10:誤解と和解
「改めて自己紹介をしよう。わたしは
「神だった……だと?」
カティーアはそういいながら大きく溜息を吐いて、髪の毛をがしがしと掻いた。第三塔さんは、そんな二人の様子を少しだけ目を細めて見つめている。
「わたしが持っていた権能の大半はこの空間の主……
「神の権能を奪う魔女……ねぇ」
自分の質問に対して穏やかな口調のまま応えるラームスに対して、カティーアは芝居がかった言い方をしながら顎をさする。
訝しむような態度を取るカティーアを気にしてもいないようだったラームスが、目を伏せた。
「ヴァニタスは、君たちをこの世界へ引きずり込んだ者と同一の存在だ。わたしが、彼女を魔女へ堕としてしまった」
さっきから、眉間に皺を寄せながら黙っていた第三塔さんが、一歩前に進み出た。
片膝立ちになって、ラームスと視線を合わせるように跪いた第三塔さんは、頭を垂れる。
「わたしは、君の世界にいる神とは縁遠い者だ。気を使ってくれなくて大丈夫だよ」
第三塔さんは、ラームスの言葉を聞いてゆっくりと顔を上げた。
「鹿の姿を借りた神よ、ここは一体どういう場所なのか伺ってもいいだろうか?」
「
「上界……に近い場所ということだろうか」
「ああ、本当に
謳うような調子で紡いだラームスの言葉を聞いて、カティーアは鼻を鳴らしながらかぶりを振った。
「俺たちは魂だけ魔女の作った空間へ引きずり込まれたってわけだ。ジュジと、そっちの小さなお嬢さんが魂に記憶した仮初めの肉体を与えられてここにいる」
ツカツカと第三塔さんの隣まで歩いてきたカティーアは、腰に両手を当てながら、そう付け加えた。
満足げな表情を浮かべたカティーアは、第三塔さんが自分を咎めるような視線で見ていることも知らずに二人に背を向けた。彼はまっすぐに私のところまで戻ってくると大きく伸びをして、枕でも抱き寄せるように私の背中に手を回す。抱きしめた私の肩に顎を乗せて「お前が、この白いローブを気に入ってるとはな」と耳元で囁かれて、顔が急に熱くなった。
「その通りだ。君は
彼と私のやりとりを知らないラームスが、和やかな口調でお礼を言ってくれている。ククク……と肩を奮わせて笑ったカティーアは、私の頬に触れて「帰ったら、じっくり話を聞かせて貰うからな」と言って私の肩へ顔を埋めた。
「……
小さな声がすぐ隣から聞こえたので目を向ける。瞳をきらきらさせているスサーナちゃんと目が合う。彼女は照れくさそうに「な、なんでもないです」と言いながら、両手で顔をぱたぱたと仰ぐ。
形の良い唇の両端を持ち上げて綺麗な孤を描いたスサーナちゃんは、第三塔さんが立ち上がってこちらに来たことに気が付いて、ぱたぱたと足音を立てて彼の方へ向かった。
少しだけ遠くを見るような表情を浮かべていた第三塔さんは、スサーナちゃんが自分の方へ駆けてきたことに気が付いて視線を落とす。
「第三塔さんは、その、大丈夫ですか?」
「ああ、大体の事情は掴めたので問題はない」
遠い目をしていた第三塔さんは、すぐに涼しげな表情に戻って頷いて見せた。
「それで、力を奪われたあんたが、今さらそれを取り戻したいのはどういうわけなんだ?」
私を抱きしめていたカティーアが、意地悪な笑顔を浮かべてラームスへ尋ねる。
「力を持つ者が、ここに来るなんて今までなかったことだ。乙女達の魂を僅かに救うことで満足していたが、それも不可能になった。わたしが消えてしまう前に、出来ることはしておくべきだと感じただけだよ」
目を伏せたラームスの長く豊かな睫毛が薄灰色の毛皮に影を落とした。
少し間を置いてから顔を上げた彼は、まっすぐに私たちを見つめながら華奢な右の前脚を一歩前へ出す。
「君たちには、わたしの魂を取り戻すために力を貸して欲しい」
愁いを帯びた声でラームスがそう言い終わる。
一瞬、静寂が訪れる。息を呑む音が聞こえて、控えめな様子でスサーナちゃんが口を開いた。
「あの……そうじゃないと、帰れないんですよね? 私たちに出来ることが何かあるのなら……多分みなさんも」
不安そうに私たちを見るスサーナちゃんを見て、カティーアが「ああ、そういう……」と呟きながら目を泳がせる。それから、私の頬を指で突いて「お前にそっくりだ」と言うと、彼は持ち上げた口角をキュッと引き締めた。真面目な表情になったカティーアは、ラームスと向き合っているスサーナちゃんの方へ近付いていく。
鋭い目付きをした第三塔さんが、カティーアが自分たちの方へ近付いてるのがわかると、スサーナちゃんを庇うようにして彼女の半歩前に出た。また喧嘩になったりしないよね? と心配していたけれど、それは考えすぎだったみたい。
カティーアは、第三塔さんを見て、敵意はないとでも言いたげに肩を竦めた。何かを察した第三塔さんが後ろへ下がると、彼は「助かる」と言って軽く頭を下げてからスサーナちゃんの前に立つ。
「……小さな黒髪のお嬢さん。名は……スサーナだったか?」
スサーナちゃんと目線を合わせるように、ゆっくりとした動きで腰を屈めたカティーアは、片膝立ちで跪いて彼女に話しかけた。
「は、はい」
スサーナちゃんが、第三塔さんを見てから、カティーアの方を見る。知らない人を目の当たりにした仔猫と飼い主みたい。
そんな落ち着かない様子のスサーナちゃんを、カティーアの背中越しに眺めながらさっき「そっくりだ」と言われた意味を考える。
緊張した面持ちのスサーナちゃんは、自分の胸元に手を当ててカティーアを見つめている。彼は、彼女の左手をそっと取ると、自分の方へ軽く引き寄せた。
「一つ、お伽噺の世界に通じる良いことを教えてあげよう」
お伽噺……と聞いて興奮したのか、彼のことを見つめているスサーナちゃんの瞳孔が少し大きくなる。
「
柔らかく微笑んだカティーアはそう言いながら、彼女の前にいるラームスをチラリと見る。
一瞬目を見開いて、それから何かを考えるように、すぐに目を伏せた彼女が「ううん……」と唸る。彼女の長い宵闇色の睫毛が頬に影を落としたかと思うと、彼女は上目遣いでカティーアのことを見る。
「ええと……理由を聞いても良いのでしょうか?」
「もちろんだとも。そのために君とお話をしているんだから」
諭すような優しい口調で話しながら、カティーアはやわらかく微笑んだ。
「
「あ、
ぱっと顔をあげたスサーナちゃんに、彼は優しい視線を返すと、彼女の手の甲をそっと親指で撫でてから、もう一度笑顔を作る。それから手を離して、スサーナちゃんの頭をゆっくりと撫でた。
「
滅多にしない彼の気障な仕草に見とれてしまう。英雄として活躍していた頃は、子供や、王族に対してこういう振る舞いをする必要もあったというのは、
少しだけチリリと胸が痛んだ気がして、首を捻る。魔力をラームスに分けた影響かな……と胸に手を当てながら、彼とスサーナちゃんのやりとりに耳を傾けた。
「取引を持ちかけられて、それを引き受けるなら、自分がどうしたいか相手に伝えるんだ。そうじゃないと、あいつらは良かれと思って君や、君の大切な人の命と姿を奪っちまう」
「は、はい」
「君には頼もしい
ごくりと喉を鳴らして、背筋をピンと伸ばしたスサーナちゃんを見てカティーアは「ふ」と短く笑って立ち上がろうと膝に手を置いた。
「あの、ありがとうございます」
頭を下げたスサーナちゃんに彼は笑顔のまま応じると、彼女の後ろにいる第三塔さんへ目を向けた。なんとも言えない表情を浮かべている第三塔さんを見たカティーアは苦笑いを浮かべながら立ち上がる。
「誰彼無く手を差し伸べようとするうちの愛弟子に、君が似ている気がしたから、ちょっとお節介しただけさ」
ひらひらと片手を顔の横で振ってからスサーナちゃんに背を向けたカティーアは、第三塔さんの前まで来て立ち止まると、頭二つ分ほど上にある彼の顔を見上げた。
「悪かった」
そう言って腰を折り曲げながら頭を下げたカティーアを見た第三塔さんは、驚いたような表情で彼の後頭部を見下ろしている。
「そっちの子と、俺の伴侶をあんたが攫ったんだと決めつけちまった」
顔を上げたカティーアは、決まりが悪そうに目を逸らして笑う。牙のように細くて鋭い犬歯を見せて笑うカティーアに毒気を抜かれたのか、第三塔さんも胸元に手を宛てながら頭をゆっくりと下げた。
彼の白い髪がさらさらと揺れて、虹色の光が散らばる。
「こちらも、浅慮な考えのまま攻撃を返してしまった。すまない」
お互いに謝罪をした第三塔さんとカティーアは、どちらからともなく手を差し出した。
握手を交わした二人を見て、私とスサーナちゃんは思わず目を合わせる。彼女は目を丸くして驚いていた。きっと、彼女から見た私も同じような表情を浮かべているんだと思う。
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