6:不死の魔法使い

「カティーア」


 名前を呼んだ。ラームスが「縁のある相手」と口にした時から、来てくれると信じていた人。

 白いフード付きのローブ、左手の黒い革籠手ガントレット。切れ長な目と、牙みたいに細く鋭い犬歯が覗く薄い唇。出会った頃の格好にそっくりな彼がそこにいた。

 燃えさかる炎と共に、音も無く床に降り立ったカティーアは、伏せていた頭を持ち上げた。

 耳を隠す程度に伸ばされた柔らかな金の癖毛が熱風で僅かに揺れる。

 深い紅玉ルビー色の瞳が私を捉えて、針の様に鋭かった彼の瞳孔が丸みを帯びる。

「よかった」と思った次の瞬間、彼の瞳孔が再び針の様に変わった。

 彼の視線は私の腰あたりでギュッとしがみついているスサーナちゃんを見てから、カティーアを挟むようにして私の正面へ戻ってきてくれた第三塔さんへ向いた。


 何も言わないまま、カティーアが後ろを振り返る。彼の瞳孔がキュッと細くなるときは大抵、機嫌がすこぶる悪い時だ。

 どうしてかわからないけれど、咄嗟にスサーナちゃんを抱き寄せる。不思議そうな表情で私を見上げた彼女の「お知り合いの方ですか?」という言葉に頷いて、彼へ目を向ける。

 彼の周囲に赤い光が灯る。それから、腰と翅に揺らめく炎を纏わせた妖精達が現れた。

 カティーアが両腕を左右に開くと、愉快そうに笑った妖精が泳ぐような姿勢で部屋の左右に広がった。

 炎の壁が私とスサーナちゃんの周りを取り囲んで、身体を熱風が撫でていく。耳に届くヴァニタスの呪詛が呻き声と悲鳴の入り交じったものに変わるのがわかる。


「第三塔さん!」


 少しホッとしたような声が胸元から聞こえた。燃えさかる炎が起こす灰色の煙の中から出てきた第三塔さんは、光る球状の空間に守られている。

 いきなり炎の魔法に巻き込まれた第三塔さんは眉間に僅かにしわを寄せながら歩いてきた。

 カティーアは、第三塔さんが強く障壁を張れることを知っているはずがない。つまり、辺り一面を焼き尽くす炎の魔法に彼を巻き込んだと言うことは……。ここまで考えて少しだけ気が滅入る。

 彼が怒っている理由はよくわからないけど、第三塔さんは私たちの味方だって説明しなきゃ。

 スサーナちゃんが、こちらへ向かってきている第三塔さんの方へ駆けだした。歩幅を荒々しくしながらこちらへ歩いてくるカティーアに向かって、私も駆けていく。

 それを赦さないとでもいうように、ヴァニタスは大きな声を上げながら二本の長くて歪な腕を持ち上げて、すぐにそれを振り下ろした。低い衝撃音が響いて、部屋が大きく縦に揺れる。揺らめきながら聳えていた炎の柱たちは、ヴァニタスが両手を床に叩き付けたのと同時にあっさりと消えてしまった。熱の失せた床からは、またヴァニタスの髪槍たちと、蜘蛛たちがうぞうぞと生え始める。


 両腕の届く距離にまで近付いて来たカティーアは、私に向かって両腕を伸ばす。そのまま私は彼に抱き寄せられて、それから、そっと頬に出来た傷の真下を指で撫でられた。


「悪い。来るのが遅れた」


 眉尻に向かって一直線に伸びた形の良い眉が、顰められる。私の手を取って触れるような口付けを落としたカティーアは、視線を上げて私の背後を鋭い目付きで睨んでいる。確かそっちには、スサーナちゃんと第三塔さんがいるはず。

 振り向いて、スサーナちゃんたちがいるかどうか確かめる。それから、二人の方へ荒々しい歩調で近付こうとする彼の胸を軽く掌で叩いた。


「あの、このケガは……その……私のミスで」


 私の言葉を聞いたカティーアが右眉を持ち上げて「は?」と声を上げた。それと同時に彼は僅かに上半身を仰け反らせる。

 彼の向こうからは、風切り音をさせながらヴァニタスの髪槍がへ飛んでくる。カティーアは、私の顔を訝しげな表情で見つめたまま、髪槍を片手から出す火球で撃ち落とした。


「どういうことだ?」


「あの人は、敵じゃ無いんです。確かに、やたら綺麗で見たことも無い魔法も使うから、ヒトではないかもしれないですけど、あの黒髪の子……スサーナちゃんが知り合いだと言っていたので、信じても……」


 語気を強めるカティーアを諫めるように、私は第三塔さんのことを彼に伝えるために、なんとか知っている物事を述べる。

 さっき知り合ったばかりだけれど……それでも、彼は私を見捨てようと思えばできたはずだ。多分、最初は私のことを見捨てようとしたし……。だけど、第三塔さんは私を助けるために戻ってきてくれた。

 多分、悪い人では無いはず。

 私が彼を静止しようとする手を軽く掴まれて、カティーアが二人の方へ身を乗り出す。私たちに近付く髪槍と蜘蛛は、先ほどカティーアが放った炎の妖精達が追いかけては焼き尽くしていく様子が見えた。

 少し余裕ができた私も、彼に釣られるようにしてスサーナちゃんたちの方へ目を向ける。

 さっきからスサーナちゃんの声が聞こえないなと思っていたけれど、二人が黙っているわけではないことが、やっとわかる。スサーナちゃんの口は動いていて、第三塔さんに何か話しているように見えるけれど、不思議なことなのに、声が届くはずの距離にも拘わらず、二人の話す声は聞こえてこない。

 

「音を遮断する魔法? 魔術か? うさんくせえもん使いやがって」


 舌打ちをしたカティーアが、第三塔さんのことを睨み付ける。

 丸みを帯びていた瞳孔が、スッと針の様に細くなった。これは……と焦った私は彼の両頬へ手を伸ばす。それから、パチンと音が出る程度の強さで、カティーアの両頬を掌で挟んだ。


「カティーア」


 名前を呼ぶ。驚いた表情を浮かべた彼が、第三塔さんから私へ視線を戻す。


「最初は置いて行かれそうになって……それでもすぐに……」


 彼は助けに戻ってきてくれた。私の傷は彼のせいではない……そう説明しようとしたけれど、パッと顔を上げたカティーアが私の腰に手を回して、地面を蹴ったので言葉が途切れる。

 カティーアが放っていた妖精達が小さな悲鳴をあげて消えた。それと同時に、私たちがいた場所の真下から鋭い髪槍が勢いよく生えてくる。あのままだったら私たちは串刺しになっていたところだった。

 ありがとう……と言う前に、ヴァニタスの怨嗟に満ちた声が部屋中に響き渡る。


「Y dynion budr a ddaeth i mewn i'm castell heb ganiatad!」


根源の言語妖精語か……。クソ」


 小声で悪態を吐いたカティーアは、私の腰を抱いたままスサーナちゃんたちの近くへ着地する。

 ヴァニタスの言葉がすごくはっきりと聞こえて、耳を防ぎたくなる。髪を振り乱したヴァニタスは、より一層大きな声で叫んでいて、まるで癇癪を起こした子供のように乱暴に両拳を床に叩き付けた。すると、それが合図になったようで、さっきまでバラバラに飛びかかっていた蜘蛛たちが動きを止めた。

 蜘蛛たちは、すぐにごそごそと動き出したかと思うと、私たちを取り囲んで身体を重ねて高い壁を作る。統率されたような動きをし始めた蜘蛛たちの体と体の間に、僅かに開いた隙間からヴァニタスの髪槍が見えた。それは、様子を伺う蛇みたいにみえる。持ち上げられた鎌首の切っ先はこちらへ向けられていた。


「Byddaf yn eich lladd ac yna'n ei daflu y tu allan」


 メラメラと、ヴァニタスの両目に宿る紫炎が揺らめく。両目の輝きを激しく光らせる彼女は、耳まで裂けた口をめいいっぱい開いて、吼えるような声を発した。

 そして、再び左右の拳で床を何度も何度も強く叩きはじめる。部屋が大きく揺れて、私の腰に回されたカティーアの腕に力が籠もる。

 立っているスサーナちゃんを問答無用で肩に担いだ第三塔さんの、貴蛋白石オパール色をした瞳が私とカティーアへ向けられた。スッと後方へ向かって飛んだ彼の綺麗な髪が靡いて虹色の燐光が揺らめく。


「クソ……」


 シャンデリアの炎が再び遮られて、薄暗くなった。上を見上げたカティーアが床を蹴って、第三塔さんと同じく後方へ跳ぶ。

 目の前には、先ほど見た時よりも大きな、海嘯みたいに聳える髪の壁が迫って来ている。

 着地をするまでの間で、カティーアが左手を髪の壁へ向かって突き出した。

 彼の掌から出た大人の頭ほどはある火球が髪の壁に穴を空けたけれど、それはすぐに塞がってしまった。

 炎の球に続いて三日月型の光刃が、髪の壁へ向かっていく。第三塔さんの魔法だ。彼が放った光の刃は、髪の壁を切り裂いたけれど、その切り口はすぐに新しく伸びてきた髪によって塞がってしまう。

 カティーアが数発放った炎の球も、第三塔さんの放つ光の刃もものともしないで、髪の壁はどんどんこちらへ迫ってきていた。

 着地する前にカティーアが床を炎で焼き払う。どうしたのかと思って遠くの方の床をよく見ると、周りを取り囲んでいる蜘蛛たちが吐き出したであろうベタベタした糸が白い小さな山を作っていた。

 彼が床を焼き払わなければ、機動性を削がれて、為す術無くあの髪の壁に飲み込まれるのを待つしかないところだった……。肌が粟立つような怖さを覚えながら、カティーアから振り落とされないように彼の首にそっと腕を回してしがみつく。

 糸で出来た小山を避けながら、カティーアと第三塔さんは何度か床を蹴って後退を繰り返す。


「これじゃキリがねえ……。少し無茶するぞ」


 目の前に髪の壁が迫っている。炎でも焼いても、切り裂いてもすぐに再生してしまう。これに捕まったら、どうなるのかわからない。


「しっかりと掴まってろよ?」


 不安になった私は、カティーアに言われた通り、しがみつくために首へ回していた腕に力を入れながら、頬をギュッと彼の胸に押しつける。

 その時、シュッと視界の隅に影が現れて、驚いた私は視線だけをそちらへ向けた。第三塔さんと、彼に抱えられているスサーナちゃんが目に入る。二人が無事なことにホッとしたけれど、よく見ると第三塔さんもカティーアと同じように険しい表情を浮かべながら、迫り来る髪の壁を睨み付けている。

 どうしよう。二人がいてもどうしようもないのかな……。

 そんなことを考えていると、カティーアは苦虫を噛み潰したような表情をしながら、第三塔さんへ目を向けた。

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