7:二人の守護者

「こうなりゃ賭けだ。床を壊す!」


 自分の隣で床に着地をしようとする第三塔さんを見ながら、カティーアはそう言った。多分、第三塔さんへ話しかけたんだと思う。第三塔さんはというと、僅かに細めた目でカティーアのことを一瞥してから、床へ目を向けた。

 第三塔さんは、指でさっと魔法陣を書くと、それを指先で弾くような仕草をする。床に向かった魔法陣はパッと弾けて、蜘蛛が糸で作った小山を一瞬で分解した。


「ジュジ、魔力を」


 前には髪の海嘯、背後には広間の壁。多分、チャンスは一度だけ。

 魔力、足りるかな。少し不安に思いながら、私はカティーアに魔力を渡すために、彼の首に回していた右手を、胸元へ移動させて目を閉じる。

 森の木々と同じ色の光が、彼と触れあっている部分に灯った。そして、光はゆっくりとカティーアの身体の中へ沈み込んでいく。

 ちょっとした脱力感と疲労感が身体に残って、無事に魔力を渡せたことを実感する。次の瞬間、パッと足元に緑色の光が現れた。

 若草色の炎が、カティーアの爪先からふくらはぎまでを覆っていく。私の魔力と、カティーアが得意な炎の魔法が混ざり合ったものだ。

 漆黒の床に当たった彼の右足の爪先からは、更に勢いよく緑色の炎が噴き出す。分厚い床の石が割れる低音が響き、その地点から放射状に広がったひび割れからも、緑の炎が次々と吹き出していく。

 右足を床に着けたカティーアが、即座に左脚を高く上げる。緑の炎を両足に纏わせたままのカティーアは、左脚の踵を思い切り床に振り下ろした。

 一撃目よりも大きな鈍い音がして、私たちの足元には人が三人くらいは通れそうな穴が開く。床の瓦礫と共に、私を抱いたままのカティーアは真っ暗な空間に身を任せた。そんな私たちの少し上から、涼しい表情を崩さないままの第三塔さんと、彼とは逆に目を丸くしているスサーナちゃんが落下してくる。


 突然明るくなって、辺りを見渡すと足元には褪せた石畳が広がっている。すぐに上を見たけれど、そこには一緒に落ちてきたいる第三塔さんとスサーナちゃん、そして、穴なんて開いてなかったみたいになんの変哲も無い砂色の天井があった。

 落下の衝撃を和らげるために、カティーアと第三塔さんの足元に大きな薔薇の花を出す。一瞬だけ口角を持ち上げたカティーアは、第三塔さんの足元にも開いた薔薇の花を目にして眉を顰めた。

 そんなに第三塔さんが苦手なのかな? なんでだろう。

 薔薇の花弁は、カティーアと第三塔さんが床に足を付けるときにふわりと広がった。二人の足を受け止めてると、花は薔薇色の光を放って消えていく。


「とりあえず、絶体絶命の危機ってやつからは抜け出したわけだ」


 砂色の壁に囲まれた十字路を見ながら、彼は皮肉を込めたようにそう言うと、私へ視線を戻す。


「自分で歩けるか?」


 彼の優しい声。吐息が耳にかかって少しくすぐったさを覚えながら、私は彼と目を合わせる。

 魔力を使いすぎて少しだけ疲れてるし、安心したら傷も痛み始めた。けれど、歩けないほどでは無い。

 頷いた私を見て、彼は抱えていた私をゆっくりと床へ下ろした。


「わ、私も自分で歩けます」


「君の歩幅と体力では、何かあったときに対処が遅れる。もう少しここにいなさい」


 わたわたと左右の足をばたつかせるスサーナちゃんに、第三塔さんは静かな声でそう返答する。

 頬を膨らませて不満そうな表情を浮かべたスサーナちゃんは、第三塔さんに担ぎ直された。


「ここも安全とは言い難いようだ」


 目を僅かに見開いた彼は、小さな溜息を吐きながらカティーアを指差した。

 指先を向けられたことに対して、彼は眉を顰めたけれど、何かに気が付いたのかすぐに振り返った。カティーアの視線に釣られて私も視線を追うと、石畳の隙間から湧き出た黒い砂が大きな蜘蛛の形を取り始めていた。


「もしかして、そちらにも蜘蛛が……?」


 第三塔さんに担がれたままのスサーナちゃんが、肩越しにこちらを見ながら、引きつった笑顔を浮かべている。

 彼女の手元を見ると、人差し指で自分の体が向いている方を指している。嫌な予感がする。


「挟み撃ちか」


 舌打ちをしたカティーアが私の手を取って走り出した。

 三叉路のうち、左右の通路にはどちらも大きな蜘蛛が数体こちらへ向かって来ている。

 背中から足音が聞こえてくる。スサーナちゃんたちも私たちの後を追いかけてきてくれていることにホッとしながら私は自分にできそうなことを考える。

 とにかく、少しでも足止めしなきゃ……。走りながら壁に手を当てると後方から鈍い音が響いた。背後を見ると、第三塔さんたちの後ろには、私が出した茨のツルが生えている。通路をしっかりと塞いでくれているから、なにもないよりはマシなはず。

 

「こちらなら安全だよ」


 どこからか、柔らかな声が耳に入ってきた。ラームスの声だとすぐにわかる。

 立ち止まった私たちの目の前に、突然現れた小さな橙色の光は、子鹿の姿に変化すると私たちを先導するように跳びはねるように走って行く。

 

「……また妖精か。どうなってるんだ?」


「彼は、さっきも私たちを助けてくれたんです」


 小声で不機嫌そうに呟くカティーアは、私の言葉を聞いて少しだけ眉尻を下げる。それから一呼吸置いて「わかったよ」と溜息を吐くとラームスを追いかけることに了承してくれた。

 ラームスは軽快な足取りで細い通路を進んでいく。二股に分かれた道を前進していくと、行き止まりに突き当たった。

 私とスサーナちゃんは、どうなるのかわかっているから平気だけど、カティーアと第三塔さんは行き止まりへ連れてこられたことを怪しく思っているのか、二人とも眉間に皺を寄せている。


「蜘蛛たちも追いかけてきたみたいだ。こちらへ」


 ラームスの言葉の通り、少し遠くからは石畳を爪で引掻くような音が近付いて来ている。

 後ろを振り返ったカティーアが、火球を投げる。曲がり角の先から姿を現わした蜘蛛はあっと言う間に黒い砂になった。

 ほっと胸をなで下ろしながら前を見ると、ちょうどラームスが短い角を壁に当てている。

 彼の角が触れた部分からゆっくりと波紋が広がって、青空と花畑の写る楕円形の空間が現れた。

 カティーアは、眉間に皺を寄せながら、訝しげにラームスが出した結界への入り口を見つめている。第三塔さんも僅かに柳眉を顰めているみたいだった。

 蜘蛛がまたいつ来るかわからないし……早くこの中へ入りましょうと言うには雰囲気が重い気がする。説明するよりは、カティーアの手を引いてでも結界の中へ入ってしまおうかと戸惑っていると、隣から「えい」という小さな声が聞こえた。


「待ちなさい」


 第三塔さんの肩から、スサーナちゃんが飛び降りて着地をする。彼がゆるりと伸ばした腕を器用に避けて、彼女は私の左手を取った。


「ジュジ?」


 カティーアが差し伸べた手が空を切る。私は、スサーナちゃんに手を引かれるがまま走り出した。


「きっと、付いてきてくれます……よね?」


「多分、ね」


 二人で顔を見合わせて笑う。悪戯をするってこういう気分なのかもしれない。

 手を繋いだまま結界の入り口へ二人で入っていこうとする背後で、大きな溜息が二つ聞こえた気がした。

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