特別編5 冴子さんと私のついてない一日

 日曜日の昼下り。クローゼットの中を片付けていたら、奥にしまい込んだ箱が目にとまった。中には色んな物が詰まっている。だいたいは何となく捨てられなくて取っておいてるものだ。


 私はしばらく開けずにいた箱を開きたくなって、引っ張り出してみた。


「懐かしい⋯⋯」


 そろそろ処分しようか、なんて思いつつもどれも結局捨てられなくて、箱に戻されてしまうものたち。


 箱の隅に追いやられたテディベア柄の巾着を取り出した。何か入っているようだけど、何だったかは思い出せない。


 巾着を開けようとしたところで、部屋のドアがノックされる。


奈津なつ、開けてもいい?」


 冴子さえこさんの声。


「いいですよ」


「何かしてた? 邪魔になるようなら後でいいんだけど」


「ちょっと片づけしてただけですよ」


「そう。プリン買って来たから、食べる?」


「プリンですか!? 食べたいです!」


「それじゃ、用意するね。ところで、それ何?」


 冴子さんは私が手にしてる巾着を指した。


「可愛いね。初めて見た」


「これですか? 中学生の時に家庭科で作ったやつです。中に何入れてたかなと思って開けようとしてたんですよ」


「宝物でも入れてるの?」


「そんな大層なものは入ってないですよ」


 私は巾着の口を開く。手を入れて、中身を取り出す。それは手作りの御守だった。白い布に、金色の小さな星型ビーズが七つ縫い付けられている。


「それ、御守?」


「そうです。これも中学生の時に作ったんです。高校受験が上手く行きますようにって、願いを込めて。確か中に大吉のおみくじ入れてたんですよね〜」


「可愛いわね。御守はちゃんと効果あったんだ?」


「あったかもしれませんけど、この御守じゃなくて、ちゃんと神社で買った御守の効果が出たんだと思います」


「でも、合格できたのは奈津のその御守もちゃんと力を発揮したからじゃない?」


「そうだと嬉しいですけどね。でももう使わないから、処分しようか悩みますね。いつも捨てられずに箱に戻しちゃいますけど」


「別に処分しなくてもいいじゃない。奈津の思い出が詰まってるんだから。いらないなら、私がもらおうかな」


「冴子さんが持ってどうするんですか?」


「御守なんだから、御守にするに決まってるじゃない」


「何も効果ないと思いますけどね」


「奈津が作ったものなら、それだけでいい事が起こりそうって私は思うけど」


 冴子さんが優しく微笑むから、私はそれだけで、気持ちが満たされる。子供の私が作った何でもないものにも、冴子さんは愛情を向けてくれるのだから。


「じゃあ、これは冴子さんにあげます。冴子さんが持ったら何かパワーが出るかもしれません」


「ありがとう。大切にする」


 十年以上前の私が作った御守は冴子さんの手に渡ることになった。





 翌日、月曜日。


 天気は晴れで、春らしい暖かな陽気で、心がうきうきするような朝だった。


 私と冴子さんはいつものように一緒に電車に乗って通勤する。


 満員電車に揺られて、目的地の駅でたくさんの乗客と共に駅へと降り立った。


 昨日の夕飯の話をしながら駅を出ると、急に冴子さんの足が止まる。


「どうかしましたか?」


「ついてない、ひっかかった!」


 冴子さんの足元を見ると、側溝の蓋の隙間にヒールがはまっていた。


「抜けそうですか」


「けっこうがっちりはまってる」


 ため息をつきながら冴子さんは左足を上げようとする。でも足は持ち上がらない。


「奈津、ちょっと肩貸して」


「どうぞ」


 私は冴子さんの横に並ぶ。冴子さんは左足の靴を脱いで、手で抜こうとする。


「もっと力を入れないと駄目そうね」


 冴子さんは脱いだ足も地面につけて、両手ではまったヒールを抜く。上手く引っこ抜けたが、ヒールが靴から取れかけていた。


「⋯⋯⋯取れたと思ったら、これか」


「これは修理出さないともう履けないですね」


「そうね。気に入っていたのに。どうやって会社に行こう」


「この辺って靴屋さん、ありましたっけ?」


「⋯⋯ないと思う」


 私たちが働く会社はオフィスビルが立ち並ぶ区画。コンビニやカフェならあるけど、靴屋となると見つからない。


「冴子さん、予備の靴とか持ってません? 冴子さんいつも予備の服ロッカーに入れてますよね」


 何事にも抜かりない冴子さんは、会社のロッカーに何かあった時のために着替えを置いていた。そのおかけでは私は以前、雨で服を濡らした時に服を借りることができた。


「予備のパンプス置いてある」


「それなら私、取って来ますよ! その靴で歩くのは無理ですから」


 私は駅前のベンチに冴子さんを置いて、急いで会社に行き、ロッカーにパンプスを取りに向かった。


 ロッカーの下にはちゃんと揃えて置かれたパンプスがあり、それを持って駅前に戻る。


「冴子さんの備えが役に立ってよかったですね」


「まぁね。やっぱり備えって大事よね」


 冴子さんがパンプスに足を入れて立ち上がる。


 何とか事なきを得た私たちは、二人で出勤した。





 お昼時間になり、食堂へ赴く。今日は冴子さんと二人ではなく、広報部のみんなと一緒だ。たまにはみんなで集まって賑やかにご飯を食べるのも楽しい。


 私はシーフードカレー、冴子さんは和風ハンバーグを頼んだ。どちらもそれぞれ初めて食べるメニューだった。


「冴子さん、後で和風ハンバーグの感想聞かせてくださいね。私、明日食べてみたいので」


「いいよ。奈津のシーフードカレーも美味しいか聞かせて」


「はい、もちろんです」


 予め取っておいた、窓際の席に移動する。みんなで取り留めもない話で盛り上がっていた。冴子さんは通路側の席にいて、ハンバーグを美味しそうに食べている。


 その横を通ったのは同じ広報部の後輩の渡辺わたなべくんで、冴子さんに声をかけた。


高野たかの先輩、あとでさっきの会議の件で相談したいことがあるんですけど、いいですか?」


「了解」


「ありがとうございます!」


 渡辺くんが去ろうとして、テーブルにぶつかった拍子に、冴子さんのトレーにのせられてた水が入ったコップが倒れる。水はトレーの上から冴子さんの腿の上にポタポタと。


「わぁ、高野先輩、すみませんっ!! 大丈夫ですか?」


 おろおろする渡辺くんに、冴子さんは何でもないといった表情で「大丈夫」とだけ返した。


「冴子さん、これ使ってください」


 私は持っていたポーチからハンドタオルを出して、水分を拭き取る。


「高野先輩⋯⋯、藍田あいだ先輩⋯⋯」


 渡辺くんは先輩にやらかしたと思ってか、すっかり青ざめていて可哀相になる。


「大丈夫よ、ちょっと水がかかっただけだから。奈津が拭いてくれたから、ほとんど何ともない。渡辺は気にしないでお昼にしなさい。いつまでもそこにいられたら、私も落ち着かないの」


 冴子さんはすっかり落ち込んでいる渡辺くんに笑って、他の席に追いやる。私も同じ立場だったら、そうなるのは分かる。


「服、大丈夫そうですか?」


「うん、奈津のおかげでそんな濡れてないから着替えなくてもよさそう」


「靴だけじゃなく服もなってたら災難ですもんね。トレーは水浸しのままですね。布巾、借りてきますね」


「ありがとう、奈津。今日の朝の占いで魚座は最下位だったけど、意外とあれ当たるのかしら」


「ただの偶然ですよ」





 お昼を終えて冴子さんと私は休憩室に向かっていた。冴子さんが急にコーヒーを飲みたくなったから。休憩室には自販機がある。


 階段を使って食堂のある二階から休憩室のある三階へ。廊下へ出たところで、誰かが冴子さんにぶつかってきた。急いでいたらしい相手と冴子さんは見事におでこをぶつけ合い、冴子さんはバランスを崩して、後ろに転けそうなったのを、私がとっさに支える。


「痛っ〜」


 おでこを押さえる冴子さん。


「ごめんなさい、大丈夫ですか?」


 ぶつかって来た相手が謝る。よく見たら秘書課の五十嵐いがらしさんだった。アラフォーとは思えないスタイルの良さと、優しい性格で社内でも知られた人である。そして、冴子さんと同じく長身だからとても目立った。いつしか社内の三大長身美女に冴子さん共々入れられている人である。


 五十嵐さんとは以前社内報用のインタビューで面識ができていた。


「⋯⋯ええ、大丈夫です。五十嵐さんも大丈夫ですか? 私石頭なので」


「私は大丈夫ですよ。実は私も子供の頃から石頭なので」


 二人で笑っている。冴子さんも五十嵐さんもおでこが赤いけど。


 どちらもほぼ同じ身長だから、ちょうどおでことおでこがぶつかってしまったようだ。


「高野さん、本当にごめんなさいね。ちょっと急用を思い出して、急いでいたもので。階段なら誰もいないと思って、走ってしまいました」


「いえ、私も不注意でしたので」


「この埋め合わせはいつか必ずしますね。本当にごめんなさい。それでは失礼します」


 五十嵐さんは早足で階段を降りて行った。


「冴子さん、本当に大丈夫ですか?」


「少し痛いけどね。全然平気。まさか五十嵐さんとぶつかるとは思わなかった」


「びっくりですね。何で急いでたんでしょう」


「さぁ⋯⋯。五十嵐さん秘書だから社長関連で何かあったのかしらね。今日は色んなことが起こる日ね」


「ニ度あることは三度あるなんていいますし、今のが三度目だとしたら、もう何もないんじゃないですか?」


「それもそうね」


 さすがの冴子さんもちょっと疲れた顔をしていた。




 仕事が終わり、また二人で満員電車に揺られる。降車駅が近づくにつれて、乗客は減っていった。


 車窓の向こうに広がるのは夜の帳が下りた街並み。白やオレンジの住宅の街明かりやマンションの整列した窓の明かりが流れては去ってゆく。


「奈津、今日の夕飯は外食にしない?」


 いつもご飯を作ってくれる冴子さんが珍しくそんな提案をした。今日はついてない冴子さんだったから、夕飯を作る元気がなくなってしまったのかもしれない。


「いいですね。冴子さんは何か食べたいものありますか?」


「久しぶりにラーメン食べたい!」


「ラーメン、最近食べてないですよね。どこのお店にしますか?」


「気になってるお店があるんだけど、そこでいいかな? 駅の近くのお店」


「もしかして最近できた新しいお店ですか?」


「そうそう。あそこ気になってて」


 そんな会話をしているうちに駅に到着する。駅を出て歩いて一分ほどで、ちょっと小洒落たラーメン店が目に入った。行列はできていない。窓から見える限り、店内はほどほどに埋まっていた。


「ここですよね」


「ここ! 味噌ラーメンがすごく美味しそうで。疲れた時にこってり濃い味、食べたくなるのよね」


「それなら味噌ラーメンで疲れを取りましょう!!」


 私たちは店内に入った。


 窓際の二人席に座る。


 冴子さんはもちろん味噌ラーメン、私は塩ラーメンを注文した。


 店内はいい意味でラーメン屋さんっぽさがないけど、きちんと清掃が行き届いたきれいなお店だった。店員さんも丁寧ではきはきしていて、見ていて気持ちがいい。


 他愛もない話をして笑っていたら、ラーメンが運ばれて来た。


「お待たせいたしました。塩ラーメンになります」


 私の前にはもくもくと湯気の上がる塩ラーメンが。


「お待たせいたしました。醤油ラーメンになります」


 冴子さんの前には褐色の透明なスープの醤油ラーメンが。それはどこからどう見ても醤油ラーメンで、味噌ラーメンではない。


 店員さんはラーメンを置くと特に間違いに気づくことなく、そそくさと厨房に戻ってしまった。


「味噌ラーメン⋯⋯じゃないですよね」


「そうねぇ。醤油ね」


「変えてもらいましょうか。店員さん呼びますね。すみませーん」


 声をかけると先程の店員さんが私たちの席までやって来る。事情を説明すると、店員さんは、平謝り。見る限り、若いし、新人なのかもしれない。


 それを見ていた冴子さんは気の毒そうな表情で。


「今すぐ取り替えます」


 そう言う店員さんを制して

「いえ、醤油ラーメンのままでいいです。これ取り下げてもらったら、このラーメンは破棄されるんでしょう。もったいないですから。それに醤油ラーメンも食べてみたかったですし。味噌は次の機会の楽しみにしておきます」


 冴子さんは何度も謝る店員さんが可哀相になってしまったのかもしれない。根が優しい冴子さんらしい。それに食べ物を無駄にするのも、冴子さんが嫌いなことの一つでもある。


 そういうわけで、今晩の冴子さんの夕飯は醤油ラーメンになった。


「今日は上手く行かない日ね。帰ったらおとなしく寝ようかな」


「そうですね。ゆっくり寝ましょう。私も今日は早く寝ることにします」


 ラーメンを食べ終えて帰宅した。


 お風呂を沸かして、先に冴子さんを入らせる。私はテレビをぼんやり見ながら、ふと冴子さんは何で今日はついてなかったのだろうと思いを馳せる。生きていたらそんな日もたまにはあるだろう。


 けれど何かがひっかかる。冴子さんの不運のきっかけ。


「⋯⋯もしかして、私の御守?」


 昨日は平穏な一日だった。


 でも朝から冴子さんは微妙な一日を過ごしてしまっている。


 私が作った御守が良くなかったのではないかという気しかしない。当時中学生だった私が作った、なんてことのない拙い御守だけれど。


 お風呂から上がってきた冴子さんに私は詰め寄った。


「冴子さん、昨日の御守返してくれませんか?」


「いいけど、どうしたの? もったくなった?」


「そんなんじゃありません。あれは捨てた方がいいかもしれません。冴子さんが変な目に遭ったのはあれのせいじゃないですか? あの七つ星の御守。ラッキーセブンのつもりで作ったけど、あれはアンラッキーセブンになってたんですよ」


「何を言ってるか分からないけど、御守なら部屋の机に入ってる。今日のちょっとした不運はたまたまでしょ。奈津の御守が人を不幸にするわけないじゃない」


「でもあれをあげてからな気がしますし⋯⋯」


「明日は多分、いつもの一日だから、奈津はそんなこと気にしないの」


「もし明日も冴子さんに何かあったら⋯⋯」


「何もないから、自分で作ったものを捨てるなんて言わないで。私はあれ、可愛いって思ってるから。奈津が一生懸命作ったものだもの。私には愛しい御守。だから捨てるなんてできない。どうしてもと言うならせめて明日まで待って」


 冴子さんがそこまで言うなら、自作の御守とは言え、勝手に捨てることはできない。


「私は冴子さんを幸せにしたいのに⋯⋯」


「こんなことくらいで私は不幸になってなんかいない。むしろ御守のおかげであの程度で済んだかもしれないでしょ? 奈津って何でも自分のせいって思い込みすぎなのよ。全く、奈津がいたらそれだけで幸せっていつ気がつくのかしら?」


 冴子さんに優しく抱きしめられる。


「私も冴子さんがいたら、それだけで幸せですよ」


「だから私たちはずっと幸せね」

 



 翌日、何事もなく平和な一日が訪れた。


 冴子さんがいたら、どんなアンラッキーだって、逆転してしまうのかもしれない。 


 

 


  

 


  

 

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