物以外はどんなものでも入るし、入れたものをいつでも取り出すことが出来るとても便利な革袋だ。


「考えというのは……」


 第三塔さんの言葉を片手を上げて制したカティーアが、私たちを見た。


「ああ、ジュジとスサーナの二人は東屋ガゼボで座って待っていると良い。きっとお前らには退屈な話をするだろうからな」


 鶴革の袋コルボルドを腕にかけるようにして持ったカティーアが私の頬を突きながらそう言った。


「私たちだって話を聞きたいです」

「そうです!」


 なんとなく子供扱いされた気がして、反射的に言い返す。

 私が身を乗り出してカティーアに抗議をすると、スサーナちゃんもそれに続いてくれた。

 私とカティーアが同時に、小さく溜息を吐いて半目になっている第三塔さんを見る。


魔術師保護者殿、どう思う?」


「そうだな……。君に賛成しておこう」


 カティーアに見上げられた第三塔さんは、カティーアの方に歩いて行くと、呆れた様な表情を浮かべながら私たちに目を向けた。


「スサーナちゃんに聞かせられないような話があるのなら、私がその間席を外すのは構いませんけど……」


 もう私だって成人16歳になってから二年も経っている。血なまぐさい話を聞いたって幻滅したり、退屈だなんて思わない。

 大人だから、ちゃんと小さな子の面倒を見るために融通を効かせることだってできる。でも、仲間はずれにされたり、子供扱いされるのは嫌だなって思う。


「へえ……」


 へらりと力を抜いて笑ったカティーアに嫌な予感を覚えながらも、私は言葉を続けようとした。

 すっと視線の端を何かが動く。カティーアが腕を伸ばして、そっと私の手首を掴んだ。彼は、私を自分の方へ引き寄せる。グイッと腰を抱き寄せられながら、彼の顔が私の顔の横にぴったりとくっついた。


「お前が聞きたいのなら……」


 カティーアの吐息が耳に当たる。少し掠れた彼の声が、頭の中をざらりと撫でたような気がして、反発する気持ちが削がれてしまう。


「今でも後でもたっぷり魔石駆動設計の機器について講釈をしてやってもいいんだが……」


 以前、魔力を込めた魔石を原動力にして動く船について延々と話された記憶がフラッシュバックしてきた。咄嗟に彼の胸に手を当てて思い切り伸ばして、体を離す。

 カティーアは意地悪な笑顔を浮かべたまま、顔の横で手をひらひらと振っている。


「スサーナちゃん、私には耐えられない話から逃げたいので一緒にあちらへ行ってくれませんか?」


 しゃがみ込んで、スサーナちゃんと目を合わせる。戸惑った表情をしながらもスサーナちゃんは優しく首を縦に振ってくれた。


「ククク……いい子にはご褒美をくれてやらなきゃなあ」


 カティーアが、鶴革の袋コルボルドに手を入れて、スサーナちゃんの胸元に向かって何かを投げた。大きな葉で包まれた小包だ。……なんだろう。


「開けてごらん」


 スサーナちゃんは、カティーアの言葉通りに小包を開いた。さっきまで少しだけ残念そうだった彼女の表情がパッと輝いた。


「まかろん!」


 そう叫んだスサーナちゃんは、小包の中にあったソレを取りだして目線の高さまで持ち上げる。


「アマレッティ!」


 私も思わず声を上げた。コインよりも一回り大きい半円形の生地を二つ合わせたお菓子。生地と生地の間には、白いものが挟まれてきて、花とも、果実とも、蜂蜜とも違う独特の甘い香りが漂ってくる。


「しかも生クリームが挟んである! 前はアレが最後だって言ってたじゃないですかー!」


 スサーナちゃんが持っている小包を覗き込んだ。中にはピンクや茶色、黄色といった様々な色の焼き菓子が詰まっている。

 生地に甘い葡萄酒を練り込んであるものや、ジャムを挟んでいるものはよくあるけれど、生クリームが挟んであったり、生地にフルーツが練り込んであるものは冬にしか売られない。生クリームを挟むアマレッティは、異界から伝わってきた食べ方らしい。

 冬でも滅多に売られていないため、どこかで売られている噂を聞くと、カティーアがわざわざ転移魔法を使って買いに行く。それくらい私もカティーアも好きなお菓子だった。

 先日買ってきたものは、既に食べてしまった。そう思っていたのに……。


「此所は虚ろと夢の世界の狭間。あると信じれば鶴革の袋コルボルドはそれに応じる。まぁ、難しいことは置いといて、のんびりお嬢さん同士でお茶会でもして待っていてくれ」


「ばにらのかおりがする……」


 真剣にアマレッティを眺めているスサーナちゃんの手を引いて、私たちは東屋ガゼボへ向かった。

 お茶会と言われたけれど、お茶はない。贅沢を言っても仕方ないけれど、ちょっと残念。

 二人で長椅子に腰を下ろすと、早速スサーナちゃんが赤いアマレッティを摘まんで口に放り込んだ。


「美味しいです……。バニラの香りと苺の王道な組み合わせにまた出会えるなんて……」


 両頬を手で押さえながら目を瞑ったスサーナちゃんは、お菓子の味を噛みしめながらそう呟いた。彼女の背後には、ラームスとカティーア、そして第三塔さんが向かい合いながら鶴革の袋コルボルドから取りだした小さな道具を見て何か話し合っている姿が見える。


「私も食べようっと!」


 今は体と心を休める時間だと思って、ゆっくりしよう。私は、スサーナちゃんが膝の上に置いている小包から赤茶色のアマレッティを取ると口に放り込んだ。

 紅茶の香りと、生クリームの甘みを感じが口いっぱいに広がって頬が綻ぶ。

 幸せな気持ちになりながら、私たちはお互いの世界で食べた料理のこと、美味しいお菓子のことを話して時間を潰すことにした。

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