9:願いと対価

「黒髪の乙女……そうだね、ええと……どちらかというと、わたしたちこちら側に近い君の方が良さそうだ」


 穏やかな口調のまま、ラームスが服の裾をそっと唇で挟んで軽く引っ張った。


「私に御用なんですね。なんでしょうか?」


「先ほどのように、邪魔が入るのは本意では無い。この空間を守る為の魔力リソースを分けて欲しいのだよ」


 腰を屈めて、彼と目線を合わせるために少しだけ屈む。昼月色の瞳が私を上目遣いで見つめてくる。

 息を深く吸いながら、考えを巡らせる。

 人ならざる存在から、魔力を分けて欲しいというお願いをされた。それは、人間同士が交わす約束やお願いと同じではない。だから……。


「なあ、ジュジ……」


 カティーアが、私の腕を軽く引いた。心配性なんだから……。振り返って彼に「大丈夫です」と答えて、私は再びラームスと向き合う。


「いいですよ。代わりに、花畑ここのお花を一輪くださいな」


 穏やかな光を湛えているラームスの双眸が、私の姿を写している。

 彼はゆっくりと頷いて、目を細めた。


「それでは、取引成立だ。君の魔力リソースが私の結界を守る限り、絶対の安全を約束しよう」


 肉の殻を持たないものに願うときも、願われるときも対価を求めなければならない。どんなに些細な願いでも、対価を忘れれば命を奪われる。

 そう教えてくれたのはカティーアだった。それに、お互いの同意を得た約束に口出しをすると、大体酷いことになる……とも彼はよく話してくれた。

 ホッと胸をなで下ろした私を見て、肩を竦めたカティーアが、呆れた様に笑う。


「キチンと対価を求めて応じたのなら、上出来だと褒めるべきなんだろうな」


 彼は、囁いてから私の体を抱き寄せて、額にそっと口付けを落とすと目を細めた。

 それから、屈んで白い花を一輪摘んで立ち上がる。彼は私の髪を括る紐にそっと白い花を挿して、少しだけ呆れた様に微笑んだ。


「よくやったよ。いい子だ」


 彼の静止を聞かなかったのは、よくなかったかもしれない。だけど、間違った判断だとは思っていない。

 第三塔さんとスサーナちゃんの魔力は、別の世界から来たからか、目を凝らしても魔力の反応を見ることが難しい。でも、全く見えないわけじゃ無かった。

 多分この中なら魔力の余裕があるのは私だ。だって、この世界は肉の殻を持たない妖精の世界に近いから、半分妖精の私は、たくさん使った魔力も少し休めばすぐに満たされていく。

 私だって、自分なりに考えた。カティーアはもちろん、第三塔さんもとても強い。未熟な私よりもずっとずっと頼りになる。

 それに……魔力の気配をスサーナちゃんから感じないわけではないけれど、彼女は多分まだ子供で、妖精との取引にも慣れてない。だから、魔力だけ余っている私がこういう役目をするのが一番良いんだ。

 色々考えている思考をカティーアが私の頭を優しく撫でたことで切り替える。彼は私からゆっくりと体を離した。


「いっておいで、自慢の愛弟子」


「いってきます」


 彼に背中を押されて、私は静かに佇んでいるラームスの前に進み出た。

 そういえば、魔力を渡すってどうするんだろう? カティーアくらいにしかまともにしたことがなくて、戸惑いながら、ラームスに尋ねる。


「あの、私はどうすれば……」


「簡単さ。君の茨でこの結界を包む想像をしながら、わたしの角に触れて欲しい」


 ラームスの言葉に頷いて、目を閉じた。

 息を深く吸って、意識を集中する。

 薔薇の魔法……ツルが、花畑を覆う想像をする。足元や指先から茨が伸びて、空と大地に広がっていく様子を思い浮かべていると、胸から体の先端へ向かって熱が移動して温かくなってきた。

 胸の前で組んだ指を解いて、腕を前へ差し伸べる。ざらりとした柔らかい毛を指先で撫でると同時に、私は目を開いた。枝分かれをしていない短い角と私の指先の間に、緑色の光が現れる。

 ゆっくりと明滅を繰り返しながら、私の魔力が彼の角の中へ吸い込まれていった。


「君の魔力は、常若の国妖精界の良い香りがするね……」


 嬉しそうな声で、ラームスがそう言うと、彼の四本の脚から茨の形をした影がにょきにょきと生えてきた。本物の植物みたいに上にも地面にも伸びていく茨の影は、私たちの遙か上まで背を伸ばしてから木の枝葉のように大きく広がって、光に溶けて見えなくなっていく。

 ちょっとした脱力感を覚えながら、ぼうっと空を見上げているところを、後ろからそっと腕を引かれて我に返る。


「大丈夫か?」


 後ろから抱きしめられて、彼の体に背中を預けるように脱力する。カティーアが私の肩に顎を乗せながら、心配そうな表情を浮かべて顔を覗き込んできた。


「思っていたよりは、平気です。ちょっと驚いただけで……」


「助かったよ。では、わたしは少し結界内を見回ってくるから、ゆっくり話でもして待っていてくれたまえ」


 私たちに背を向けたラームスが、跳ねるように駆けだした。カティーアは、どんどん小さくなっていくラームスの背中を忌々しそうに見つめながら、私を抱きしめる腕に少しだけ力を込めた。


「話って言ってもな……綺麗な髪一族タルイス・グラッツと何を話せばいいんだよ」


 大きな溜息を吐いて、彼は私を抱きしめたまま地面に腰を下ろす。それから、気怠そうに前髪を掻き上げて第三塔さんと、彼の隣で不安そうな表情を浮かべているスサーナちゃんを仰ぎ見た。


「違います! あの人は多分、常若の国妖精界の方ではない……はずです」


 そうまでしてカティーアに断言されると不安になってしまう。でも、ここでまた喧嘩を再開されても困る。

 私が頬を膨らませて反論すると、彼が子供っぽく唇を尖らせながら第三塔さんを指差した。


「長くて美しい色をした煌めく髪、非の打ち所がないほど整った顔、そして見目美しい子供を攫ってる……、どう考えても肉の殻を持たない者妖精だろ」


 褒めているんだか、貶しているんだかわからないことを言うものだから、言われた本人が怒っていないか心配になって慌てて第三塔さんの方を見る。

 彼は、左腕で右肘を支えるような立ち姿をして、思い悩むように眉間に深い皺を刻んでいる。怒ってはない……みたい?

 第三塔さんの気持ちを読みあぐねていると、彼のローブから手を離したスサーナちゃんが、てちてちと音が出そうなくらい可愛らしい足取りでこちらに近寄って来てくれた。

 なんだか好奇心を隠しきれない仔猫のように思えて微笑ましく思いながら、私は彼女に笑いかける。


「あの……常若の国妖精界やら、肉の殻を持たない者妖精っていうのはもしかして……」


 私のすぐ隣まで来て立ち止まったスサーナちゃんが、私の袖を軽く引っ張った。弾んだ声で話すスサーナちゃんを見て、カティーアがそっと腕を伸ばして彼女の手を取る。

 小さくて軽いスサーナちゃんの体をよろめかせないように、優しく自分の方へ引き寄せた。第三塔さんは、スサーナちゃんがよろけないかだけ見届けると、自分のゆったりと編まれた髪や、服を見て首を捻っている。


「黒髪の小さなお嬢ちゃん、君も大変だったな。肉の殻を持たない者妖精は、髪や顔の綺麗な子供をよく攫っちまうんだ」


 ぴゃ!という小さな悲鳴を上げて、スサーナちゃんが目を丸くする。頬が少し赤らんでいるから、怖がっているわけではないみたい。

 カティーアは右手をそっと持ち上げて、スサーナちゃんの宵闇色の髪に優しく指を通す。


「あの、その……ええーっと」


あいつら妖精達も、顔が抜群に綺麗だし、甘い誘惑の言葉を放つから子供は騙されやすいが……」


 顔の前で手をぱたぱたして、言葉を探すように目を泳がせるスサーナちゃんに構わず、カティーアは言葉を続ける。第三塔さんは、体を引いてあわあわしているスサーナちゃんと、彼女の髪を撫で続けるカティーアを見て僅かに眉を寄せると、彼を睨み付けた。

 睨まれたことに気が付いたカティーアが首を傾げる。第三塔さんは、スタスタと足早にこちらに近付いて来て、スサーナちゃんの手首を優しく掴んだ。

 驚いた表情を浮かべながら、彼に腕を引かれて後退りをするスサーナちゃんは、彼の体に背を預けるように寄りかかって、自分のことを引き寄せた第三塔さんの顔を見上げた。


「……君たちは」


「あの!」


 何かを言おうとした第三塔さんの声を遮って、スサーナちゃんが大きな声を出す。


「……その……第三塔さんはちがうんです! 私の……正確には私のおうちですけど、仕立屋をしてまして、それで……その、今も小さいんですけど、もっと小さな頃からの縁がありまして……」


 第三塔さんとカティーアを交互に見ながら話し始めるスサーナちゃんを見て、小さな少女が一生懸命話すのを否定するわけにもいかないと思ったらしい。カティーアが困った表情を浮かべているので、私も誤解を解くために知っている単語を思い出す。


「この人は第三塔さん。しょとうのまじゅつし? なんだって」


「はぁ? 魔術師?」


 思いっきり声をあげてから、しまったと思ったのか、カティーアは小さな咳払いをしてから、スサーナちゃんに「その、気に入らないわけじゃなくて……」と微笑んで言い訳をする。

 それから、彼女の後ろで腕を組みながら自分たちを見下ろしている第三塔さんを見上げて、彼は首を傾げた。


「私の国ではその、諸島の魔術師さんといえば通じるんですけど、ええと……なんと言えば良いのか」


 第三塔さんは、腕組みをしたままじっとカティーアとスサーナちゃんを見比べて考え込むような表情で動かない。


「魔法では無く、魔術……ですか」


 魔術……聞いたことはあるけれど、多分、見たことは無いはずだ。だから、第三塔さんの使う魔法陣も見慣れないものだったのかな?


「魔術については、今度教えてやろう。アレは同じ魔力を使うものでも、得意な方では無いんだが……」


 笑いながらそう言って、カティーアは立ち上がった。私の頭をポンと叩いた後に、彼はスサーナちゃんと第三塔さんの方へ目を向けた。


「……混ざり者妖精との混血か? 自分の体内に魔力炉があるようだが」


 小さな声で呟いたカティーアは、第三塔さんの前へスタスタと近付いていく。顔を近付けて首を傾げた彼は、第三塔さんの周りをぐるりと一周してから、もう一度第三塔さんの前に立つ。


「……魔術師なぁ。確かに見たことのない魔素の操作、妖精に頼らない水の具現化……」


 第三塔さんもカティーアと私を見比べてから、自分の隣に立っているスサーナちゃんへ目を向ける。それから「ふむ」と声を漏らしながら、首を小さく捻った。


「欺瞞を使っていない……本当に鳥ではない……のか?」


 ピリピリとした雰囲気は感じられない。

 お互いに見つめ合ったまま、二人は黙りこくっている。

 声をかけた方がいいかな? そう思っていると、見つめ合っている第三塔さんとカティーアの間に、光る拳大の球が現れた。光の球は、仔犬くらいの大きさに膨らんでいく。

 口を弓なりに歪めて「げ」と言ったカティーアと、僅かに体を仰け反らして光を注視している第三塔さんの間で光の球は子鹿の形に変化した。


「なんだかとても複雑なことになっているようだね」


 ラームスが、頭を左右に振る。毛皮が逆立って震えるのに合わせて、彼が体に纏っていた光が飛び散り、元の薄灰色の毛皮が顔を覗かせた。

 少しだけ申し訳なさそうな声でそう言ったラームスだったけれど、これより前にもっとすごい殺し合いになりそうだったのだから、もう少し切羽詰まってもいいのでは?と思わなくもない。

 ああ、でも……彼は人ではないのだから、そういう感覚を求めるのも難しいのかな……と考え直す。


「ラームス」


 カティーアと第三塔さんが、なんだかそれぞれすごい難しい顔をしたまま、ラームスを見つめている。

 名前を呼んだ私を見た後に、ラームスはカティーアと第三塔さんへ向かって頭を下げた。


「君たちは別々の世界から来た存在だ。それを言い忘れたことで争いが起こっていたのなら、謝るよ。すまない」


 今さらな謝罪をしたラームスに、第三塔さんとカティーアのじとっとした視線が向けられた。

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