5:諸島の魔術師
「鳥の領域か? とにかく、君も襲われていたのなら、ここから逃げても構わないだろう」
スサーナちゃんが駆け寄った人の、煌めく長い白髪が揺れる。虹色の燐光がキラキラと反射する様子は、
髪と同じ不思議な色合いの瞳が一瞬だけ私を写して、すぐにスサーナちゃんの顔へ戻る。
彼はスサーナちゃんの返答を待たずに、彼女の洋服の襟元を掴んで、まるで仔猫でも抱き上げるみたいに軽々と持ち上げた。
「第三塔さん……どうしてこちらへ?」
見上げるほど背の高い綺麗な男の人に抱えられたまま、スサーナちゃんは戸惑った表情で話しかける。
「残念ながら、私にも此所へ来る前後の記憶が無い。しかし……良くない場所だというのはわかる」
親しげに言葉を交わす二人を見て、迷宮に囚われる直前、あの部屋で話していた二人だと確信を深めた。
きっとこの人が、スサーナちゃんと縁で結びついた人なんだと思う。カティーアじゃなかったことは少し残念だけど……、でも、頼りになりそうな人でよかった。
「あの」
声をかけたけれど、ちょうどヴァニタスの髪槍が数本、スサーナちゃんたちへ向かっていく。
邪魔をしてしまった……と焦って、咄嗟に右足で床を踏む。
タンッと乾いた音と共に、茨のツルで編んだ網がスサーナちゃんたちの目の前に現れて、黒い槍を受け止めてから消える。
「あ……ジュジちゃん」
スサーナちゃんが男の人に担がれながら、私の方へ手を伸ばす。でも、私を横目で一瞥した男の人は、後方へ飛び退いて離れていった。
彼が無言のまま、目の前に指先で魔法陣を描く。魔法陣から飛び出して天井近くに浮かんだ金色の光は、割れた氷みたいな形の切っ先をヴァニタスに向けていた。
スサーナちゃんを抱えた男の人が、スッと指を振り下ろすと浮かんでいた光が雨みたいに次々に落ちて、ヴァニタスの身体を切り刻んでいく。
濁った悲鳴を上げながら、ヴァニタスは巨体を大きく仰け反らせて背後にある壁にぶつかり、その場に倒れた。
それと同時に、波打ちながら蛇のように鎌首をもたげていたヴァニタスの黒い髪の毛は、鋭く尖っていた先端をパラパラと解きながら地面に力なく散らばっていく。
さっきの光の刃も、今の降り注ぐ光の欠片の魔法も見たことが無いし、知らないものだった。
お礼を言おうとしたけれど、彼は私を見もしないまま、床を蹴って後退する。
床近くで紫色の炎が二つ揺らめいて、ヴァニタスが大きな咆哮をあげながら身体を起こした。
「ちがいます……! あの人は………じゃなくて」
途切れ途切れにスサーナちゃんの声が聞こえてくる。でも、さっきよりも密度と勢いの増した髪の槍を防ぐので手一杯でよく聞き取れない。
彼女を抱えたままの男の人は、私の背後にいるのか、スサーナちゃんの声だけが僅かにに聞こえる状況だ。多分、あの人なら大丈夫。私は自分の身を守ることにした。
次々と飛んでくる髪の槍を薔薇の花で作った盾で受け止めていると、視界から雄牛くらいの大きさに膨らんだ蜘蛛が飛びかかってくる。さっきまでは狼くらいしかなかったのに。
内心で悪態を吐きながら、床から出した茨のツルで、蜘蛛の身体を貫いて難を凌ぐ。髪の槍は途切れること無く襲ってくる。
パリンと薄氷が割れるような音がして、頬が熱を持つ。咄嗟に熱を持った部分を腕で拭って確かめる。べったりと赤く染まった腕を見て、少し遅れてからズキズキと傷痕が脈打つ。
障壁が維持できなくなってる。魔素が豊かな場所とはいっても、一人でこんな戦い方をしたことはない。少しずつ体が重くなるのがわかる。
カティーアは、一人でこれよりも長い時間、巨大な魔物と戦い続けていたのに……。足元にも及ばないんだなと情けなく思いながら歯を食いしばる。
盾の発動が少し遅れる。脚、腕と意識がそれた場所をヴァニタスの槍が掠めていく。
飛びかかってきた蜘蛛を退けて、次は……。息が切れる。集中力が散漫になる。
しまった……そう思ったときには、目の前にヴァニタスの槍が迫っていた。
薄氷を踏みしめて割ったような音がして、髪槍が黒い煙を上げながら遠ざかっていく。
「安心しなさい」
背後から声をかけられると同時に、羽で撫でるようにそっと肩に手を添えられた。そのまま、軽い力で後ろへ引かれて、私は振り向いた。
「……あの子が世話になったと聞いた。君の同族の仕業かと思っていたのだが、どうやら私の勘違いらしい」
「い、いえ、私は別に……あ」
視線の先には、ヴァニタスの槍がこちらへ向かって来ている。身体と思考が重い。間に合わない……と身を竦めたけれど、槍は薄い光りの膜のようなものに弾かれて私たちから逸れていった。
スサーナちゃんに蜘蛛の前脚や、髪槍が当たりそうになった時と似ている魔法。
よくわからないけれど、助けてくれたみたい。ホッと胸をなで下ろしながら、私は神秘的な雰囲気の漂う男の人の顔を見上げた。視線を感じて少し横へ視線を移すと、振り返って肩越しに私を見ているいるスサーナちゃんと目が合う。
「ジュジちゃん、こちらは……ええと、私の……主治医? 野菜の取引相手? の第三塔さんです」
「あの、助けて下さってありがとうございます。私はジュジといいます」
頭をぺこりと下げると同時に、バチィと一際大きな音がして身を竦めると、光の膜に蜘蛛が張り付いて弾き飛ばされるところだった。うぞうぞと動く蜘蛛の裏側を見てしまった私とスサーナちゃんが同時に小さな悲鳴をあげる。
虫の裏側というのは何故あんなにぞわぞわするのだろう……。驚いた拍子に地面から生やしてしまったツルを近くにいる蜘蛛たちの脚に絡めた。そのまま数匹の蜘蛛を壁際に放り投げてから視線を綺麗な男の人へ戻すと、彼はなにやら興味深そうに私の魔法を眺めているみたいだった。
だいさんとうさんと、スサーナちゃんは呼んでいたけれど、これは名前なのかな?
「あの……魔法を使う種族の方ですか? なんとお呼びすれば……」
彼は、私の言葉を聞いて僅かに目を見開いた。きょとんとした表情というのが近いのかも知れない。
スサーナちゃんを抱えていない方の手を顎にそっと添えて、少し俯いて思案した彼が、再び私の目を見る。
「……諸島の魔術師や月の民、と言って通じるだろうか」
私の目を見つめて、言葉を選ぶように話す彼は、長くて綺麗な指で、空中に光る模様を描く。いくつもの光の筋が天井に浮かんで、さっき見た光の欠片が切っ先をヴァニタスへ向けた。
諸島のまじゅつしというのも、月の民という言葉も聞いたことがない。自分の無知さを改めて突きつけられたようで申し訳なく思いながら、首を横に振った。
指をスッと下に下げた彼は、そんな私を見て怒ることもせずに「ふむ」と小さく頷いてから、押し黙る。
膜の外では、光の欠片が蜘蛛も、ヴァニタスの上にも降り注いでいる。ヴァニタスのわめき声が聞こえるけれど、不思議と膜の中にいるときは不明瞭な音にしか聞こえない。
「彼女は、私を第三塔と呼ぶ」
「珍しい名前ですね」
「……名前と言うわけではないが」
肩に垂れているゆったりと編まれた髪を、後ろに払うついでといったような仕草で、彼は新しく魔法陣を浮かべて指で弾くようにして前後左右に三日月型の光の刃を放った。
床から砂と共に湧き出した新たな蜘蛛たちの身体が上下に分かれて、砂に戻っていく。
「キリがないな。……私が落ちてきた穴もすぐに塞がれてしまったようだ」
小さな溜息を吐いて、虹色の燐光が揺らめく瞳を半ば閉じる第三塔さんは、耳長族や妖精と似ている。本当にヒト族なのだろうか?
耳長族ではないと思うけれど、スサーナちゃんと知人と言うことは妖精というワケでもないんだろうし……。
ヴァニタスによる髪槍と蜘蛛による攻撃は、どんどん密度を増してきている。髪槍が当たる度に、光る膜の火花も音も大きくなっている気がする。
「髪による呪詛に満ちた空間……鳥のものではないというのか……」
小さな声で呟いた第三塔さんが、ぐるりと辺りを見回した。それから、彼は私の爪先から頭先にかけて視線を走らせる。
「障壁を解く。この子を頼む」
それだけ言って、スサーナちゃんは床にそっと下ろされた。私が彼女を抱きすくめると、光の膜は上の方から溶けるように見えなくなっていく。
第三塔さんはローブの裾から小さな獣の像を取りだした。像はあっと言う間に大きなネコ科の魔獣に似た姿に変化していく。
金属に覆われたようなつるりとした光沢の騎像獣は、第三塔さんを背に乗せると地面を蹴って空を飛んだ。
さっきまでは平気だったのに……。ヴァニタスの怒りに満ちた声が耳の奥を震わせて、身体が重さを取り戻し、僅かに息が苦しくなる。
幸いなことに、第三塔さんの乗る騎像獣が目立つからか、ヴァニタスの攻撃はあちらに集中していて、私たちを襲う蜘蛛も髪槍もさっきよりは少なくなったみたい。少し楽になったけれど、知り合ったばかりの彼から託されたんだ。スサーナちゃんに傷一つ付けたくない……。自分だけなら、少しくらい傷ついても構わないと思っていたのに……。
深呼吸をして、気持ちを切り替える。第三塔さんの作った障壁の中にいて、多少は休めたからかさっきよりは身体が動くように感じた。スサーナちゃんを庇いながら、自分に向かって飛んでくるヴァニタスの槍を薔薇の盾で弾く。すぐに振り向いて、後ろから飛びかかってくる蜘蛛を腕から伸ばしたツルで凪いで吹き飛ばした。
迫り来る髪の毛の束をぬるぬると避けて、風の精霊のように広間内を移動する第三塔さんを視界の隅に留めながら、襲ってくる蜘蛛と髪槍を片っ端から捌いていく。
「大丈夫ですか?」
油断をして、腕にヴァニタスの槍が掠って、血が飛び散るのが見えた。障壁を張り忘れるなんて……。スサーナちゃんが泣きそうな表情になって声を上げた。
彼女の顔を見て、無理矢理笑顔を作って頷こうとした瞬間、天井近くの壁に赤い光が灯って爆発音が響いた。
天井から弾けるようにして散らばった破片は、床に落ちること無く、壁に空いた穴に吸い込まれるように天井へ戻っていく。すっかり元通りになった天井からは白い影が舞い降りてくるのが見えた。
緩く波打った金色の髪が目に入る。それから、煌々とした炎が天井を覆い尽くした。
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