11:終わることのない苦痛


「改めて自己紹介をしておこう。俺はカティーア。魔法を使う」


 カティーアはそう言って自分の両腕を広げた。


「さっき見たから察しているかも知れないが、俺は死ぬことが出来ない」


 黒い革籠手ガントレットを着けた左手を、これ見よがしにひらひらとさせて、カティーアが「ふっ」と息を漏らすように短く笑う。


「第三塔だ」


「妙な名だな。偽名か?」


「我々の存在していた場所では私はそう呼ばれる。識別名としてそちらの概念にそぐわないだろうか?」


 第三塔さんの話を聞いたカティーアが「そういうわけじゃないが……」と言って、口の端を持ち上げる。興味ありげに身を乗り出した彼をスッと躱した第三塔さんは、ゆっくりとこちらへ歩いてきた。

 スサーナちゃんと共に、私は第三塔さんを見上げる。


「わ……」


 彼が急に腰を屈めたものだから、第三塔さんのきれいな顔がすぐ目の前に近付いて来て驚いてしまう。


「それと……君に傷を負わせたことも、謝ろう。鳥の民ならば治癒の術があるだろうとふんでいたのだが……勘違いだったようだ。すまないことをした」


「あわ……私の実力不足なだけです。謝っていただく必要は」


 僅かに体を後ろへ反らせた私に、彼は目を伏せて申し訳なさそうな表情を浮かべ、静かな声で話す。ふわりと知らない甘い花の香りが漂ってくるとても美しい人は、白い髪に浮かぶ虹色の燐光も含めて神秘的で、本当に何も知らなければ精霊とかそういう類いの存在なんだと思ってしまいそう。


「お詫びと言ってなんだが……傷は私が治そう」


 視線を上げた第三塔さんが、私の頬にそっと触れた。まだ、触ったり表情を動かしたりするだけでも引きつるような違和感と痛みがあったはずなのに、痛みが急に消えた。

 頬を触ってみる。痛くない。手と足にも目を向けた。確かにあったはずの傷は、綺麗に癒えていてどこに傷があったのかすらわからない。


「え……わ。そ、そこまでしていただくなんて……」


「私は、医療に関する魔術が得意でね。異なる世界の君に治療が通じるかどうか試す側面もあった……といえば、君は気にしないだろうか?」


 顔をあげると、ふっと目を細めた第三塔さんと目が合う。

 ああ、笑うと更に綺麗な人だな……と思ってから、お礼を言いそびれていたことに気が付いた。


「あの、ありがとうございます」


 慌てて頭を下げて、感謝の気持ちを伝えると、第三塔さんは僅かに口角を持ち上げながら視線を横へ向ける。


「これであの子も安心することだろう」


 そう言って私から第三塔さんが離れていくと、スサーナちゃんが私の腰元に腕を回して、お腹当たりに顔をむぎゅっと埋めた。

 すぐに顔をあげた彼女は、嬉しそうに私の顔を見てパッと花が咲いたように明るく笑う。


「本当によかったです! 綺麗なお顔に傷が残ったら大変ですし」


「第三塔さん、優しい方ですね」


 えへへ……と可愛らしく笑った後、スサーナちゃんは胸を張って腰に両手を当てた。

 私は、膝立ちになると第三塔さんへの褒め言葉を、自分のことのようにひとしきり喜んだスサーナちゃんを抱き寄せる。

 華奢で細い身体は、少しでも力を入れたら折れてしまいそうで、そっと気をつけて腕に力を込めた。

 ほんのりと冷たい彼女の頬に自分の頬をくっつける。妹がいたら、こんな感じなのかな……と思いながら彼女にも「ありがとうございます」と伝えた。


「話が途中だったよなぁ、元神様」


 キャッキャと手を繋いで笑い合う私たちの横を通り過ぎて、ラームスの前で立ち止まったカティーアは挑発的な口調でそう言った。


「あんたの魂を取り戻したら、俺たちを元の世界へ戻してくれ。それなら、あんたに力を貸してやってもいい」


 不敵な笑みを浮かべながらそんなことを述べるカティーアに対して、ラームスはゆっくりと頷いてみせた。それから、彼は首だけを動かして私たち全員へ目を配る。


「ありがとう。永遠に苦悶する魔女ヴァニタスからわたしの魂を取り戻せば、君たちを元の世界へ送り返すことを約束しよう」


 帰れるんだ……そう思うと少しだけ胸のつかえが下りる。それはスサーナちゃんも同じだったみたいで、目を見合わせて微笑み合った。


「あんたが、ヴァニタスを魔女に堕としたと言っていたが……」


 カティーアの言葉に、ラームスは頷いて目を閉じる。

 彼は鹿の頭だから感情を読み取りにくいけれど、なんとなく悲しんでいるように感じた。


「そうだ。わたしが彼女を魔女に堕とし、そして、永遠に終わらない苦痛と痛みを与えてしまった」


 言葉を噛みしめるように、ゆっくりと述べたラームスが目を開く。深い悲しみに満ちたように彼の昼月色の瞳が揺れた。


「わたしが生まれるより遙か昔から、彼女……滅びを繰り返す者ヴァニタスは存在していた。その身に破滅の呪いを宿して……ね」


「破滅の呪い、ですか」


「破滅の呪いというのはね、身体が成熟すると、体が砂になって崩れ、擬似的な死を迎えるという呪いさ」


「擬似的な死、というのは」


 第三塔さんの声が静かに響く。


「全てが消えて無くなる完全な死ではない。ヴァニタスは砂の中に核を残して眠り、核に負の力が満ちると、ヴァニタスは記憶の一部を失ってヒトの形に育っていくんだ」


 死……妖精達の考える死と、私たちの死は違うものだ。わかっているけれど、気持ちが少し暗くなる。

 ラームスにとって、ヴァニタスはきっと大切な人なんだと言葉から感じ取ってしまったから。


「……滅びと忘却と再生を繰り返すことで存在しているのが滅びを繰り返す者ヴァニタスだった」


 ぽつり、ぽつりとラームスは言葉を選ぶように紡いでいく。

 かつての記憶を大切に取り出しているように思えた。


「わたしと彼女は惹かれ合った。それはとても満ち足りていて、まるで春と夏と秋が一気に訪れたみたいに賑やかで……それで」


 弾んでいた声色が、そこで止まる。


「出会ってから最初の死が訪れるとき、彼女はわたしを忘れることを恐れたんだ。わたしは、大丈夫だと言ったのだけど……」


 沈んだ声で静かに語ったラームスは、かぶりを振って溜息を吐く。まるで嫌な記憶を頭から振り落とそうとしているみたい。


「暴走した彼女の憎悪は、砂になりながらわたしの体と、魂と力のほとんどを飲み込んだ。そして出来たのが、此所……永遠に苦悶する魔女ヴァニタスの迷宮だ」


 遠い目をしたラームスが空を見上げて、言葉を止めた。

 第三塔さんとカティーアは、二人とも眉間に皺を寄せながら何か考え込むように黙りこくっている。


永遠に苦悶する魔女ヴァニタスは、幻想と虚ろの世界に迷宮を作り出して再生し続ける体と、終わらない痛みに苦しみ、憎悪を燃やし続けている」


 おずおずと手を上げたスサーナちゃんを見たラームスが、話を促すようにゆっくりと頷いた。


「……迷宮の魔女ヴァニタスは、なぜ黒い髪の少女を引きずり込んでいるのでしょうか?」


 彼女は質問をしてから、小さく首を傾げる。


「それはわからない。ただ、黒髪の乙女たちの魂が消えたわけではないんだ。恐らく、魂を胎内に捕らえることで自分の力にしているのだと思うのだけれど」


迷宮の魔女ヴァニタスを外傷によって無力化するというのは、現実的ではない、か」


 顎に手を当てながら呟いた第三塔さんの言葉に、カティーアは頷くとラームスを顎をしゃくって指す。


「神を取り込んだ癖に、残滓がこれだけ自由に動いてるんだ。おそらく、完全に一体化してるわけじゃない」


「その通り。ヴァニタスの体にわたしの魂がわたしの形を保ったまま残されている」


 伏し目がちだった第三塔さんの視線が、ラームスに向けられる。

 カティーアは、腕組みをした指で自分の肘をトントンと叩きながら、ラームスに「だろうな」と言って前髪をかき上げた。

 彼の短くてまっすぐな眉が、不機嫌そうに片側だけ下げられているのがよく見える。


「どこにある?」


「ヒトの仔でいうと……そうだね命を刻む鐘心臓を囲う白い檻肋骨の下辺りといえば通じるだろうか?」


「鳩尾だな」


 カティーアの問いに答えたラームスだったけれど、その答えは少しわかりにくいものだった。

 一瞬考え込むように斜め上へ目を向けるカティーアに対して、第三塔さんが自分の鳩尾を指差しながらそう応える。第三塔さんの出した答えに対して、ラームスは首を縦に振って、肯定してから再び話し始めた。


「わたしの形は、ヒトの子の頭部にとても似ている。それを彼女の体から引き抜いて、浄化してくれればいい」


 第三塔さんとカティーアが「浄化」という言葉を聞いて同時に眉を顰めた。


「浄化と一言で簡単に言うものだが……」


「俺も他者こいつらのことは言えんが……肉の殻をもたぬ者妖精に体系立てた魔法の説明や術式を聞こうとしても、たぶん無駄だぞ」


 大きな溜息を吐いたカティーアは、呆れた様な諦めたような表情を浮かべてラームスを見た後に、隣にいる第三塔さんを見上げた。

 第三塔さんは「ふむ」と頷くと、顎に指を当てたまま目を首を横に振る。


「物質を清浄に保つことならともかく、魂や霊の類いは生憎専門外だ」


「奇遇だねぇ。俺も破壊が専門で守護や浄化ってやつは得意じゃない」


 腕組みをしたカティーアは、私たちの方を見た。丸みを帯びていたカティーアの瞳孔が僅かに細くなる。

 紅い虹彩の真ん中が縦に引き裂かれたように見える瞳が、キラリと光った。口元に笑みを浮かべたカティーアが、滑らかな足取りでこちらへ近付いて来る。

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